第5話



 筐体を動かすためには、仮想化技術で構築されたネットワークと、筐体(ハード)、プログラム(ソフト)、操縦者(リンカー)という要素が必要だ。


 ハード面では基本的な機械工学から精密機器の知識、果ては人形師の如く造形技術までが要求される。

 ソフト面では筐体技術専用の特殊な言語を使い、専用OSの組み込みスキルやネットワークの技術が要求される。

 最後にリンカーは、ハード・ソフト両面の基本的な知識を元に、効果的・効率的に筐体を操作する体力、精神力、更に戦闘スキルなどが要求される。


 今日は手始めに、教習用の筐体をカスタマイズし、どうすればどう動くのかを試してみようという授業。


 一年生の専攻はほぼ三等分に分かれているので、適当にグループを組み実習が始まった。もちろん律たちは五人でグループを組んでいる。


 準備されていた整備室に入るやいなや、与えられた筐体を嬉々として分解する依舞樹。テストリンクまで手持ち無沙汰な恭祐は、それを軽く手伝いながら眺めている。奈央は持ち込んだPCを筐体と専用ネットワークの双方に繋ぎ、データの吸い出しとカスタマイズ方針を検討中だ。

 律とヒナは既にこの講義を受けたことがあるので、三人の作業フォローという位置付けでまったりと実習を進めることにした。


 他の生徒達も、各々に筐体の周りに機材を広げ、ワイワイと作業を楽しんでいる。




「牧さんって闘技用の筐体にリンクしたことあんの?」


 教習機の胸部を開きながら恭祐に話しかける依舞樹。

 くるくるといくつもの工具が代わる代わる出てきては、様々な箇所からネジやらケーブルやらを引っ張り出している。その手元は正確で、元来手先が器用なことが窺える。


「そりゃありますわい。入試の適正項目でリンクする試験があるもんねー」

「入試の前は? リンカー専攻ってそういう意味じゃ試験勉強出来ないよなぁ?」

「あー……そうだな。だいたいのヤツは入試で初めてリンクすんじゃね? ……そういう意味じゃフライングかな」

「え、やっぱり前からリンクしてたんだ。俺さぁゲーセンに入ってる擬似筐体にしかリンクしたこと無いんだよね」


 しょげた声を出しながらケーブルを引っ張る依舞樹。

 というのも、通称・筐体と呼ばれる闘技用の筐体に、一般人がリンクする機会は無い。


 作業用ロボットやゲームセンターの筐体は、正式には『擬似筐体』とカテゴライズされ、あくまでも作業者が機械を動かす形のシステムだ。日常のユースケースとして、繊細な感覚操作や反射的な動作は殆ど必要なく、『筐体』のように自分の身体レベルで自由に動かさなくてもいいからだ。リンクをするための訓練がいらず危険も無いので、ゲームセンターや遊園地のアトラクション等として採用されている。


 反対に闘技用筐体は、リンク中に筐体との境界線は感じられず、完全に意識を移した感覚で操作する。正しくシステムが組まれていれば安全だが、万一不備があった場合、感覚神経などの肉体へも影響を与えてしまうことがある。危険度は上がるがその分自由度が上がる、ハイリスクハイリターンな筐体が闘技用だ。


 なので、闘技用筐体は一般には存在せず、日本では、筐体闘技に関する専門分野に属している人間か、自衛隊関連の訓練規定でしか乗る機会はないだろう。

 もちろん、軍事転用されていると言っても、実際の戦争で筐体が使われることは無い。何故なら筐体とリンクするためには、仮想化技術で構築されたネットワークと繋がっている必要があるからだ。紛争地帯にサーバーを立てて広大なリンク環境を作っている間に、実弾でヤラれること間違いない。自衛隊が筐体を扱うのは、危険度の高い模擬訓練を行う場合などの隊員の安全確保の為だ。


「擬似筐体と比べたらホント別モンだからな。注意しとけよー」

「くっそー。闘技用なんてどこでリンクする機会あんだよ……」

「まぁこれからいつでも誰でもリンク出来んじゃん」

「それはそうだけどさぁー……。あ、吉野さんはある?」


 デスクに座ってパソコンの画面を注視していた奈央が、期待に沿えず、という苦笑と共に依舞樹を見る。


「はい。私も父が筐体関係の技術者なもので……」

「がーん。みんなずりぃー……」


 拗ねた依舞樹が子供のように頬を膨らませた。そのまま文句が続きそうだったが……。


 ――ぷすっ。


 依舞樹の作業フォローを黙々としていたヒナが、突然、依舞樹の頬に指を差したのだ。因みに今のは依舞樹の口から空気の抜ける音。


 いきなりナニ、と頬をつつかれたままの依舞樹が情けない顔でヒナを見るが、当のヒナは聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で「そぅ……これはまるで……フグ」なんて呟いている。


 律にとってヒナの変な言動はいつものことだが、まだ慣れていない依舞樹は目を白黒しながらされるがままだ。まぁもう少ししたら助けてやるかなぁ……と思いつつキーボードを叩いていると、ヒナがずずいと依舞樹に顔を寄せた。


 真っ赤な顔で仰け反る依舞樹。


「お前は魚か?」

「は、はい? なぜ魚……」

「なら具体的に聞こう、フグだ」

「フグ?」

「魚類か否か」

「えぇと、陸に上げて欲しいなぁ……なんて」

「お前はエラ呼吸を舐めてるのか? 酸素摂取効率は肺呼吸の四倍ぐらいあったりしちゃうんだぞ」

「……は、はぁ……」


 依舞樹は話を合わせることを断念したようだ。……合わせる以前に、この話に流れもクソもないか。


「おーい、ヒナ。あんまいじめんな」

「心外な。依舞樹が膨れていたのだから仕方ない」


 ふわふわの髪を揺らし、くるりとスカートを大きく翻して、こちらを見るヒナ。真剣な顔で抗議してくるが、いったい何が仕方ないというのか。まぁ聞いてもヒナの思考展開は理解出来ないので、無駄な会話はカット。恐らく拗ねた依舞樹を構ってやろうとしたのだろう……。


 ――むに。

 目の前のヒナのほっぺたを両手でぷにぷにと弄ってみる。見たまんま、柔らくてマシュマロのようなほっぺた。まずはこれの有効活用方法でも摸索すべきかもしれない。


「そうだ、表情筋の運動だ。アンチエイジングに最適らしいぞ。……こう、両頬に力を入れて、口を横ににぃ……っと」


 無表情にされるがままのヒナのほっぺたをびよーんと伸ばしてから手を離す。若干痛かったのか、頬に手を添えたヒナは、少しの間考えてから表情を作った。

 ……ニヤ。


「惜しい、違う。輝くような純真な瞳が絶対条件だった」


 にぱー。


「そうそんな感じで吉野さんみたいに……」


 にこ……。


「……あれ……なんで怖くなるの?」

「一条君? 何か私に含むところでもおありですか?」


 瞬時に奈央からのコメントが入る。にこりと微笑んでいるハズの笑顔は何故か冷気が漂っている。その迫力はどこから生まれるんだ……。


「い、いえそんな……欠片もございません……」


 誠心誠意、他意は無いということを伝えておく。

 今後の人間関係の円滑化を図ろう。うん。




 奈央の無言の圧力を感じつつも、改めて実習作業に戻るべく手元のパソコンに視線を落とした途端――。


「あーそこ。そこの似非先輩二人組」


 各グループを順番に回っていた宮坂が、律とヒナに声を掛けた。

 せっかく作業をし始めたのに、と思いつつ顔を上げる。


「似非先輩? ヒナ達のことか?」

「いや、あの。俺はちゃんと一年生……」

「一条ー、お前が一年生とかギャグだよなぁー。まぁいいや、お前ら別にこの授業いらんだろ。制御室で筐体ネットワークの保守してこい。毎年なんちゃってプログラムをネットワークに流されて筐体壊されるんだわ」

「……はぁ……え?」

「適当に授業受けてないでアシスタントした方が勉強になるぞー?」

「いや、これ必修……」

「アシスタントやるならこの授業の単位はやるって。まぁ文句言わずに手伝えや」


 全く展開が読めないんですけど……と抗議してみるが、その度に素早く宮坂に先手を打たれて口を挟む隙が無い。

 宮坂の話術に翻弄されている間に、あれよあれよと話が流れ、最終的に豪快に笑った宮坂に背中をどーんと叩かれた。


「ぐだぐだ言ってないで、さぁ行け、今すぐ行け、走って行け」

「え、走る必要……」

「無い!」


 力いっぱい言うなよ……、と嘆息しつつも、ネットワークの保守をすることに不満はない。

 受講生だろうが、宮坂のアシスタントだろうが、筐体に携わる勉強という位置づけには大差ないからだ。


「仕方ないなぁ……」


 呆気にとられながらやり取りを見ていた恭祐達に小さく手を挙げ、若干後ろ髪を引かれながらも制御室へ向かう。

 勿論、歩いて。


「あ、教習機が壊れたら責任もって直せよー」


 かっかっかと笑いながら追い討ちをかけてくる宮坂。

 後ろからトコトコと追ってきたヒナに肩を叩かれたのは屈辱以外の何物でもない。



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