第2話
二
「ぃよーう、りーつ」
セリフのわりにテンションの低い可愛らしい声が、始業前の廊下を歩く律を呼び止めた。
今日はオリエンテーションの翌日。
筐体闘技科では既に、平常授業が始まろうとしていた。
律は昨日と同じく、制服のズボンに黒のロンTを着ただけのラフなスタイルだ。様々な学科の生徒が歩く廊下では、正しく制服を着込んだ者ばかりなので目立つが、筐体闘技科の生徒が集まれば逆。学科自体の特殊さや、制服の着用義務が無いということで、学年が上がるごとに制服を着ている者は殆どいなくなるのだ。
律は、適度に長めの黒髪を耳にかけ、聞こえた声を脳内で反芻した。幼い雰囲気の声音なのに平坦で起伏が無い、奇妙な話し方をする人間に心当たりは……。
「ヒナ……」
「どうしたブラザー。朝から鬱陶しい顔をするなよ、落書きしたくなるだろうが」
振り返って目線を大きく下に移動させると、予想通り、愛らしい顔に何の感情も浮かんでない少女が目に入った。腕を隠す総レースの手袋と、黒タイツに厚底リボンの靴が、制服なのにそこはかとなくゴシック調だ。
「お前こそ朝から無表情に絡むな、顔と声とセリフが一致して無いんだよ」
「ほう、一致させれば良いのだな…………ニヤ」
「いや、そっちの方向に一致させるな」
柔らかくウェーブのかかったブラウンの髪は、ボリュームのあるロング。色素の薄い透明感ある肌。制服で隠れているが、細すぎず太すぎない肢体のバランスは隠しきれない。小作りな顔に絶妙なバランスで配置されたパーツは、幼さが残るが文句なく芸術的だ。
が。
その愛らしい顔が、ピュアな笑みを作ることはない。
コイツの顔のテンプレートは『無表情』なのだ。小さな口だけをもそもそと動かし、独特の喋り方をする。
顔は文句無く可愛いが、喋りは棒。
声は『鈴の鳴るような』と表現していい程可愛いが、セリフはカオス。
大惨事じゃないか。
何故こんなことになってしまったのか真剣に問いただしたいレベルなのだ。
「その溜息は何だ。このヒナ様が律の憂いを払ってやろう。遠慮はするなブラザー」
「じゃあ黙っててくれ」
「……ピタリ」
「擬音を声に出すな」
「ふ……細けぇ野郎だな。そんなんだからケツの穴の小せぇ男って言われるんだ」
「言われた事ねぇよっ!」
思い切りツッコんでから、律は大きく肩を落とした。
朝から疲れる……。
構わなければいいのだろうが、どうしても気になるから仕方ない。むしろ適切に突っ込まないと周囲が大惨事だ。
「せっかくこのヒナ様が、留年した律の為を思って一緒に授業を受けてあげようというのに。律はヒナがいると迷惑なのだろうか。あまり楽しそうな顔をしてくれないのでヒナは悲しいぞ」
「えぇえと……ヒナすまん、そうじゃなく――」
「あんまり愚図愚図言ってるとここで制服を破いて、キャー律に襲われましたぐすん、って言っちゃうぞ」
「……それ本気で怖ぇーから……」
ほんとにされたら絶対に捕まると思う。冗談抜きで。
口元を引き攣らせながら平常運転のヒナと廊下を歩く。
ヒナはワケあって第一線を退いているが、筐体技術者としては優秀な人間だ。ハードウェアデザイナーとしての才能を持ち、ソフトやリンクの面でも活躍できる。自らのウデが全ての筐体闘技の世界で、律とヒナは対等に意見を言い合える仲だ。ATRA入学時から気が付けば一緒に馬鹿騒ぎをしていた。
今回も、また律が一年生をやるとわかるとノリノリで同じ講義を登録する暇人だ。もちろんヒナ自身は既に単位取得済み。
ヒナの真意は掴めないが、学校なんだから楽しければそれでいいと思う。無理矢理そう思う。恐らく8割方、律をからかって遊ぶためだけに同じ講義を登録したのだと察していても、結果適度に楽しい学校生活が送れるのならば問題なし。
二人にとっては呼吸するに近しい、無意味な掛け合いを繰り返しながら目的の教室まで歩みを進めた。
『筐体工学基礎Ⅰ』
扉の前に張り出された講義名を確認し、緊張気味に足を踏み入れる。
始業の15分程前だが、既に殆どの生徒が準備をして席に座っていた。
女子生徒は入学式と同じく制服だが、男子生徒はツナギ姿の者がちらほらいる。筐体闘技科は、実習でオイルに塗れることもあるので、男女共にツナギが支給されているのだ。これがあと半月も経つと、半数以上の生徒が楽なツナギになっているだろう。
筐体闘技科の授業は講座単位。クラス単位で授業を受けるわけではないので席は自由だ。にもかかわらず前列から席が埋まっている。一般教養科目など、どの学年の生徒でも気軽に受講できる講義では、もちろん後列から順に埋まっていくのだから皆素直だ。
律はどこに座ろうかと適当に後ろの方を見渡す。と、恭祐が座っているのを見つけたのでそちらに足を向けた。恭祐も勿論Tシャツにツナギというラフな恰好である。
「おーりっちゃん、おはよーさん」
「おはよー」
「おはよぅ諸君。すちゃっ」
律が至って普通に朝の挨拶を返すと、それに続いてヒナも恭祐に声をかけた。最後の『すちゃっ』では敬礼の真似事をしている。
恭祐はヒナの言動をポカンと見つめた後、至極当然の疑問を口にした。
「……誰?」
「私のことが気になるのか? 誠意を尽くせば教えてやらんことも無いことも無いようなあるような――」
「ヒナだ。変態的不審者だから余り相手にしなくていい」
「ちっ」
言葉を遮られたヒナが無表情に悪態をつく。
「えぇーっと……よろしくヒナちゃん」
若干引き気味ながらもちゃんと笑顔を作った恭祐。律の知り合いとあってか、仲良くしようという姿勢が伺える。
が。
ヒナは見ていない。ヒナから話しかけた筈なのに、それを一切忘れさせる程のスルーっぷり。完全に明後日の方向を向いている。
「おい、ヒナ」
「ん? なんだ構って欲しいのか?」
「違うわ、恭祐がよろしくって言ってるだろ。ちゃんと会話のキャッチボールをしろ」
「すまんすまん。ハワイまで脳内旅行していたのだ」
「…………海は綺麗だったか?」
「冗談に決まっているだろう。ネタにマジレスするなんて、恥ずかしい奴め」
「……こいつ……」
「ま、まぁ落ち着けりっちゃん。何となくだいたい色々わかった」
引き攣り笑いでキレる律に、恭祐は苦笑しながらぽんぽんと肩を叩いて宥める。律は、ぅーあーー……と意味のない言葉を発したのち、脱力した。
怒るのがどれだけ無駄か、嫌というほど身に染みている。一切表情を変えない淡々としたヒナを見て、諦めた律は恭祐の隣に腰を下ろした。追従するようにヒナもその横にぽすんと座り、スカートを丁寧に整える。
黙って座っていれば、ヒナはビスクドールのように完成された造形美なのだ。実際、教室内の生徒は静かに座る人形のようなヒナをチラチラと気にかけている。無意識なのだろうがヒナを凝視している生徒もいるぐらいだ。
勿体無い。
非常に勿体無い。
可愛さの無駄遣いだ。
「なぁりっちゃんや。ヒナちゃんもこの講義受けるんか?」
これって一年の必修だよな、と確認する恭祐。
律が留年生だと知っている恭祐には、オリエンテーションで見なかった律の友達=上級生なのだろう。
「あー……別に取得済みの単位の講義を受け直しちゃダメって決まりは無いからなぁ」
「じゃあやっぱ先輩なんだ? びっくりするほど可愛いな」
「可愛さを補って余りあるほどの憎らしさだ。それこそびっくりだぞ」
「んーそれも萌えるわぁー。ぐうかわー」
「ぐうかわ?」
「ぐうの音も出ないほど可愛い」
ダメだ。最高に趣味が悪い。
まだ捻くれた性格の一端しか見て無いからだろう。暫く付き合えば俺の気持ちもわかるはず。……恐らく。
律は何ともコメントのし辛い気持ちを飲み込んで、とりあえず前を向いた。現実逃避に近い。何故なら恭祐が懲りもせずヒナに話しかけているからだ。
ヒナは相変わらず聞いているのかいないのか。
そろそろ恭祐の心も折れるかな、と思っているところで教室の扉が開き、きっちり上までツナギを着込んだ依舞樹とそれに続いて制服姿の奈央が入ってきた。
「おっはよー。……あれー、ね、隣のすっげ可愛い子誰?」
教室に入ってくるなり依舞樹はヒナを指さして小声で問う。
そして瞬時に、人を指さすんじゃありません、と奈央にぴしゃりと叩き落とされた。お母さんと子供か。
「おはー。りっちゃんのお友達だって。ヒナちゃん」
「ヒナ、こっちは依舞樹と吉野さん。迷惑かけんなよ」
律の言葉に彫像と化していたヒナはピクリと反応する。
ゆっくり首を巡らせ、依舞樹と奈央を視界におさめると大きい瞳をパチパチと瞬かせた。丁度奈央の立ち位置がヒナの前だったため、西洋人形と日本人形が並んだような光景だ。正反対の雰囲気を持つ二人がひとつの画面に納まるのは、ある意味壮観だ。
じっくりと二人を観察したヒナは、何故か突然小さな両手を真っ直ぐ頭上に伸ばした。
「ヒナちゃんですにょろー」
いつも通りの平坦な声。無表情なのにニョロニョロとジェスチャーをつけるのは忘れない遊び心。しかし何故そこで笑顔は忘れるんだ! ……いや、笑顔で言われても怖いか……。
依舞樹と奈央はヒナの挙動を茫然と見つめている。無理もない。
「……あ……依舞樹です……」
「コホン、失礼しました。吉野奈央です。宜しくお願い致します」
「まぁこの通りヒナの言動はあまり気にしなくていいから」
「にょろにょろにょろにょろー」
しつこくにょろにょろするヒナにチョップをしつつ、きちんとフォローは怠らない。
初対面の人にはヒナの生態系ちゃんと伝えておかなければ危険なのだ。俺が。知らないところで大災害が起きないとも限らない。
「気にしなくて良いとはなんだ。ヒナと律の間柄ではないか。そのお友達とも仲良くするのは重要なことだろう。ヒナの身体を好き勝手もてあそんでおいて責任逃れをする気か」
「うわぁあああ! 人聞きの悪いコト言うなよ!」
「ん? ヒナの身体を隅から隅まで舐め回しておいて、の方が良かったか?」
「どっちもアウトだバカヤロウ。普通に『律の友達です、宜しく』で十分だよ」
「ならそれを早く言ってくれたまえ」
淡々と言葉を返して机の上にだらん、と身体を投げ出すヒナ。ふわふわの髪に顔を埋めて、上目がちに唇を尖らせる姿は非常に可愛い。
何も返す気力は無くただ肩を落とす律を、恭祐だけが再度ポンと慰めた。
「で。本当にヒナちゃんと肉体の関係が……」
「ねぇよボケ!」
そしてオチのように始業ベルが鳴ったのだった。
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