第9話
六
「おーい、一条、ちょっとこっちヘルプー!」
「待って待って一条君、先にこっちの数値見て行って―!」
「あいあい、ちょっと待ってねー」
始業して一か月も経つと、筐体闘技科の殆どの必修は座学から実践よりになっている。
早くもツナギをオイル塗れにしている者から、頑なに制服を着続ける者まで様々だが、皆もう着慣れたスタイルだ。
今はその必修、『筐体工学基礎Ⅰ』。
初日に壊れた教習機は、律自身が徹夜で直したというのに、未だ使われることなく整備室のドックに並んだままだ。
余っている教習機の数を考えると、何故徹夜までして真剣に直したのかと徒労を感じないでもない……。
今日も律は、講師の宮坂に言われるがまま、アシスタントとして制御室や整備室を走り回っている。
「一条、ここのボルトって予備あった?」
「あー」
「一条君、コンパイルエラーが取れないんですが見て頂けません?」
「えー」
「バッテリーで動かしてみたいんだけど、試していいか一条君知ってる?」
「はいはいはいー。ちょっと待ってくださいねーっと」
宮坂は実習に遅れ気味のグループに張り付いて中々手が離せない。
だがそんなことで知的好奇心旺盛なメカニックの手が止まる筈も無く、代わりに皆のターゲットになっているのが律だ。因みにヒナは制御室で呑気に頬杖をつきながらネットワークログを見てるだけ。全く役に立っていない。
部品の在庫状況を参照しながら、奈央が持ってきたパソコンの画面を確認しつつ、バッテリーの使用可否は宮坂に相談しないとなぁ……と考えていると――。
「りっちゃーん、教習機が三台壊れたー」
「はいはいー……って、えぇぇえ?」
整備室へと入ってきた恭祐が、呑気な声でそう報告しながら近づいてくる。
各グループの混沌とする作業スペースを軽いステップで避けていく運動神経は流石リンカー専攻だ。……という感想は置いておいて。
「いやいや、いやいやいや、三台も? リンクもしないで、パソコンの有線接続から疑似命令送るだけの実習じゃん。誰かテンション上がりすぎて取っ組み合いでもしてみたわけ?」
最後は大きなジャンプで隣に立った恭祐を、愕然としながら仰ぎ見る。
「うんにゃ、ドミノった。三台直立停止してー、そのままトン、トン、どかーん」
軽いジェスチャー付きで説明してくれるが、三台が絡んで転倒したとなれば結構な被害だろう。
傍で聞いていた奈央や他の生徒達も、あーあと言わんばかりの表情。全く同じ思いである。
まさかね……、と離れた場所にいる宮坂に視線を送れば、『さっさと行け』と手で追い払われる始末。
……もしかしなくてもまた徹夜かな……?
「どんな状況なの? 怪我人とかいないよね」
「うん、それは大丈夫。ただ倒れてからうんともすんとも動かねーのよ」
「えー、電源周りが逝っちゃったんかなー」
動かない程の破損なんて、どんな惨状か考えるだけで憂鬱だ。行きたくないよーなんて言えるはずも無く、追い立てられるように立ち上がった。
恭祐の誘導の元、散らばる配線たちに引っかからないよう気を付けながら整備室を出る。
このサポートは的確で、律が一人で外に出ようとしていれば倍ぐらいの時間がかかっただろう。それだけ実習中の整備室はカオスな空間なのだ。
やっとのことで訓練場の広いスペースに出ると、目の前に折り重なって倒れる筐体が見えた。
その周りには、担当していたらしい生徒数人が状態を確かめる様に覗き込んでいる。ログを吸い出そうとノートPCを繋げているが、その画面はシグナル無しのエラー文言。
律もその輪に加わると重たい金属の転がる現場を確認した。
教習機らしく、味もそっけもない剥き出しのパーツが傷つき、筐体によっては一部が欠損している。
しかしダメージの殆どは四肢で、胴体にある重要なコアシステムは硬い装甲によってきちんと守られていた。全く動かなくなるような致命的なダメージは無いように見える。が、中を見てみないと正しいことは言えない。
「うーん、アクセスも出来ないんだよね……。何があってこんなことになったの?」
「いやぁそれがよくわからんのよ。なぁ?」
恭祐が気軽に隣の生徒達に声を掛ける。
その中の一人はパソコンから筐体に、リブート命令を何度もトライしていた。
「あ、うん。ちょうど三台一緒に起動準備が出来たので、同時に動かしてみてプログラムでの差異を見ようとしたんですが……」
「三台共、突然停止したんだよ。で、あれ、と思ってる間に一台がバランスを崩してドミノ」
「でも入れてるプログラムは別々の人間が修正したものだし、三台とも同時に停止っていうのが何かおかしくないか」
「どれか一台とか、タイミングが別々っていうならまたわかるんだけどさぁ……共通の根幹に何か問題でもあるんじゃねー?」
一人を皮切りに次々と口を開く生徒。手をオイル汚れで黒くしながら、ここのラインは生きてるだの、あっこの足は倒れる前から動作がおかしかった、取り敢えずコアだけで動かしてみたら、など。
果ては、装甲が脆いから被害が広がったということで、どういう素材でどう補強するかの話にとんでいる。教習機にどこまで求める気だ。
「で、これアクセスしてログ吸い出したいんだけど、一条頼める?」
「出来ればその手順から見せてもらいたい。次同じ事があっても自分でやりたいし」
「あ、というかまだ今日の講義の課題が十分に動作検証出来てないんだ。早めに直して貰いたいんだけど、どれぐらいかかりそう? 俺も手伝うし」
本当にへこたれない。楽しそうで何よりだ。だが。
「みんな俺を何でも屋か何かだと思ってない……?」
脱力しながら呟く。頭の中では瞬時に、コアシステムの状態チェックから物理的な組み直しの時間と、教習機標準プログラムの再インストールまで、全てにかかる時間を計算した。
が、やはり溜息しか出ない。
「何てことを言うのです、りっちゃんさんや。こんなに熱心な後輩を相手に」
「後輩って……いや、確かに先輩になる予定だったかもしれないけども。学業を共にする仲間じゃないですか……。ってもういいや。時間が無いんだった……。はいはいはーい! 原因追及やら研究の続きは整備室に入れてからにしよう。どこかの研究室が次のコマに予約入れてたからね。そろそろ撤収ー」
このままじゃ万一ここですぐに筐体を復旧出来たとしても、原因を調べるために延々と作業が続きそうだ。いや、そうやって終わりなく探求を続ける者達が、『研究室の住人』となっているのだが……。
律の言葉で仕方なく片付けモードに入る生徒達。だが問題はこの筐体の運び出しだ。
「りっちゃん、このバラバラの筐体はどうやって運ぶ? 作業台から落ちてるから、どうにかして乗っけねーと整備室にも入れられないでしょ」
「あー、だね。まぁこういう時の為に、フォークリフトとか色々重機もあるんだけど、ここは訓練場だから。この場に適したもので作業しようか」
その言葉に周囲の注目が集まる。
「……というと?」
期待するような恭祐の瞳。
勿論そうだと笑みを浮かべる。
「筐体以外にないでしょう」
当たり前だが筐体は人間の筋力の何倍もの力が出せる。
元々は人や重機が入れないスペースで作業するために生み出されたロボットなのだ。一トン近い筐体も、同じ筐体を使えば簡単に整備室まで運んでいける。
この一か月、殆ど実力を生かし切れていなかったリンカー専攻の恭祐をはじめ数人は、律の提案に嬉々として参加した。
宮坂も、好きにやればいい、とまだ先程のグループに付きっ切り。どうも宮坂の専門である、人工表皮の筐体転用について話題が膨らんでいるようだ。
どちらかといえばその話題に加わりたい律だったが、誘惑を振り切って余っていた教習機の起動準備を始める。
準備とはいっても大してすることはない。
元々教習機は手を加えなくても正しく動くように調整されているからだ。
整備室に余っていた四台の教習機は着々とブートスタンバイになる。
律は混沌とする整備室と、整然とモニターの並ぶ制御室を行き来しながら、各生徒の準備状況を確認していた。
「お、これって一条君が直したやつだろ。グリスやオイルが新しい」
自分たちの作業を中断して依舞樹や奈央も手伝ってくれている。既に筐体の扱いには慣れたもので、各自が判断して準備を進める。
「あら、そうなのですか。この教習機だけ起動シーケンスが違っていましたので、どうしようかと思っていましたの」
「じゃあ俺りっちゃんが直したやつー」
「牧さんは早くリンクの準備しろよ。吉野さんの準備終わってるってば」
「まじでか」
「他の方の準備はいかがでしょうか。御子柴君、いけそうです?」
「ちょっと待ってくれ」
冷淡な言葉と共にキーボードを叩き続けるのは、制服を一部の隙も無く着込んだ御子柴だ。
講義終了まで時間が無いことを見かねたようで、面倒そうな表情を隠そうともしないままに協力を申し出てくれた。
あの初対面以来、何故か事あるごとに睨まれるのだが、こうやって何かあると手伝ってくれるまでにフレンドリーになった。……だいたい奈央が絡んでいる気がしないでもないが、きっとちゃんと信頼関係を構築している途中なのだと信じたい。
新入生代表の実力は折り紙付きで、御子柴のグループは実習でも抜きん出て順調に進んでおり、宮坂や律にヘルプを求めるシーンは無い。リーダーシップも抜群で、噂では複数の研究室から指名の声がかかっているとかいないとか。
そんな御子柴は、例外なくツナギを黒く汚しているハード専攻のメンバーがベタベタと画面を指差して汚すたびに、眉間に皺を入れながら指の跡を拭いている。
その手が止まり、顔が上がった。
「よし問題ない。リンクを始めよう」
プログラマー勢が筐体にアクセスしネットワークに繋ぐと、そこからはリンカーの仕事だ。
御子柴の言葉で、待機していた恭祐を始めとするリンカーが制御室へと入り、一画に用意されているリンクスペースで専用の座席に座った。そして何本ものケーブルが伸びるヘッドセットを手に取ると慣れた動作で装着していく。
ここからはリンカーの領分なのだ。
ハード担当とプログラム担当の数人を残して、御子柴と奈央も制御室へと移動する。
筐体側の準備が出来たら、今度はリンカーがネットワークに接続して筐体と正常にリンク出来ることを確認しなければならない。
同じく制御室へと移動した律も、ヒナの隣の席に座り自前のパソコンをネットワークに繋いだ。
四台の教習機のシステムログを確認しながら、未だのんびりとネットワークログを見ているヒナに声を掛ける。
「ヒナ、四人のバイタル宜しくな」
「うむ。ヒナちゃんに任せるよろし」
座った椅子が高すぎて足がつかないらしく、可愛く足をプラプラ揺らしながら答えるヒナ。
グっと親指を立てやる気を表しているが、どうもその姿を見る限り頼りない。
しかし、アシスタントとしてこれまでの授業で的確な発言をするヒナを知っているメンバーは、その人選に文句は言わない。
「では牧さんから順次リンクを開始してくれ。整備室、聞こえたな」
中央の席を陣取った御子柴は、デスクについているマイクに向かって声を出した。その言葉に反応するように、強化ガラス越しに見える整備室では筐体の周りに集まる生徒達が、オッケーのジェスチャーをしている。
制御室はその役割上、整備室と訓練場が見渡せるような造りになっているのだ。
「御子柴さん、四台ともネットワークへの接続、リンク状態の安定化、問題ありませんわ」
「有難うございます吉野さん。……牧君、聞こえるか」
『あいあーい。状態オッケーですよー』
御子柴の呼びかけに、中央モニターのスピーカーから返答が聞こえる。ヘッドセットのマイクに拾われた恭祐の声だ。同時に、ガラス越しに見える整備室では恭祐のリンクした教習機が手を振っていた。
こうやって眺めている分には、まるで目の前の人型ロボットが意思を持った言動をしているように見えるだろう。
だが実際には、ヘルメットのように頭を覆うヘッドセットを着け、眠っているようにしか見えないリンカーたちが、その意識を筐体と同化して操作しているのだ。肉体はレム睡眠のような状態に入り、意識は筐体を通して現実世界にいるのだが、肉体側の感覚は無い。
リンク中の聴覚も、筐体に備えられた集音マイクか、制御室との通信装置で行うものしか聞こえないが、声だけは肉体から発せられたものを増幅してモニタリングしている。要は寝言だ。
リンカー側からは、完全に自分の身体が筐体になったかのように自由だ。
筐体が性能を上げるたびに自然と人型に近付くのは、こうやって肉体なのか筐体なのか、リンカーに混同させるためなのではないかと疑いたくなるぐらいに。
その後も、残りの三台の応答を確認した御子柴が頷いた。
「……よし、全員問題なさそうだな。吉野さん、引き続きフォローお願いします。……一条、オッケーだ。動かすぞ」
御子柴が各筐体の接続を確認し、そのフォローに奈央が入るという役割分担でリンクが完了した。
全ての作業をチェックしていた律とヒナも、そのままゴーサインを出す。
基本的に律とヒナはこの講義ではアシスタントのポジション。
個人の力量を超えた部分は除き、先回りして作業に口を出すことはない。なので御子柴と奈央が主導するのなら、問題が発生するまでお役御免だ。
「じゃあ二人組で破損した筐体の回収を宜しく。……落として更に壊すなよ」
『不吉なこと言わないでよー。頑張りまーす』
恭祐の軽口と共に、四台の筐体が整備室から訓練場へと出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます