第16話






「あー……」


 嫌々ながらも教習機にリンクし、観覧席に長机を何セットか運んだところで、律は諦めの溜息を吐いた。


「やっぱもうダメ……」


 例に漏れず宣言通り、早くもギブアップを口にする。……と言っても、教習機越しの通信で発言しただけだが。


「え、戦闘みたいな激しい動きしてないのに、それでも酔うのん?」


 意味が分からん、といった風体の恭祐は、イキイキと教習機にリンクしている。両腕で何セットもの机や椅子を担いでいて、筐体で運ぶという目的を十分に達成していた。


 一方の依舞樹は、あからさまにロボットの動作を真似しているような、不思議な挙動だ。

 なんとか、未だ破壊神にはなっていないが、『うぃーん、がしゃん』と効果音でも口走りそうな勢いである。

 すぐにでも転倒しそうな危うさに、目が離せない。


『律。無理ならさっさと切り上げろ。ブース内でゲロを撒き散らすなよ』

「……俺の知っている女の子は『ゲロ』なんて言いません……」


 第六の制御ブースにいるらしいヒナから、無線で通信が入る。鈴の鳴るような愛らしい声で、淡々と『ゲロ』なんて言われると、精神的にもめげそうだ。


 教習機にリンクしたままでは一向に回復しないとわかっていても、気持ち悪さに耐えかねて観覧スペースに腰を下ろし、一息吐く。

 そのまま後方に手をつく体勢で、闘技場を見渡した。


 広い、無機質な空間だ。


 しかしこのドーム状の設備は、国内最高峰の技術の結晶。筐体を扱う技術者達の英知が詰まり、またそれを目指す者達の憧れの場所だ。

 ここで、筐体同士がぶつかり合う。

 各チームが丹精を込めて製作した自信の筐体を、自慢のリンカーに託して勝利を目指すのだ。

 今ではもうメジャーになった、格闘系のエンターテイメント。


 ……ただそうやって、楽しめればいいのに。


「りっちゃーん。だいじょぶ?」

「ダメ。そろそろ落ちます」


 恭祐が心配そうに近寄ってきたが、解決策なんてログオフ以外にはない。

 ということで、プライドなんて元々無いし、恥も忍ばず、堂々とドロップアウトを宣言する。


「えぇぇ……。そんな直ぐに酔うなんて、リンクの同調率に問題あるんじゃない? ねぇねぇ制御室、りっちゃんのスコア、問題ないの?」

『ヒナが見ているんだ、あるわけない。律の場合は、相性と心因性。どうしようもない』

「相性?」


『そうだ。教習機と……いや、教習機以外ともか……とにかく、めんどくさい男なんだ。ヒナがどうにか矯正してやろうと、日々あの手この手で頑張っている』


「……え、ちょっ……ヒナ待て早まるな。『あの手この手』って何なんだ。怖すぎるから俺に報告してからでお願いしま――!」

『拒否する』

「…………」


 ナイフのような切れ味で拒絶された。

 一片の躊躇も無い、冷淡なセリフのヒナ。

 え、最近俺の身の回り、大丈夫だったっけ、と思わず固まったまま頭を巡らせてしまう。


「いいじゃん、いいじゃん。酔わなくなれるなら、ヒナちゃんに一発ガツンとやってもらえば?」

「ガツンてなんだよ。痛いのは嫌だからね! ……ってかそもそもの大前提、俺、プログラム専攻なんですよ……」

「いやいや、リンクは出来るに越したことないっしょー。兼任リンカーも結構いるしさ」


 そう。

 リンクも出来るし、プログラムも組めてハードも扱えるという人間はいる。

 ……いるにはいるのだが、一部の天才を除いて、だいたいはうちの第六みたいに、『俺がやらねば誰がやる!?』という危機迫った研究室の人間だ。


 因みに、第六の所属員は、殆どが学生闘技会でのリンクは経験済み。

 言うまでも無く、萩原以外にリンク専攻の人間がいないからに他ならない。


「じゃあ……恭祐が、プログラム組んでハード弄れるようになったら考える……」

『永遠に来ない条件で基準を作るな』

「いやいやいや! ヒナちゃん酷くない!?」


 無理やり恭祐も巻き込んでみたが、ヒナにあっさりと切り捨てられた。

 恭祐が全力で反論しているが、どう考えても向いてなさそうなことを知ったうえで発言したのは律だ。

 リンク以外に興味なさそうだしなぁ、と脳裏に過ったところで、それじゃ第二の萩原じゃん、と気付く。

 せめて基本的な知識は仕込まないと、という使命感が芽生えた瞬間だった。


「はぁ……じゃ、ゲロ撒き散らす前に落ちるよ……。あー、依舞樹も退場ー。そんな力技でリンクを続けてたら、ログオフした時に大変だぞー」


 溜息交じりに依舞樹にも警告をしておく。

 頑張って筐体を操ろうとしているようだが、あのままでは離脱した時に、肉体との齟齬で大変なことになるだろう。下手したら律よりも酷く、吐き気や眩暈などの症状が出るかもしれない。


「えー、まだ大丈夫だよー! 一条君休んどいていいよー!」


 …………ま、それも経験か。


 依舞樹の、説得力の無さすぎる元気な声を聞き即座に諦めると、律は重たく感じる筐体を操り、よっこらせ、と立ち上がった。


 人のことに構っていられる程、余裕なんて無かったんだよね……と、強く感じ始めた眩暈を堪え、第六研究室のドッグへと帰っていった。







 あー、まいった。

 ここまでダメになっているなんて思わなかった。


 第六研究室の中の洗面スペース。

 洗顔して濡れたままなのを気にすることなく、壁伝いにしゃがみ込んだ律が、大きく息を吐いた。


 つい最近もこんな感じで、リンク直後にトイレに駆け込んだなぁと思い出す。

 幸いにも今日は吐かずに済んだが……ハッキング騒動の時は、まだもう少しマシだったのになぁ、とウンザリした気分は隠せない。


 あの時は色々と緊急事態だったし、意識の半分以上は仮想化ネットワーク上での、ハッカーとの攻防に充てられていたから大丈夫だったのだろう。今日は平常時でのリンク。そりゃあ小さな違和感までも感じ取っちゃうよね、と当たり前の事に納得する。


 でも、気持ち悪いのだから、どうしようもない。

 生理的に合わないのだ。


 教習機という、意思の無い、量産された、鉄の塊。

 それに同化してしまう、あの恐ろしいまでの不気味な感覚。

 リンクして筐体の性能を引き出すことは、何ら難しい事ではない。


 動かし方は、『知っている』。


 だから、リンクして、性能限界まで稼働させ、そして闘うことは出来る。

 でも、ダメだ。

 心が受け付けないから、身体も受け付けない。


 そのせいでフラッシュバックする、記憶の断片。


 ――――疲弊した肉体で、見つめることしか出来なかった、あの赤い色――。


「――律。大丈夫か?」

「……っあー……水、ちょうだい」


 開きっぱなしのドアから、ひょっこりと顔を出したヒナ。

 突然視界に入ったその姿に、思わず大袈裟に驚いてしまう。


 無表情ながらも心配してくれているのだろう、直ぐに備え付けの冷蔵庫へと走ってくれるヒナ。そして、本日もブレることなくゴシック調なレースの手袋をしたまま、冷えたペットボトルを差し出してくれた。


 律は小さく礼を言ってそれを受け取ると、ピトっとおでこにくっつけ、更に大きく深呼吸をした。

 冷えたプラスチックの感触が気持ちいい。

 水も飲みたいが、キャップを開ける握力は出なさそうだ。吐き気が強すぎて、微かに手が震えているのだ。


 どうしようかな、と思っていると、横からヒナがさっとペットボトルを奪い取り、素早く開けてもう一度渡してくれた。


「イケメン……」

「お姫様のように介抱してやろうか?」

「……ヒナの背後にどす黒いものが見える……」

「ふんっ。それだけ無駄口が叩けるなら元気だな」


 ヒナはそう言って、ふわふわに整え直された髪をくるりとひるがえし、洗面スペースから出ていった。

 恐らく、第六の作業を手伝うのだろう。

 律がギブアップした分、誰かが補わねばならないからだ。


 ログオフ前に萩原と会話した限りでは、たぶん萩原自身が教習機にリンクしてくれている。そうなると、空いた全体指揮のポジションは、ヒナが肩代わりすることになる筈だ。

 ……黒井は……まぁいいか。

 どうせあの人は頭数に入っていない。


 それにしても、いっぱい迷惑かけてるなぁ……と、自分の不甲斐なさに落ち込む。

 最初から萩原と作業を交代していたら、もっとスムーズに進んでいたのかなぁ……とか。


 ……ま、こんなことを口に出して、ヒナに聞かれでもしたら、「律が使えない程度で、周りが動揺するとでも思っているなら、相当お目出度い頭だな」なんてグッサリ刺されること受けあいだ。

 萩原にも失笑されること間違いなし。

 人間、謙虚が一番です。


 というわけで、作業が一段落するまで、遠慮なくぐったりしておくことにした。







 そして。

 律が離脱した後の作業は、というと。


『あ、すまん恭祐、そこはもう足りてた』

「ぇええ! それはもっと早く言ってよ!」

『言われる前に気付け。……おい萩原、その椅子はZ区画の分だ。GとZの区別も付けられないのか?』

「はい?」

『ずぃーだ、ずぃー』

「……日本人としては『ゼット』での会話を推奨します」

『グローバリズムの欠片も無い奴だな』

「…………」

「……た、楽しいッスねー。リンカーっていいなー! さぁ、頑張って運びましょうー!」

『おい依舞樹、お前は運ばなくていい。そこでロボットの物真似でも続けて、場を和ませておけ』

「……結構、頑張ってるんだけど……」

「……俺はハラハラしすぎて和めないぃ……」


 グダグダだった。


 律がいるとかいないとかは関係なく、元々グダグダだったが、拍車をかけてグダグダだ。


 他の作業を手伝っている奈央や御子柴が、時々呆れたように苦笑いをする程度には、騒々しく、且つ、無駄だらけの進行状況。


 だが、それが第六研究室。

 所属員からすると、いたって日常的な光景だ。


 特に誰も何も気にする事なく、各々がマイペースに作業を続けている。

 人によっては、設営作業から脱線して、思いついた処理シーケンスを試してみたり、デザインのラフ画を描き始めたりという適当具合。


「え、あ、わ、わぁぁぁああっ……!」

『あ、依舞樹が終了のお知らせだ』

「うわぁ……どうしたらそんな派手に転がれるの……すっげぶっ壊れてる……りっちゃん、おつ……」

「……まぁ澤田はそろそろ限界だったからな。丁度いいだろう」

『おい、ヘッドセット外した途端に吐いてるぞ。誰か見てやれ』

「ひぃぃいっ。初心者+強制遮断のダブルパンチだもんなー。ま、通過儀礼ってことで……」

「……はぁ…………もう今日は、撤収するか……」


 萩原の小さな溜息と共に、今日の設営作業は一旦終了となったのだった。


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