第17話




「おーい、りっちゃん、依舞樹、だいじょーぶー? 今日の分、片付けまで一区切りついたよん」

「……無理」

「……うぅうう……牧さん……何でそんな元気なの……」


 教習機の片付けまで綺麗に終わらせた恭祐が、ひょいっと洗面スペースを覗き込み声を掛けた。


 そんなに広くも無い場所に、律が座り込み、その前に依舞樹が転がっている。

 依舞樹の場合、完全にうつ伏せで大の字だ。それはもう、非常に邪魔。


 案の定、排熱で溜まった水を捨てに来たヒナが、近くまでやってきて足を止め、眉間に皺を入れた。


「……おい、依舞樹。ヒナ様のラグになりたいのなら、もっと踏み易く平らになれ」

「そんな、殺生な……。うー……、リンク後がここまでキツイなんて、知らなかったんだもん……」


 リンクしてる時は楽しかったのにぃ……と泣き言を溢す依舞樹。

 そんな、ゾンビのように呻いている依舞樹を――、ヒナは優しさも欠片も無く、厚底ローファーで踏み付けた。


「ぐ……ひどっ! ……あ、でも痛みに紛れてマシになってきたかも……」

「……よかろう。ヒナ様が筐体用静電スプリングの肉体被験者として厚遇してやろう」

「え、それってさっきから、そこら辺でバチバチ鳴ってる……」

「静電気の気持ち良いバチバチ具合を教えてくれ」

「怖いよっ!」

「じゃあ律、やるか?」

「……何で誰かが犠牲になる前提なんだ……」


 この騒々しさが更に辛い……と、律のツッコミに普段のテンションは無い。


 洗面スペースは、もう定員オーバー状態だ。

 こんな広くもない場所で、何が悲しくて密集していないといけないのか……。

 そう思っていた矢先に、また新たに二人が顔を出した。


「一条。僕と吉野さんはそろそろ帰るぞ」

「大変なところ申し訳ありませんが、お先に失礼させて頂きますね。また明日、お手伝いに参ります」


 十二分に第六の作業を手伝った奈央と御子柴だ。

 流石に疲れたのだろう、二人とも表情筋が死んでいる。……もしかしたら、気疲れのせいかもしれないが。


「ちなみに聞くが……、本当にこんな調子で、毎回設営が終わっていたのか?」

「……追い詰められるとそれなりに一致団結できる研究室なのです……」

「よく成り立っている。逆に尊敬するな」

「…………失礼ながら同感ですわ」


 御子柴の率直過ぎる意見は、反論の余地無し。今日はよくぞキレずに最後まで手伝ってくれたなぁと感動するぐらいだ。


 相手を慮る心を忘れない奈央までも、第六研究室の適当具合はフォローしきれなかったのだろう、苦笑しながら御子柴に同意している。


「じゃあ」

「では、お大事に」


 会話を続けながら二人が連れ立って去ってしまうと、残った四人もノロノロと動き始めた。


「さーて。俺らも帰ろーか! 依舞樹、立てるか?」

「……っし。おっけー。なんか元気になってきたっぽい」

「え……ヒナちゃんに踏まれて元気になったの? ……危ない子……」

「違うよっ! 普通に、会話して気が紛れたんだって!」


 単純にも、それだけで回復したらしい依舞樹がむくりと起き上がった。一度ぎゅっと目を瞑り、眩暈が残っていないことを確かめている。


「りっちゃんは? どないー?」

「律ならそのまま放っておけばいい。ヒナが後で、寝床に敷いている毛布を進呈してやる」

「そーお?」


「……それは優しさじゃない……。あのゴミ溜めみたいなトコロに敷いてあった毛布なんかで、絶対に寝たくない……」


「では新聞紙を進呈しよう。とても暖かく、快適な睡眠が得られると聞く」

「今日はここで野宿、か……」

「確か昨日、大量にシュレッダーしたはずだ」


「俺はハムスターか! 新聞をシュレッダーする意味ある!?」


「……暇だったのだ」

「暇にもほどがあるわ……」


 嬉々としてゴミ袋を持って来ようとするヒナ。

 その中には、ハムスターの寝床の様な、おが屑みたいになった新聞紙が大量に詰まっている。


「…………絶対に寮に帰る……」


 ゲッソリしながらも強く決意を固めた律である。


 よっこらせ、と、立ち上がるべく顔を上げると、恭祐が手を差し出してくれていた。有難くその手を取る。


 ふわりとした眩暈は立ち眩みの延長程度。

 これなら寮まで帰れるかな、と無駄に広いATRAの敷地を恨めしく思った。





 何とか洗面スペースから脱し、見慣れた研究室内に視線を巡らす。

 設営していた形跡なんてまるでない、普段通りの光景だ。

 所属員たちが好き勝手な場所を陣取り、好き勝手な研究を進めている。


 さっきヒナの言っていた『筐体用静電スプリング』も、賑やかにバチバチと音を立てながら、圧力や電圧やらの調整がされているようだ。

 その中央では、こんな研究室には到底似つかわしくない、謎に設置されているベンチプレスで、萩原が汗を流している。切りっぱなしのショートヘアの先から雫がしたたり、恐らく萩原ファンには垂涎のサービスショット。……ただの体力バカなのだが。


 ……などと考えながら和んでいると、ふいに入り口の呼び出しベルが鳴った。


 まぁ誰か出るだろ、と聞こえなかったフリを決め込んで適当な椅子に座る律。

 ――しかし誰も応答する人間はいない。


 恭祐と依舞樹は未だに洗面スペースでバチャバチャと激しく顔を洗っているし、萩原はベンチプレス中、その他諸々はディスプレイに釘付け。みんな自分の世界だ。


 あー……そういえば、ここってこういう人間の集まりだったよね……、と再確認。

 暫くして、再度ベルが鳴る。

 と同時に、聞いたことのある大声がドア越しに響いてきた。


「ちわーっす、金井製作所ーっす! 誰かいませんかー!」


 金井、というと……、つるんと剃り込み残念ヘア―……ではなく、宮坂御用達のパーツ製作所じゃないか。ってことは恐らく、奥に何体も待機している、教習機用の追加パーツか……。

 そういえば学園側から、ある既存パーツの差し替え依頼が来ていた気がする。


 面倒だけど受け取らないとなー、と思い扉へと近づいていくと、おーい、という苛立ち交じりの問いかけと共に、景気よく扉を叩く音が聞こえてきた。

 あまり激しく叩かれると、ここのセキュリティに引っ掛かって警報を鳴らされるんだが……。


 はいはい今すぐ開けますよーと口の中で小さく呟きながら、応答用のドアホンへと向かった。


 が、それより先にヒナが扉の前に立つ。


「こんっちわー! 荷物っすよー! 受け取ってくだ――「何か用か。フェアリー氏」……――すっげぇ人いるじゃん! 誰かさっさと開けろよ!」

「ヒナはお得意様だぞ」

「……なるべく早く開けてくださいっす……」


 出会いがしらヒナに突っかかっていった金井が、呆気なく撃破された。弱い……。


「どうした?」


 ようやく気付いたらしい萩原も、首にタオルを掛けながら近付く。大股で、颯爽とした足取りだ。

 金井を無表情に虐め続けるヒナをどかせて、扉の前に運ばれてきた台車を確認する。


「金井製作所っス! 第六研究室宛に納品っス!」


 ようやく話の通じる人間に出会えたー! とでもいうように顔を輝かせた金井が、いそいそと台車から段ボールを下ろしはじめた。


 居室の中に運び込まれた段ボールの中を軽く覗き込みながら、萩原は、はて、と首を傾げる。


「……こういう荷物は、普段なら講師経由で届くんだが?」

「いやぁ、それなんっスよ。いつもなら宮坂講師か、第四の青木さんに受け取ってもらってたんっス。だから今日もいつも通り、青木さんに受け取ってもらおうと思ったら……、第六のものは僕に渡さないで、って……。もう冷たいのなんの……」


 悲しそうな顔の金井が、一瞬ギロリとこちらを睨んだ気がする。

 いや、絶対にコレはとばっちりだ。


「なので受け取りおなしゃーっス!」

「……納品書はどこだ?」

「あ、それ一枚しか用意してなかったんで……ちょっと待ってくださいっスね。原本は青木さんに渡しちゃったんで、スキャンしてもらったんすよー……」


 そう言ってポケットからUSBメモリを取り出した金井。

 きびきびとした動作でそれを受け取った萩原は、すぐさま起動しているPCに差し込み、受領物の確認を始めた。

 何の気なしに二人のやり取りを眺めていた律は、その光景に一瞬、あ……と思ったのだが、それを口にするより早く、何故かヒナから攻撃を受けた。


「ごふっ……」

「邪魔だ。帰るならさっさと帰れ」


 萩原に場所を奪われた腹いせなのか、脇腹に鋭い一撃がめり込む。

 小さな手だから余計に痛い。

 依舞樹じゃないが、さっきまでの気持ち悪さなんか吹っ飛んで、衝動的に抗議する。


「お前は……、何でそうバイオレンスなんだっ!」

「ヒナがバイオレンスであることに、律と何の関係が?」

「害があるから言ってるんだよ!」

「ふむ、考慮してみようか?」

「是非とも善処してくれ……」


 ダメだ。

 どうやったらヒナに反省を促せられるのか。

 顔に似合った可愛らしい言動をしてくれるだけでいいのに……って、それが最難関か。

 本当に可愛さの無駄遣いだ。

 誰か名案求む。


 律が一人がっくりと項垂れている横で、ヒナはトコトコと作業台から何かを持ち出し、洗面スペースから出てきた恭祐達に歩み寄っている。

 それは別にいい。

 ……問題は、その手に持っている危険物だ。


「さぁ。邪魔な奴らはさっさと帰りたまえ。そして明日も下僕のように椅子を運べ。もしくは今から犠牲になれ」

「帰るよー……って、え。ちょ、ま、ヒナちゃ……、ソレっ……!」

「ん? コレが筐体用静電スプリングだが?」

「うっそ……っ、素手で持っちゃってるよっ、髪の毛、髪の毛!!」


 筐体用静電スプリングは、ヒナもメンバーに加わり実用化に向けて試験中だ。

 今日もこれから作業を始めるべく、準備に取り掛かっているつもりらしいが、がっつりと素手でパーツを持ち運んでしまっている。稼働中で通電中のものを。


 おかげで静電気の影響をまるまる受けて、ヒナのボリュームある髪が派手に広がり、メデゥーサの如く蠢いている。

 今の状態のヒナに触ったりなんかしたら、間違いなく静電気の餌食になることだろう。


 ヒナは焦る恭祐と依舞樹を見て、数瞬、何を言っているんだ? というような顔をしたが、直ぐに自分が手に持っているモノに気付き、腹黒そうにニヤリとした――。


「洗礼を受けるがいい」

「甘いぞヒナちゃんっ!」

「ちっ……」


 案の定、バチバチと帯電する塊を持ったまま恭祐へと突進したヒナ。

 しかしそこは相手もリンカーだ。

 ひらりとヒナを躱し、依舞樹にバトンタッチするように背中に隠れる恭祐。


「えっ、あっ、えっ……!?」


 依舞樹は突然の展開についていけてない。

 背後の恭祐と、目の前のヒナに挟まれて目を白黒させている。


 そんな依舞樹を中心に、クルクルと回り合って攻防する二人。


 翻弄されるがままに二人を目で追う依舞樹。


 となると、結末は予想通りで……。


「あ、ちょ、依舞樹っ!」

「目ぇ回っ……――あいぃいいっ!? い、痛っ、痛いよヒナちゃんっ」

「ぐっ……重いぞ依舞樹! どけ!」

「いたっ、いたいぃぃ、ヒナちゃ、それ、止めてぇっ」


 激しく静電気の弾けるバチバチ音と、依舞樹の悲鳴、ヒナの怒気。


 クルクル回る二人を追い続けた依舞樹が、目を回してヒナに突っ込んだのだ。

 周囲がアッと思った時には、ヒナを下敷きにして転がった依舞樹が、静電スプリングの餌食になっていた。


「うわぁぁっ! ごめ、ごめんね、ヒナちゃんっ!」


 流石に女の子の上に倒れ込んだこともあって、普段の運動神経の限界を超えたスピードで飛び起きた依舞樹。平謝りで許しを請いつつも、自分のせいじゃないことをアピールしている。


 しかし、むくりと身を起こしたヒナは、聖母の笑み。


 お前そんな顔も出来るじゃないか、と褒めるのは間違いだ。


「……え、ヒ、ヒナちゃ、待って、ごめんって。本当にごめんなさい。変なところは触ってないですから……、って、え、ちょ、ホント早まらないで、それ、それ……」


「……一度、出力MAXで与えられる人体への影響について確かめたかったんだ」


「それダメなやつだ! 絶対死ぬ! 死ぬって!」

「大丈夫だ。医学的観点での安全性は考えられている。……死にはしない」

「死には、ってどういうこと! 死ぬ以外だったらどうなるの!?」

「それを確かめるのではないか」

「いや、ダメだって! それ……ちょ、あ、――ひぃぃいいいいいいいーーーーーっ!」


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