第19話
***
スタンバイ状態だった筈の教習機と視線が合った瞬間から、律の目には、全てがスローモーションで映っていた。
右腕で固定用のケーブルを引き千切り、左腕を使ってドッグから抜け出る筐体。
膝をワンクッションさせ、流れる様な動作で跳躍し、真っ直ぐに迫ってくる。
あ、と思った。
まずい、と。
実際にはそんな時間など無かっただろうが、そう思ったと同時に、自然と口が動いていた。
「――ひ、な」
親友の名を。
そして直ぐ、栗色の髪の毛が目の前に割り込み、迫る教習機が視界から消えた。
――ヒナだ。
ヒナが、律と教習機の間に飛び出したのだ。
そして筐体に向かって両手を広げ、前傾姿勢で一歩を踏み出す。
静止していては相手の衝撃を殺しきれないからだ。
それを反射的に計算したヒナが、数瞬で、相手筐体と同じだけのスピードを生み出した。
人体では到底不可能なスピードで近づく、二つの塊――。
悲鳴を上げそうな心とは裏腹に、それだけの加速度があれば大丈夫だろう、と非情なまでに冷静な思考が安堵していた。
駆け出しかけている恭祐。
今にも絶叫しそうな依舞樹。
目を逸らそうと顔を歪める奈央。
非常ボタンに腕を伸ばしている御子柴。
斜め後ろでは青木が尻餅をついて後退っている。
黒井と城ヶ崎は驚いた表情をしているものの、動揺してはいないようだ。
他の第六所属員も似たようなもの。
それら全ての光景がスローモーションで、一本のフィルムをコマ送りで、隅々まで眺めているように感じた。
やがて。
そのスピードから想定出来る重たい衝撃音。
うす赤い液体が花火のように飛び散る。
びちゃびちゃと音を立てながら地面を汚し、時折重さのある物体が地面を跳ねた。
そこに、人の形を成したものは無い。
突如動き出した教習機は、原型を留めずただの物体に成り果てた。
静寂。
誰も声を発さない。
何も言葉が見つからない。
そんな静寂。
しかしそれも時間にすると数秒のことだろう。
全員、時が止まったように静止し、目の前の光景だけを見つめている。
――ゴトッ。
一際重たい金属音がした。
全員の視線がそちらを向く。
衝撃に弾け千々に飛び散った最後の落下物。
栗色の、毬藻のように丸い物体がごろんごろんと揺れ、止まった。
大きく陥没した箇所から覗く金属の空洞。配線。基盤。
半分は潰れた金属部品の塊だった。
もう半分は顔だった。
ここにいる誰もが見た事のある――――闘技筐体の、頭部。
ただ、それが、見知った人物の頭部だっただけ。
ふわふわの髪を揺らしていた、愛らしい彼女の頭部。
それは、筐体の残骸。
「ぁ……あ……ぅわぁぁああああ!」
依舞樹の絶叫が研究室内に反響した。
恭祐と奈央は目を見開き口を歪めている。
時折火花を放つ残骸は、薄赤い特殊なオイルを緩やかに垂れ流し続けていた。
まるで、血液のように。
「なんてこと……」
周りの視線が律に刺さる。
衝撃によろけたままだった律は、デスクに寄りかかる様にして、ゆっくりと体勢を戻した。
残骸の散らばる研究室を見渡す。
あえて、広く全体を。
決して一点だけを凝視してしまわないように。
「大丈夫。筐体が、壊れただけだ。――それより黒井さん、襲ってきた教習機は?」
他に被害が無いかを確認しながら、第六の所属員を見渡すが、誰も大きくは動揺していない。驚いたのも束の間、普段のダルそうな雰囲気を一変させて、消火剤を探したり自分の作業スペースへと小走りに向かっていく。
その機敏な動きを見て、強張っていた肩の力を少し抜いた。
ふと斜め後ろを確認すれば、第四の青木が腰を抜かしたまま呆然自失の体だった。まぁ、他の研究室の人間なのだから仕方ないだろう。落ち着いて退室してくれればいいのだが。
「はぁーい、オッケーオッケー完全沈黙。これだけ破壊したら再起動は不可能だよぉ」
ヒナによってバラバラに破壊された教習機の、コア部分を確認した黒井が、気の抜けた口調でオッケーサインを出す。
それに頷いて返した律は、眉間に深く皺を刻み、立ったままモニターを睨みつける、第一研究室の室長に声を掛けた。
「城ヶ崎」
「すぐに隔壁を張って、闘技エリアに配置した教習機をサルベージしよう。あっちもスタンバイ状態のままだ。同様に、侵入されている可能性が高い」
「外には何体配置して――」
「――律!」
冷静過ぎる会話を交わしていた律の言葉に、恭祐の怒声が被る。
初めて見る怒りの色。
ふざけたニックネームでもない、呼び捨ての名前に、その怒りの度合いが見える。
「てめぇっ、これはどういうことだ。壊れた、だけって……!」
「見た通りだけど」
「そういうことを言ってんじゃねえよ! じゃあ……じゃあいつも一緒にいたヒナちゃんは……」
「…………最初からずっと、――筐体だ」
「――っ!」
「まさか……っ」
「あぁ……ヒナがリンクした筐体、と言った方が正しいね」
律の無機質に向けた視線に、愕然とした表情を浮かべる恭祐達。理解出来ないというように首を振り、ガラクタと化したヒナを見て、その無残な姿に青褪める。
「だから……冷たくて、駆動音がしたんだ……」
強張った顔の依舞樹が、小さく呟いた。
全員が目線だけを依舞樹に向ける。
「……昨日、ヒナちゃんに倒れ込んだ時に……変な、感触がしたんだ。冷たすぎるというか、でも、良く知ってる細かい振動が伝わってきて……」
恭祐が何かを合点したように唸った。
「昨日の帰り道、それか……」
「電流で手が痺れてるせいかな、とも思って気にしないようにしてたんだけど。……筐体なら、納得できる。そういうことだよね、一条君」
「だね。表面はだいぶリアルに近付けているけど、中身はただの筐体だから。……それにしても完璧に壊れたな」
壊れている。
完膚なきまでに破壊されている。
原型を留めない鉄屑の塊。
表皮は剥がれ、発散する熱によって溶け落ちている。
あぁ……、よく出来た筐体だったのに。
出来の良過ぎた、欠陥品。
「あの、ヒナちゃんご本人は? これがただの筐体なんでしたら、今頃セーフティによる強制切断で、ネットワークから離脱されてるはずですよね」
「そうだね、ヒナは大丈夫だよ。……きっと、お気に入りの筐体が壊れて、部屋で怒り狂ってる」
そう普段のヒナを彷彿させるように伝えれば、恭祐達は大きく息を吐いた。
「っ、良かったぁっ……。本当に、ダメかと思った。最悪の事態になったかと……」
「私もですわ……。心の底から、安心して腰が抜けそうです……」
「あーもうっ! 俺はチビるかと思ったぜ! 一条君、ビビらせんなよマジでっ!」
「……筐体であるなら、せめて言っておいて欲しかったな」
口々に、御子柴までもが文句を言っているが、皆、ヒナが生身で無茶をしたのではないとわかって、安堵しているのが分かる。
それだけに、抗議の言葉なのに聞いていて和む。
「あーもう、ヒナちゃんには驚かされっぱなしだぜ。で、部屋にいるって? 寮の?」
「いや、寮じゃなくて――」
「――うっわぁ~、ほんとだぁ、派手に壊されちゃったねぇー」
恭祐の疑問に律が口を開くと同時に、傍に来た黒井が間の抜けた声を出した。
「あーあ、勿体無いー。再現精度を上げるために、お高いポリマーも使ってるのにねぇ。こんな事になるんだったら、最初から闘技用に強化したボディにしときゃあ良かったねぇ」
黒井はヒナの破片を摘み上げると、まじまじと壊れ具合を観察する。
オイルが手に付かないようにだろうが、汚いものを触るように目線まで持ち上げる、その触れ方が、律の琴線に触れた。
「……黒井さん。そういう扱いは、やめて貰えません? ヒナですよ」
「リンクしてたのは、ヒナ君かもしれないけどさぁー、コレは常時稼動型筐体でしょ? 常態稼働時の絶対条件は『主の危険を全力で排除する』。キミの筐体が正しく規約に則っていたことが証明されて良かったじゃんー」
「俺の筐体じゃなくて、ヒナの筐体です」
「ヒナちゃんの為にキミが作った筐体だろぉ? どっちでも一緒だと思うけどぉ?」
意地悪く笑みを浮かべる黒井。
「ほんと、優秀なボディガードだよねぇ」
わざと挑発しているのは見え見えだ。わかっている。
だけども今は我慢出来そうも無い。
険呑な表情で黒井を睨みつける。
「何が言いたいんですか? 喧嘩を売ってくるなら黒井さんでも容赦しませんが」
「あははは~。じゃあ意地悪は止めてあげる。…………でもね、わかってる?」
口元だけの皮肉った笑い。
いつものボケた雰囲気は消え去り、目だけは冷え冷えするほど冷徹な光が漂っている。
「壊れたんじゃない、壊されたんだ。――あれは、誰かに破壊されたんだよ?」
ゆっくりと刺さる言葉をなんとか飲み込む。
壊された。
ヒナは、誰かに壊された。
あえて気付かないフリをしていた現実。
そして事実。
「一条、隔壁の展開は完了だ。ただし、闘技エリアの教習機四体が稼働中・応答無し」
苛立ちを抑え込んだような、不気味に静かな城ヶ崎の声音。
「ネットワーク内に第六認証を偽装した命令系統が発生しているようです」
所属員からの報告を、副室長として正確に伝え上げる萩原。
「――さぁ、一条君。キミはどうするの? このまま黙って破片を拾い上げるの?」
既に黒井の導きたい回答までのレールを走っている。
すべき行動は一つしかない。
乗せられているとわかっていても、止めることはしない。
「全力で、排除しましょう。
――第六室長の権限を以て、今からこの場を掌握します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます