第6話
制御室に消えた律はさておき、恭祐たち三人は順調に作業を進めていた。
といっても、興奮しながら筐体を舐め回す依舞樹と、その横で言われるがままに手を出す恭祐。奈央に至ってはそんな二人を完全に無視し、黙々とノートPCにタイピングしている。
既に授業開始から一時間以上は経過している。
恭祐たちの周りでは、不思議な動きをする筐体や、余った部品に頭を捻らせる生徒、ノートPCからビープ音を鳴らしている生徒まで様々。とても騒がしい状態だ。
三人の周囲も、いつの間にか工具と筐体の部品だらけ。動き回れるような床のスペースは無い。
しかし、散乱しているように見える部品だが、実は依舞樹だけにはわかるような配置で置かれていたりするらしい。
「うわ!」
がしゃん、という音と共に恭祐が情けない悲鳴を上げた。
案の定、踏み場の無いスペースを歩こうとしてLANケーブルに足を取られたようだ。運悪くそのままコネクタ部分を踏んでしまい、割れたプラスチックから中の線がぐちゃぐちゃと出てきてしまっている。
「あーLANケーブル壊れちゃったー」
「……どうやったらそんな勢いよく躓けるんだよ」
恭祐が壊れたケーブルをぷらぷらと揺らしながら悲しそうな声を出す。
「ごめんねー。まだ新しいケーブルあったかいなー」
「……はぁ?」
「だぁから、これもうダメでしょー? 新しいのと交換しとくよー」
「自分で直せばいいっしょ、LANケーブルぐらい。長さ余ってない?」
「え、直せるの? どーやって?」
「……本気で言ってる? この筐体闘技科に在籍しておきながらそんなこと言っちゃう?」
依舞樹が若干苛立った視線を恭祐に向ける。
無理もない。
ハードウェア全般を専攻する依舞樹にとってケーブルの自作なんて、取れたボタンを付け直すレベルで当たり前なのだ。
「断線した箇所から切って、周りの外皮を取ってコネクタ嵌めれば完成ですわよ。はい、工具です」
「結線ミスんなよー。スプリットペアなんてしてたら笑ってやるぜ」
「すぷ……? え、え、何?」
「スプリットペアですわ、牧君。この細い線を誤って並べると上手く通信出来ませんの」
「え、あ、うん。それは何となくわかるけど、いや、正しい並べ方というのがですねぇ……」
「……あーもう! やってやるよ、牧さんちゃんと見てろよ」
焦れた依舞樹が恭祐の手からケーブルをひったくる。男らしく胡坐をかくと、ベルトにつけたヒップバッグから工具を取り出した。
興味津々に依舞樹の手元を覗き込む恭祐。
時折「それ剥がしていいの?」なんて茶々を入れては依舞樹に睨まれる。
奈央はその光景を艶やかな黒髪を揺らしながらくすくすと笑った。頬に滑り落ちた髪を細い指で耳にかけ、気をとり直して作業を再開しようとしたタイミングで声が掛かる。
「あの、吉野さん。……ちょっといいかい?」
「はい? あら、御子柴君。どうかなさいました?」
顔を上げると、先程律を牽制した御子柴がノートPCを片手に立っていた。
奈央も立ち上がりスカートの裾を直す。
「ごめん、吉野さんって専攻はプログラムだよね? ソフトウェア関連の試験で僕よりダントツに点数良かった女の子って、吉野さんでしょ」
御子柴は、律に話した時よりだいぶ柔らかい表情で奈央に尋ねる。
友好的な雰囲気に幾分ほっとした顔で奈央は言葉を返した。
「そうなのですか? 申し訳ありません、順位までは知らないものですから……」
「あ、いやいや、別にそこはどうでも良いというか……。こんなエラーが出てしまって吉野さんなら何かわかるかなぁと」
そう言って御子柴がためらいがちに指す画面には、ソースコードのコンパイルエラーが流れていた。真っ黒いコンソール画面にERRORという白文字が目立つ。
彼が現在取り組んでいるのはプログラマーで必須となる、筐体を動かすためのシステム構築だ。
といっても一から全てを作るなんて短期間では不可能なわけで、既に動くサンプルをベースにちょっと手を入れるのが今日の実習。そのちょっと手を入れたソースコードが間違っているらしく、コンパイラに怒られているのだ。
奈央は表示されているエラー文言を確認すると自らのノートPCを横に持って来た。
「恐らくこのAPIの使い方が間違っているんですわ。それはこっちで使う値を返してくれる関数ですので、このように……」
「あぁ成程。これを呼び出すためのパラメータになるのか」
「はい。で、このまま動かすとここの処理で参照先不明になってしまうので……」
「こっちでアドレスを保持しておく方がいいってことか」
二人は画面を挟んで言葉を交わす。
御子柴が奈央に話しかけているとあって、心配した恭祐と依舞樹がチラチラと様子を確認していたが、二人の守備範囲外の話が繰り広げられているので口を挟むことが出来ない。会話が進むうちにプログラマーとしての血が騒ぐのか、二人は白熱した議論を交わし始めた。
こうなってはもう恭祐たちに出番はない。大人しくLANケーブルを直すことに専念する。
「吉野さん、助かったよありがとう。凄い知識量だね」
無事に出来上がったプログラムをネットワーク上にアップすると、御子柴はノートPCを閉じて吉野に礼を伝えた。ついでに賛辞も付け加える。
奈央の指摘をきちんと理解できるということは、御子柴のスキルは低くないということだ。
しかし、他人のソースコードを一読で指摘出来る奈央は、それ以上に凄い。
それを実感した御子柴は奈央の実力を正当に評価した。
「いえ、お役に立てて良かったですわ」
ふわりと肩先にかかる髪を揺らしニッコリと微笑む奈央。
艶やかな笑みを直視してしまった御子柴は、一瞬絶句して呆けた後、今度は無理やり顰めるように真面目な顔をした。
「い、いや本当に、吉野さんのスキルは凄い。……だからこそ、周りの人間は選んだ方がいい」
「……どういうことです?」
奈央は細い眉を寄せ真意を問う。
御子柴は声を低くし恭祐と依舞樹を見た。二人も敵意ある視線を感じて御子柴を見返した。
「LANケーブル如きで騒いで……あまり吉野さんの利益になる人脈だとは思えないな。一条君は留年だって? 論外だろう」
何に苛立っているのか吐き捨てるような物言い。反射的に依舞樹が声を荒げようとするが、恭祐に相手をするなと止められている。
奈央もあまりの発言に虚を突かれて目を丸くした。
……そしてゆっくりと笑顔を浮かべる。
口元に弧を描くだけの、張り付いたような作り物の笑み。
そんな奈央の変化には気付かず、御子柴は更に訴えかけた。
「僕は吉野さんにはもっと有意義なグループで研究をして欲しいと思っているんだ。僕は第一研究室に入る予定だが、良ければ貴女も考えておいてほし――」
「……私、お友達を悪く言う人、嫌いなんです」
「え?」
にっこりと神々しいまでの笑顔を浮かべる奈央。
だが何故か氷点下の邪悪な気配が渦巻いている。
御子柴は顔を引き攣らせた。
「考えを改められるまで、今後一切、話しかけないでくださいます?」
どんな攻撃も弾き返す、見えないバリアが奈央の周りには張られているようだ。
一瞬で無力化された御子柴は、時間が止まった様に引き攣った顔のまま微動だにしない。
ちなみに、横で見ていただけの恭祐と依舞樹も、あまりの恐ろしさに口を半開きにして固まっている。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
誰も何も言えないまま沈黙は続く。
蛇に睨まれた蛙のように、奈央の艶やかな笑顔の前で立ち尽くす御子柴。顔色は青い。
と。
ちょうどそこへ、律が制御室から歩いてきた。
何て間の悪い……、と小さく呟く声は恭祐だ。
「あれー、何してるの? 実習楽しみにしてたんじゃなかったっけ?」
なんで皆止まってるの? と、状況が分からない律は一人首を傾げる。
凍り付いたその場の空気なんてぶち壊すような気軽さだ。
「いいえ、皆さん楽しんでらっしゃいますわよ?」
有無を言わさない笑顔のまま奈央が答える。
正体はわからないが、何だか肌寒いモノを感じた律は、一瞬怯んだものの「そ、そう?」と無難にあやふやな相槌をうった。
あれ、この空気なんだろう、と挙動不審気味に視線を彷徨わせた律は、グループのメンバー以外にもう一人立ち尽くしている人物に気付いて声を上げた。
「……あ! そうそう、えーっと……御子柴君」
「……なんだ」
「さっきネットワークに上げてくれたプログラム、NG。筐体への転送は止めておいたから早めに修正してくれない?」
「…………え?」
唐突に話し出した律。御子柴にノートPCを開かせる。
「あーここここ。この値さぁ、こっちの数値と相乗されるから、コンパイルではエラーにならなくても実行時に落ちるんだよねー」
軽い調子で問題の箇所を御子柴に示す。
キーボードだけで画面を操作する律の手はスムーズだ。
画面を覗き込んだ御子柴は指摘箇所を確認するが、どこに問題あるのかわからず首を捻る。
「……落ちるって、強制終了するのか?」
「いや、腕。腕が落ちる」
「…………は?」
「えーっと……ギャグに聞こえたかもしれないけど、腕がね、落ちちゃうの。外れちゃうの」
「いや……なんで?」
プログラマーが『落ちる』と言えば、イコール、予期しない強制終了という意味だ。
誰もが、筐体が停止しリンクが切断されてしまうような状態を想像していたらしく、想定外の律の言葉に反応が鈍る。……電子機器にあまり詳しくない恭祐だけは、律の言葉を額面どおりに受け取り頷いているが。
「筐体闘技中はやっぱり損傷することがあって、腕を切り離したい時があるんだよ。で、あのプログラムだとその切り離した方がいいっていうセーフティに引っかかって、OS側から勝手に腕が外されちゃうんだ」
「……そんな挙動をするのか……」
「うん。別に闘技用に完成した筐体なら、そのシステムが動いても全然問題ないんだけど、あれ教習機じゃん? 念のため確認したんだけど、そんな高等な装置は搭載されてなくってさぁー。万一その機能が動いたら、そりゃあもうバラバラと分解されちゃうんだよねー。宮坂に筐体壊すなって言われてるから、御子柴君、数値直したのアップし直してくれる?」
若干苦いものを噛んだような表情の御子柴。
無理も無い。好意を持っていない相手に、自分のプログラムのミスを指摘されれば反発したくもなる。
しかし御子柴も新入生代表としてのプライドがあるのだろう。感情を押し殺して憮然とコードを見ながら頷き、返事を口にしようとしたところで――。
「「「あーーー!」」」
遠くで複数の生徒の驚愕したような叫び声が響いた。
律達が慌てて声の方に顔を向けると、一体の教習機の腕が…………もげている。
ぱらぱらぱら……という効果音が聞こえそうな具合で、連結部から細かい部品が落ちていった。
誰もが何もコメント出来ず、落ちていく部品を見つめる。
「…………えぇぇえええええ!? なんで? え、止めたじゃん! 俺のところでNGにして差し戻したじゃん! なんであのプログラムで動いてるの!?」
律の絶望の叫びが響く。
誰も回答を持たないだろうことを自問自答のように言葉に出す律。
と。
後ろからトコトコと歩いてきたヒナが、顎を落とす律に向かってぐっと親指を立てた。
「教えてやろう。ヒナちゃんが承認したからだ」
全くいつもの無表情だというのに、ヒナの瞳は輝いている。いや、律から見れば輝かんばかりに悪意に満ちているだろう。
「なぁぜぇぇえ!?」
「ほら急がんとあの教習機壊れるぞ」
「ちょ、ま、誰か……その、誰か知らないけどそこの人! とりあえず何もしないで余計な動きしないで無理に元に戻そうと思わないでぇぇええ!」
呪文のような早口言葉を唱えながら筐体に向かって走る律。
だが既にあの教習機の腕はご臨終されているだろう。ぱっと見ただけでも、大量の部品が転がっている。
プログラムをアップした御子柴も、気付けなかった奈央も、罪悪感からくる気まずい連帯感
でも生まれたのか、チラリと目を合わせてから、一人慌てる律を助けるべく足を向ける。
「忙しいヤツだな……」
まるで他人事のように呟くヒナに、全員が鬼だと思ったことは間違いない。
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