第3話
『筐体工学基礎Ⅰ』は一年生の必修なだけあって、闘技筐体の基礎的な技術を養う。
筐体には三つのファクターがある。
まずはハード面で筐体というデバイスが必要だ。そしてデバイスを動かすためのプログラム。最後にプログラムを利用して筐体を操作するリンカーだ。研究室によっては、もっと細かく役割分担しているところもあるが、大まかに分けるとこの三要素で構成される。
そして更に正確に言うと、筐体とリンカーを繋ぐ仮想化技術という要素がある。これは通称VRネットワークと呼ばれ、筐体技術の一般公開当初から極秘だ。使用することは可能だが、改造不可のブラックボックス。
この仮想化技術の特異性、利益の大きさなどを考えると、ATRA社やアルバテル社が技術公開をしなかった理由も頷ける。
この技術を狙って、多くの企業スパイが暗躍していることも良く聞く話なのだ。
「なー、りっちゃんって専攻なにー?」
軽い足取りで真っ白な廊下を歩きながら恭祐が振り返った。
筐体闘技科では二年次以降、ハードデザイナー・プログラマー・リンカーの中から一つを専攻し、より深く技術を学ぶ。だからといって他の専門分野を全く知らずに筐体を設計・稼動させることなど出来ないので、共通知識としてまずは広い範囲を勉強する必要があるのだ。
この『筐体工学基礎』も、筐体の構造から実際のリンクまで、一通りの知識を蓄えるための基礎講義だ。
今は、四コマ続きの講義の最初の二コマが終わり、次からは実習ということで、訓練場へ移動しているところ。
眠たい座学が終わり、恭祐のように動いていないと死んじゃう系の生徒は生き生きとしている。
留年生である律にとっては既に十分に知り尽くした情報だったので、身体が動かせるだけでも有り難いというところだ。
「俺はプログラム。そういう恭祐はリンクだろ」
「あったりー。で、奈央ちゃんもプログラムで依舞樹がハードデザインか」
律ら五人はある程度まとまりながら、奈央の先導で訓練場まで歩いていた。
休憩時間中とあって、廊下には普通科や他の科の生徒が入り混じっている。
研究棟や訓練場は筐体闘技科専用だが、座学で使われる教室は各学科共通の校舎なのだ。唯一色んな学科の人間が集まる校舎のため、一般的な公立高校と変わらない喧騒に包まれている。
「それがどうかしたのか?」
「いんにゃ。いい感じに全部揃ってるなーと思って。あ、ヒナちゃんは何専攻?」
恭祐の問いに、ふわふわとした足取りで歩いていたヒナが口元だけをにやりと動かす。
「ヒナは三つのカテゴリーに縛られない壮大な研究を実行中だ」
専攻はハードだろ、一体何の研究をする気だ。
瞬時に心の中で突っ込んだ律に気付いたのか、ヒナがちらりとこちらを見る。
「教えてあげないぞ、じゃんっ」
昔よく聞いた某お菓子のCMソングのようなリズムだ。別に聞きたくないです、と小さく呟いたところで、依舞樹と話をしていた奈央がこちらを振り返っていた。
「ん。どうかした?」
「……一条君とヒナさんってとても仲良しですのね」
「んんん? 仲良し……そうだなぁー仲良しと言っていいのか……まぁ色々あったしなぁ」
「あら、色々って何ですの? 気になるじゃありませんか」
「いやぁー……ここで生活始めると、本っ当に、色々あるから覚悟しといた方がいいよ。休日に突然ドリルの音で叩き起こされて何事かと思ったら、寮の隣の部屋で壮大な日曜大工をはじめた先輩に爽やかな笑顔でチェーンソーを渡されたり、とある研究室から夜な夜なふわふわした不気味な人影が現れるって噂が立ったから肝試しがてら確認しに行ったら、実は新作の筐体を夜中まで実験していたワーカホリックが毛布被ったまま夢遊病の如く作業していたのが原因だったり、他にも研究室に知らない生徒が入ってきたと思ったら、寮の部屋に何年も引き篭もっていた研究室の正規メンバーだったり……。ヒナが加わって火に油を注ぎまくるから大炎上するのが定番」
律がとつとつと語る『色々』は、奈央の普通科時代には想像出来ない内容だったようだ。途中から大きな目を更に大きく開いたまま停止している。
「…………それは……。……ハードな寮生活が送れそうですわね……」
「えー! めちゃくちゃ楽しそうじゃんか! 俺も先輩達と仲良くしたいなー」
少しゲンナリしている奈央とは反対に、依舞樹は楽しそうに目を輝かせている。何でだ。
「ほら、俺見た目どおり中学の頃は野球部でさー。なんか合宿みたいで面白いよなぁー! 昨日もベッドに入ってから中々寝れなくてもぞもぞしてたら、同室のヤツに枕投げられたんだけど!」
「な、投げられたんですか……。私達女性は個室ですので一人暮らしを始めたようなものです」
あっけらかんと笑う依舞樹に、奈央は少し顔を引き攣らせた。恐らく同室の生徒の安眠を案じたのだろう。
「いぃなぁー女の子ー個室ー。ねーねー聞いてくれます、りっちゃん? 俺の同室相手、超不思議系オタクで会話が成立しなかったんだけどー」
「へぇ……どんまい……」
恭祐が口を尖らせながら文句を言うが、本気で嫌がってる風ではなく完全に面白がってる。一体同室は誰なのだろう、と少し興味を覚えた。
「今日は寮の談話室かどっかで集まろうぜ! 昨日は荷解きでそんな暇無かったし」
「お、いいねぇ。女の子は誘えないから、りっちゃん入れて三人かー。他にも一年来るかな?」
「おいおい、勝手に頭数に入れるなよ」
授業よりも放課後の親睦会に花を咲かせつつ校舎の玄関をくぐる。
訓練場は校舎から少し離れたグラウンド近くに建っていた。そしてその横が筐体闘技科の研究棟――と説明しようとしたところで。
「――あっ……!」
唐突に依舞樹が間抜けな声を出した。
話しながら後ろ向きに歩いていたせいで、玄関マットに躓きよろめいたのだ。
なんとか無様に転ぶような姿は見せず、おっとっと、と声を出しながら数歩たたらを踏んだ。最後、後方に一歩足を出して体勢を立て直した――ように見えたが。
ぐに。
依舞樹の靴は硬い地面踏みしめなかった。
ちょうど玄関から校舎に入ってきた男子生徒の足を、全体重かけて踏んでしまっている。
「ってー!」
「うわぁぁあ! ごめんなさい!」
慌てて飛び退く依舞樹。
よろけた弾みの一歩だったので綺麗に体重が乗っている。踏まれた方は結構痛いだろう。
「ってー……ガキみたいにはしゃいでんじゃねぇよクソが!」
相手は怒り心頭らしくドスの効いた声が廊下に響いた。額には青筋が浮かんでいる。
今にも殴りかかりそうな勢いのそいつは、派手に剃り込みを入れた茶髪にお洒落パーマ。耳のみならず鼻と眉毛にもピアスが埋め込まれている個性派ヤンキーだった。定番の腰パンを下げすぎて花柄のトランクスが丸見えになっている。近寄って因縁つけられたくないなぁ、と思う程度には色んな意味で迫力のある男だ。
「すんませんでした! 以後気を付けます!」
「以後じゃねぇよ! 俺は今痛いんだよ、どーしてくれんだ。あぁ?」
「えぇと、とりあえず保健室に……」
「んなこと聞いてんじゃねぇよ、アホか! お前ら一年坊主か。あんま調子乗ってっとブチのめすぞ」
依舞樹が頭を下げて謝るが、相手のヤンキーは聞く耳持たないようだ。依舞樹の胸倉を掴み、こちらにもガンを飛ばす。
……しかし。それにしても剃り込みすぎだ。
整えたばかりなのか知らないが、剃刀で剃ったようにつるんと輝く一角があり、お洒落なのか洒落なのかわからない。服装やピアスを見ずに頭だけを見れば、これは完全にアウトな髪型なんじゃないかと視線を泳がせてしまう。
全員がなるべく頭を見ないように気を使って視線を彷徨わせているところに、空気なんてまるで読まない変態的不審者が爆弾を落とした。
「謝っているではないか。その辺にしてくれや、ハゲ」
空気が凍りついた。
それはもう音がするぐらい現実世界にヒビが入った。
「な……なんか言ったか、女?」
「う? そこの子猿も必死に謝っているから、男の度量で許してやれと言ったのだ。ハゲ」
「あぁぁぁああああん!? 俺はハゲてねぇえ! これは剃り込みっつーんだっ! ファッションなんだよこういうヘアースタイルなんだよ。知らねぇのか田舎モンがぁああ!」
真っ赤になりぜぇぜぇと反論するヤンキー。
そうか、ファッションだったのか。ただの大惨事じゃなくて良かった。と皆が改めて髪形を確認する。
……だが。
それでもやはりカッコ良くはない。剃りすぎだ。
「う? 心配するな、つるっパゲとは呼ばれん。仮にそうだとしても正しく蛇行性円形脱毛症と呼んでやろう。誤った情報でハゲを傷つけては可哀想だからな」
「だぁからハゲじゃねぇ! 聞けよコラァァアアア!」
依舞樹の胸倉を掴みながらも既に泣きが入っているヤンキー。
自分の大声のせいで、このやり取りが廊下中に聞こえていると気付いていないのだろうか。憐れだ。
ヒナは相手の怒気など全く気にせず、ふわふわと身体を揺らして悲しそうな顔を浮かべた。ビスクドールのような(見た目だけは)完璧な美少女の悲哀な表情は、無駄に周囲の同情を誘う。
「まるでカツオ節が躍っているようなふわふわ感。何故そんな頭になってしまったのか……」
「ナチュラルでエアリーなレイヤー感を出して貰ったんだよっ!」
「そうか、妖精に持って行かれたのか。それは誠に無念、心中お察しするぞ」
「それはフェアリーだろぉがぁぁああ!…………いや……いい。もういい……」
盛大なツッコミに、廊下を歩く無関係な生徒までもが堪えきれず吹き出している。固唾を飲んでやり取りを見つめていた奈央も、静謐な美貌を歪めて笑いを堪えていた。
ヤンキー自身も口喧嘩のレベルの低さに気付いたのか、一気に脱力すると背中を丸めてとぼとぼと歩き出す。
しょんぼりした後姿が何故か可愛い。
せっかく入ってきた校舎の玄関を再度くぐり、学園の正門へと歩いていくヤンキー。
ヒナはそれを見ると小さい手で腕組みをし、ハテ? と首を傾げた。
「頭髪専門クリニックにでも行くのだろうか?」
「ヒナ……お前容赦無いな……」
若干ヤンキーに同情しつつも、これでようやく訓練場へ迎える、と息を吐いた面々だった。
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