第7話
四
「ほんっとひどい目に合った。いや合ってる。現在進行形で俺って可哀想」
ぶつぶつと文句を垂れながらたった一人で整備室に残っている律。
既に夜の十時を超え、元々陽光の入らない室内は、人工の光が幾体もの筐体を照らし出している。
整然と並ぶ剥き出しのままの人型ロボット。
眼球に埋め込まれた視覚カメラのレンズが照明を反射し鈍く輝く。
工具がたてる無機質な音が響く空間で、その中の一台、昼間の講義中に腕が取れた教習機を修復中だ。
「教習機にパージ機能がついてないなんて、絶対に予算削減の影響だ。こーなることぐらい、簡単に想像できるのに……」
殆どの一年生は自室にいる時間だろうが、周囲の惨状を見るにまだ終わりそうに無いらしい。
メインフレームは標準のパージ機能で綺麗に外れているが、それ以外は、外れた腕の重みで引き千切れたり弾け飛んだりしていた。切れたケーブルを大元から差し替え、落ちた衝撃で破損した関節の可動部を溶接し直したりと、細かい作業も多く簡単には終わらない。
数々の工具を手慣れた仕草で器用に使いこなし、時折、直接教習機と繋がったパソコンを操作しては疑似コマンドを送り修復状況を確かめている。
まるで骨を接ぐように、血管を這わすように、丁寧に正確に組み直していく律。
真剣な表情で筐体を見つめているが、口から洩れる独り言は恨み節がダラダラだ。
「いや、壊れた教習機をひたすら直させる事によって、学生や講師の筐体スキルを底上げする狙いがあるのか……。いや、絶対そんなに深く考えてない。宮坂の陰謀に違いない……」
「――そう、陰謀論厨の律は、工具片手に鼻息荒く持論を展開し始めた。左手に巻き付けている銅線には何か意味があるのだろうか。先が若干ペンチで曲げられている。もしかしたらこれをダイイングメッセージにした犯行を自作自演するつもりで――「すいません、ごめんなさい、恥ずかしい独白チックな語りは止めてください」」
心地よい一人の空間を堪能していた筈なのに、突如背後から聞こえた独特の抑揚の無い声。
「人が気持ちよく独り言を言っているのに、なんだ?」
振り返ると予想通り、何故か憤慨した表情を作るヒナがいた。
まるで最初からそこにいたかのように、可愛らしく椅子に腰をかけている。
「……ええと、こちらこそ……。誰もいなかったら独り言ぐらいいいよね、なんて思っててすいません。誰にも迷惑はかけてないつもりだったんですが……いつからいたわけ?」
「自分で自分に可哀想なんて言っちゃったあたりからかな。聞かれたと知れば顔から火が出る程恥ずかしかろうと、独り言が終わるまで待っててやったんだが、口を閉ざす気配が無いのでな。自覚していないのかと」
「だったらその優しさでスルーしてくれたら嬉しいんですけど」
「実況してみると案外楽しいことが分かった。これからもこの手で行こう」
「抉りますねぇ。こう、青春の微笑ましい一ページを、ドリルで貫通させる勢いで抉ってきますねぇ」
自分に穴が開いたかのように胸を押さえてみる。
一応同情を誘ったつもりなのだが、ヒナに通用するわけもなく華麗にスルーされた。……ですよねぇ。
「で、まだ終わってないのか」
律の手元を覗き込みながらヒナが問う。一応、同じ宮坂のアシスタントというポジションの筈なのに、なぜ俺だけが頑張っているのだろう。
「手伝って欲しくば新しい闘技用筐体を一体開発――」
「滅相もありません。教習機の腕を組み直すぐらい、もう何なら今日中に終わっちゃいます」
ヒナに全面降伏を宣言して作業に戻る。このままでは本当に新しい闘技用筐体を差し出さなくてならなくなる。ただでさえ、今後もこうやって一人寂しく教習機を直す予定なのに。
パソコンの画面に表示した設計書を参照しながら、腕の配線を確認する。一本ずつ基板にはんだ付けしては、フレームにネジ止めして固定。そして一ブロック完成すると通電確認、という単調な作業を黙々と続ける。
背後のヒナは帰るわけでもなく、椅子に座ったまま届かない足をプラプラと揺らしている。
「今年の一年は面白そうな奴が多いな」
「……恭祐達の事か」
「うむ。依舞樹は下僕に丁度良い」
「可哀想に……」
「とゆうわけで、そろそろ諦めて真面目に単位を取れ。いつまでへらへらしている気だ」
ヒナの淡々とした声の裏に潜む真剣な声音に、思わず手が止まる。そして無意識に溜息を吐きそうになり、寸前で苦笑いへと変えた。
「別にへらへらしてるわけじゃないんだけどなぁ。皆して俺を働かせようとしすぎじゃない?」
「馬車馬の如く働け」
「いや、もう少し優しさをさぁ……」
「筐体闘技にはまだ戻らんのか」
「あー……」
「今年の闘技会も怒り狂った城ヶ崎が、各研究室の筐体を叩き潰していくわけだな」
「やめて。あの顔ホント恐ろしいから」
何かを思い出したのか、小さく肩を竦めて腕をさする律。
冷気がする、何か出そう、とおどける律に、この話題を続ける気は無いと察したらしいヒナがムッとした顔でそっぽを向いた。
ヒナなりに心配してくれているのだということはわかっている。
だが、だからこそそう簡単には巻き戻せない事実が、ある。
鉛を飲み込んだように、重たいものを胸にしまい込み、また淡々とした作業に戻った。
忙しく手元を動かす律と、ぼーっとその作業を見守るヒナ。
無言が気まずい仲ではない。ただ同じ空間を共有するだけ。気が向いたときに会話すればそれでいいのだ。
そんな時間が暫くすると、暇を持て余したのか、ヒナが足をパタパタと遊び始めた。
リズミカルに、だが時折それを狂わせるように変な間をつけて。
パタパタパタパタ……パ、タパタパタパタ、タタン、パタパタパタパ、タ……。
「えぇと……せめて等間隔なリズムにしてくんない? 凄い気になるんですが」
「暇なのだ。変なリズムで律の手元を狂わせてやろうかと……」
「しょうもないことしてないで、暇ならそろそろ帰れ。子供は寝る時間だぞ」
動かす手は止めずに言う。
流石に二十二時過ぎという時間に残って作業する程のものではない。これが卒論や闘技会前ならいざ知らず、教習機なら他にもまだ替えがあるのだ。
今すぐ直さなければいけないものではない。ただ律の場合、出来るときにまとめて作業しておきたかっただけで。
「寝たくなったら寝る」
「このまま寝るなよ」
「本能には逆らわない主義なのだ。……ぐぅ」
「ちょ、抗って! たまには理性が打ち勝って! 理性とは人間が人間たる所以だよ!」
「本当に煩い奴だのう……」
よっこらせ、と顔に似合わない掛け声と共にのっそりと椅子から立ち上がるヒナ。柔らかい髪がふんわりと揺れる様はまるでテレビコマーシャルのようだ。
澄んだガラス玉のような瞳としっかり視線が合う。
「じゃあ、おやすみ、律」
「おやすみ、ヒナ」
小さな歩幅で整備室を出ていくヒナ。
それを見送った律は、両手の工具を一旦置くと大きく伸びをした。
そして数時間後、早朝。
結局ダラダラと作業していたら夜が明けてしまった。
腕の修復が終わってから、内部のプログラムに問題個所を見つけてしまい、思わず起動シーケンスに修正パッチを入れてしまったのだ。今現在問題が無いのだから、とスルー出来なかった自分の完璧主義が恨めしい。
徹夜明け特有の気怠い身体で、修復の完了した教習機をドックに固定し、後片付けをしてから整備室を出る。
朝焼け前の廊下はまだ薄暗い。
白で統一された無機質な廊下が一層寒々しく、黒のカットソーの腕をさすりながら男子寮へ向かって歩く。
筐体闘技科は男女比が9:1程度だ。
なので、この男子寮には筐体闘技科の九割近くの生徒が住んでいることになる。
六階建てで最上階だけが一人部屋、残りは二人部屋という作りだ。一人部屋はほぼ最上級生が住んでおり、毎年、上が抜ける度に一人部屋の争奪戦が始まるのは恒例行事になっている。
広めに作られた玄関ホールに入り、自室へ向かうべくエレベーターのボタンに手を伸ばした時、後ろから走ってくる足音が聞こえた。
「あっれー。りっちゃんだ、おはよー」
「恭祐? 早いな。おはよう」
上下ジャージを着込んだ恭祐が小走りに近付いてきた。
パタパタと胸元に風を送る恭祐。若干汗ばんで息が上がっている。
「何、こんな朝からランニング?」
「そそ。まぁリンカー志望ですしねぇ。体力は基本でしょ」
茶色い髪に派手なピアスがチャラついて見えるのに、リンカーとしての姿勢は至って真面目だ。
しっかりした肩幅に似合った良い体格をしていて、一見してスポーツ全般が得意そうだ。思わず自分の身体を見下ろし溜息を吐く。ダメだ、そもそもインドア派のもやしが敵うはずない。
「りっちゃんこそこんな時間にどしたのん。ヒナちゃんは?」
「俺とヒナをセットみたいに言うのやめてくれる?」
「えー、でもいつも一緒じゃーん」
「てかここ男子寮だしね。いても困ります。……俺はただの徹夜明け。昨日壊れた教習機直してたら夜が明けてた」
「ぁあ……それは本当にお疲れさんでした」
沈痛な表情で手を合わせる恭祐に、鷹揚に頷いて返す。
そしてようやくエレベーターのボタンを押し、二人揃って乗り込んだ。
「じゃあ今帰りなのかー。って、りっちゃん、五階なのね」
律が押したボタンを見ながら二階を押す恭祐。
あぁ、と気の抜けた返事をした律は、エレベーターの壁に凭れながら眠気を堪える様に上を向いた。
「505。同室者いないから一人部屋みたいなもんだよ」
「あ、そんなこともあんのか。俺は202でー、依舞樹は209。だから一回生は二階でー、二回生は三階、とかってなってるのかと思った」
「そんなんしたら毎年部屋移動しなきゃなんないじゃん。基本、新入生は空いてるところに突っ込まれてるだけだよ。六階は仁義なき戦いだけど」
「ほーん。確かに毎年部屋替えは面倒だなー。って、着いた」
控えめな電子音と共にエレベーターの扉が開く。それと同時に足を踏み出した恭祐に向かって、片手を上げた。
「ん、じゃ」
「りっちゃん今日は?」
「必修以外講義入れてないから、休み」
「あははは、自由だなー。じゃあ今日は晩飯にでも誘うわー」
じゃーねー、と手をひらひら振りながら大股で歩いていく恭祐。
まぁ晩までには起きてるか、と半分寝ぼけた頭の片隅で思った。
そして再びエレベーターの扉が開き、五階に到着したアナウンスを聞きながら廊下に降り立つ。
気怠げな歩みで突き当りの角部屋の前に立つと、首にかけていたICカードをかざして鍵を開けた。この寮の鍵は全部屋カードキータイプなのだ。
カチャリ、と開錠する音の後、扉を開けて室内に足を踏み入れた。
外出用に設定しているセキュリティのアラートが鳴っているのを確認し、インターホンで暗証番号を入力する。ここで設定時間内に暗証番号を入れてアラートを止めなければ、不法侵入者と見なして警備室へ通報がいく仕組みになっているのだ。今度は在宅用セキュリティに変更して設定完了。
たかが学生寮にしては厳重なセキュリティだ。しかしこの学生寮が、筐体技術の最先端を歩く学生達の、私的研究資料が膨大に保管されていると考えれば容易に納得できる。
そして律もその学生の筆頭にあたる。
この505号室は、二人部屋を一人用に改造し、できた空間に筐体の開発スペースを確保している特別な部屋だ。数体の筐体フレームと共に、デスクトップPCが三台とリンク用のヘッドセット、簡単な工具類までが所狭しと並んでいる。
唯一綺麗に整えられているベッドの端に腰を下ろし一息吐く。
目の前には美しいフォルムの筐体が、静かに裸身を晒していた。
まるで人間と見紛うような黄金比で造られた、男性とも女性とも取れない無性のボディに、滑らかな人工表皮。しかしその胴体には大きく穴が開いており、中は他の筐体と相違無く、無数の基板と配線が詰め込まれている。
一見、無垢な球体関節人形のような姿形をしていながら、抉り取られたかのように大きく開かれた胸が無残だ。左頬にはATRAの公式筐体を意味するバーコードが印字されている。
ただじっとその筐体を眺める律。
……と、その時。
――ピリリリリ……。
静かな空間に電子音が響いた。ズボンのポケットに入れていた携帯端末の着信音だ。
「……いやいや、まだこんな時間ですけど……?」
室内の時計は午前六時を示す前だ。
思わず不審気な声を出しながらポケットに手を突っ込み、端末のディスプレイを確認した。
「…………」
そして、そっと画面をオフにした。
――ピリリリリ……。
「…………」
――ピリリリリ……ピリリリリ…………トントントン。
「……おいおい」
トントントン……ピリリリリ……ドンドンドンドン。
着信を拒否しても鳴り続ける端末と、取り立ての様に叩かれ始めたドア。
『おーい、起きてるー? 起きてー!』
ドンドンドンッガンッドンドン……!
ドアの外からは、早朝という配慮の欠片も無いボリュームの声が聞こえてくる。反響具合からして、確実に端の部屋の住人にまで聞こえているだろう。
『起きてるでしょー? きっと起きてるよねー? 無視しないでー』
「……っちょっと! 早朝からなんですか! 近所迷惑ですよ!」
耐えかねて怒鳴りながらドアを開けた。
「あー、ほらぁ、起きてたぁ。おはよー、一条君」
「何がおはようですか。起きてたって言うぐらいだから、俺がこれから寝ることぐらいわかってんでしょーがっ、黒井さん!」
ドアの向こうにいたのは律の予想通り、第六研究室の、黒井だ。変に間延びした話し方をする、不健康そうなヒョロ男だが、第六研究室の室長職を担っている。
「だってぇ、電話したのに出てくんなかったのは一条君じゃーん。僕は用事があったのにぃ」
「俺には無いんです。おやすみなさい」
「あぁぁああ、待って待って。ドア閉めないでぇ、僕の足挟まってるー」
「どけてください」
「むーりー。痛いんですけどぉ。部屋に入れてぇー」
足先を捻じ込み、追い出そうとする律に対抗する黒井。
革靴に入る皺の大きさからも分かるが、結構な圧力が加わっているだろうに涙目になりながらも引こうとしない。弱気な姿勢であるのに決して折れない男だ。
「ちょっと手を貸してほしいんだけどー」
「えぇー……」
「お仕事ですよー。うちの研究室の技術班さーん」
「……コレ絶対めんどくさいヤツだ」
「早く呼んでこないと、いくちゃんが怒るんだよねぇ……」
「あなた先輩でしょうが」
後輩に怯える先輩とは如何に。そもそもうちの副室長は『いくちゃん』なんて愛らしいニックネームで呼ばれるような人ではない。
「ちょっと一台、左足の関節の稼働に違和感があるらしいよぉ。闘技から離脱する大義名分なんだから、呼ばれたら来るー。拒否権なぁしー」
「……こうやって呼び出されて直ぐに帰れた試しが無いんですけど」
「あれ、帰る必要あるの?」
無いかもしれない……。
結局、答えに詰まったことを見越した黒井に、揚々と連れて行かれたのだった。
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