第1話






 四月。

 珍しく桜が八部咲きと見頃になったATRA学園入学式。


 ここは名前の通り、玩具メーカー・ATRA社が出資する学校だ。

 巨大な敷地に寮や校舎、食堂や購買といった施設全般を兼ね備えるATRA学園の高等部は、普通科や特進科から、五年過程の特殊学科である筐体闘技科までをも内包している。


 広い講堂からは式典の終了を告げるアナウンスが聞こえ、期待と不安で頬を紅潮させた新入生が退場してきた。

 卸したての制服は、ベースの黒色が強調されたシックなデザインだ。有名なデザイナーが手がけたらしく女子には人気が高いのだが、筐体闘技科では式典以外での着用義務はない。

 スーツ姿の職員が、退場してきた筐体闘技科の新入生を教室へ誘導している。式典の後は入寮案内や履修登録のため、オリエンテーションが行われるのだ。

 病院の無菌室のような真っ白い廊下に、黒い制服姿の生徒がぞろぞろと列を成す光景はさながら蟻の行列。


 一条律は、そんな新入生だらけの廊下を、気まずい表情で見つめていた。


「やっべー……。皆しっかり制服じゃん……」


 色だけは制服と同系色の黒だが、完全に私服姿の律。通行の邪魔にならないよう、進行方向から逸れて廊下に立っているが、ちらちらと横目に刺さる新入生の視線が痛い。


 私服+制服のズボン+ICカードを首から下げただけ、という出で立ちのせいで、完全に上級生と勘違いされている。


 時折目のあった新入生に目礼されるが、律はれっきとしたATRA学園の『一年生』だ。


 一人として私服姿の一年生はいない。

 着替えてくるかな……と頭をよぎるが、次のチャイムまで五分を切っている。他の学科と違い、筐体闘技科は全寮制で、学校の敷地内に寮があるのだが、無駄に広いせいで気軽に戻る気も起きない。


 きっと一人だけ浮くんだろうなー、と重い気分になりながら、新入生がうようよしている教室へ足を向けた。


「あーあ。去年も出たんだから免除してくれんかなー」


 そう、一条律は『今年も、一年生』なのだ。





 筐体闘技科の教室は、四十程度の座席が置かれた広めの教室だ。

 座席は一人一人のスペースが広く取られており、教室というよりも会社のデスクのようなイメージ。既に律を除いた全員が着席している。


 隣の教室からは、普通科の生徒たちの賑やかな声が聞こえているが、この教室では新入生同士のそんな雰囲気はない。殆どの生徒が落ち着いて自分の席に座り、携帯端末を触ったり、配布されたシラバスを眺めている。

 特殊学科である筐体闘技科は、入学に年齢制限が無いため、比較的年齢が高そうな大人もいれば、絶対にこの世界からは縁遠そうな派手な人など様々だ。女性は五人だけだが、この分野としては十分多い。決して高校の教室とは思えない静かな雰囲気に、数人の生徒は緊張の面持ちで顔を伏せている。


 そうそう、最初はこんな感じで凄い真面目な雰囲気なんだよねー、とヒトゴトのように感じながら、一つだけ余っている廊下側最後尾の席に近づいた。ホワイトボードに着席順が貼られているが、残った席が一番端のそこだけならば見るまでもない。


 律にとっては馴染みのある椅子を引き、静かに着席する。

 手荷物も無く、机の上にも何も置かれていない。周りの生徒の机には様々な資料が広がっているが、留年生の分なんて無い、ということだろう。

 適当に資料を眺めていることも出来ず、手持ち無沙汰になった律はポケットから携帯端末を取り出した。


 ……早くオリエンテーション始まらないかな。完全にアウェイじゃん。と、机に身体を預けて脱力する。

 何か目的があるわけでもなく、とりあえず携帯端末の画面ロックを外したところで、横の席の男が椅子を鳴らした。


「あのー。はじめましてー」


 軽快な声だ。

 律はだらけた姿勢のまま、顔だけを声の方向へ向けた。

 すると胡散臭いまでの笑顔をした男が、小さく手を挙げてこちらを見ている。制服をすらりと着こなし、茶髪のかかる耳元にはピアスが光っていて、他の緊張気味な新入生と違ってラフな雰囲気が気安い。


「隣の席ってことで、よろしくねー。俺は牧恭祐」

「ぁ……ハジメマシテ。一条律です」


 声を掛けられるとは思っていなかったので、少し戸惑いつつも愛想笑いを返す。

 向こうは律の反応があったことに安堵したのか顔を緩めた。


「ここに座ってるってことは一年生? 同じクラスってこと?」

「そうそう。同じ一年生」

「そんな格好してていーの?」


 恭祐が指差した先を追って、自分の恰好を再確認する。襟首の広い黒の長袖ロンTを軽く腕まくりし、制服のズボンを履いただけ。至ってラフな普段着だ。


「いや、入学式は出て無いから……」

「え、入学式出てないのん?」

「あー……既に入学はしてて……」


 言葉を濁しながら頬杖をつき、明後日の方向を睨む。

 こんな晴れやかな日になんて残酷な質問をしてくるのだ、と思いながらも特に良い代替表現は出てこない。それに、晴れやかなのはここの新入生だけで、留年生にとっては全くめでたくも何にもない日だった。

 じゃあ、ま、いっか。と、ストレートに答えることにする。


「俺、留年だから」

「りゅーねん!?」


 恭祐が面白そうに、だが心底驚いた表情で声を上げた。

 そりゃそうだろう。この名門ATRA学園の筐体闘技科は、とりわけレベルの高い生徒が集まった難関だ。入試倍率もさることながら、普通科へ転科する脱落者率も高い。選ばれた生徒だけが筐体闘技科の卒業生として、筐体技術の最先端で働けるのだ。

 そんな筐体闘技科で、普通科へ転科するわけでもなく留年が許されるというのは、あまり例が無いだろう。


「へぇ……じゃあ先輩だったってことだ」

「……まぁそういうコトになってたかもしれない感じデス」


 好奇の目が面倒臭くなり、カタコトのように返事をする。だが恭祐はそんな律の反応で更に面白そうに顔を輝かせた。


「えー、何で留年ー? そこらへん面白いから聞かせてよん。あ、俺の事は恭祐って呼んでー、りっちゃん」

「りっちゃん?」

「律って名前のニックネームは『りっちゃん』で相場が決まってるじゃんー」

「……それ女の子の場合じゃね?」

「お気になさらず。で。何で留年してんの? 筐体闘技科って生き残りシビアって言うじゃん。後学の為にも教えてプリーズ」


 強引に話を戻す恭祐。ニックネームの拒否なんてさらさら聞く気は無いようだ。

 人の傷口を抉るような話題をするなよ……と言いかけて、そういえば全く気にしていないことに気付く。留年の理由をきちんと話すのは面倒臭すぎるので、どうやって気を逸らすか悩んでいると、前方の席から新しい声が割り込んだ。


「あら、それは私も聞きたいですわ。反面教師として」

「俺も俺も!」


 ちょうど律と恭祐の前の席に座る、日本人形のような真っ黒の髪を肩上で切り揃えた少女と、犬コロのように目を輝かせているスポーツ刈りの少年がこちらを振り返った。


「私は吉野奈央と申します。同じ新入生として、これから宜しくお願い致します」


 奈央は丁寧に挨拶をして頭を下げた。ピンと胸を張った美しい姿勢と、濡れた黒曜石のような瞳がとても印象的だ。まさに着物を着てお茶でも点てていそうな純和風な雰囲気。


「俺は澤田依舞樹。依舞樹でいーぜ、宜しくな! いやー皆すげぇ賢そうだからちょっとビビッてたぜー」


 あはははーと照れたように笑う依舞樹は新入生の初々しさが滲み出ている。恭祐も依舞樹の感想に同意して和やかな空気が流れている。……が、ちょっと待て。そうなると、俺は賢く見えないから話しかけ易いってことか?


「んで? 勿体ぶるなよ、りっちゃん」

「勿体ぶるも何も……特に面白い話なんてないよ。ただ出席日数が足りなくて単位が取れなかっただけ。はい終了ー。今年は皆勤賞目指しまーす」


 投げやりに宣言する。

 実際ただの出席日数不足なのだ。日数さえ足りていれば成績的には問題無かった……ハズ。そう信じたい。

 心の中で自分を慰めた律は、もう話題終了とばかりに両手をひらひらと振った。

 しかし大して面白い話が聞けなかった恭祐と依舞樹は、更なる話題を求めてブーイングを送る。新入生としてはどんな話でもいいから学生生活について聞きたいのだろう。出来れば学校案内ぐらいしてほしいぜー、と口々に訴える。

 すると、おしとやかに頬に手を当てた奈央が口を開いた。


「学園のご案内でしたら私が出来ますわ。私、普通科からの転科生ですので」

「え、マヂで? 奈央ちゃんは転科生なの?」


 意外な発言に恭祐をはじめ、律も驚きの声を上げた。

 狭き門の筐体闘技科を目指し、現役高校生/大学生が入試も受けるケースはよくある。だが、さすがにATRA学園の在校生が、筐体闘技科へ転科というのは珍しい。

 恭祐の馴れ馴れしい呼び方に、眉も動かさず笑って受け流した奈央は、転科の経緯を語った。


「元々筐体闘技科志望だったのですけれど、入試の段階では家族が反対致しまして。とりあえずATRAの普通科に通いながら説得を続けて、晴れて今年許可が出ましたの。転科の申請をして試験と適正チェックで合格しましたので、筐体闘技科の一年生として入学し直し、というわけです」

「へぇ……転科って合格枠があるわけじゃないから、相当優秀な人しか取らないって聞くよ。凄いなぁー」


 律の感嘆の声に奈央は上品に笑って謙遜した。が、ふと気になることがあったのか細い首をかしげる。白い頬に漆黒の髪がサラサラと流れた。

 奈央は思案気に間を取ると、ほんのり紅く色づいている小さな唇を開いた。


「あの、一条君……。私、どこかで貴方とお会いしたことがあると思うんですが……」


 長い睫毛の隙間から、自然に潤んだ瞳がこちらをじっと見つめている。

 印象的な純和風の美少女だ。

 会ったことがあるなら覚えていてもいい筈だが……。


「……うーん、どこで会ったかな……?」

「…………すみません、私も良く覚えてなくて……」

「そっか……」


 具体的な場所でも言ってくれれば何か分かったかもしれないが、残念ながら奈央の方も記憶が曖昧なようだ。

 ハッキリ、人違いだよ、とも言えずに、ただただ観察されるだけの沈黙が下りていると、暫くして諦めたのか残念そうな吐息を漏らした。


「ふぅ……すみません、やっぱりちゃんと思い出せないようです。私の思い違いでしたらごめんなさい」

「いえいえお気になさらず」


 覚えてなければ仕方ない。モヤっと気になるが、こっちは全くの初対面としか思えないからそれでいいだろう。


「こ、この展開は……っ。奈央ちゃん、古典的ナンパですかい?」

「牧君、言葉を選んでくださいな。そんなはしたない真似、するとでも?」


 微妙な空気を払拭するように大袈裟に冗談を言った恭祐と、それに素早く反応した奈央。ニコリと微笑んでいるが、どこか冷え冷えする空気を纏っているのは気のせいだろうか。薔薇を背負って唇に弧を描くが、目は全く笑っていない奈央は、その美貌と相まって迫力がある。

 冷たい空気を察した律と恭祐がぞわりと背筋を震わせたが、依舞樹だけは素直に額面通り受け取ったらしく、深く頷いて同意している。ツワモノだ。


「うんうん、何言ってんだか……。あ、そうだ、二人は校内で擦れ違ってたんじゃねーの? 普通科とも校舎一緒だろ?」

「その線もあるけど……うーん……」

「すれ違ったような感じではないのですが……やっぱりわかりませんね。すみません、お騒がせしました」

「いや、こっちこそなんかゴメン。まぁ同じ学校にいたなら会ってたかもしれないしね。とりあえずこれから宜しく」

「はい、宜しくお願い致します」


 ふわりと奈央が顔を綻ばせる。白い頬が桃色に染まり艶やかな瞳を笑顔に細めた。

 思わずそれを直視した依舞樹が赤面して硬直するが、目敏い恭祐に指摘され慌てて手を振って誤魔化している。


「いやーそれにしても面白いメンバーだなぁー。りっちゃん留年だし奈央ちゃん転科だし、因みに俺は既に高卒。だから四年次に編入みたいな資格貰ってるけど、この学校単位制だしあんま関係ないかなー。あ、依舞樹は中学からストレートか?」

「え、高卒って……俺が一番年下ぁー?」

「依舞樹ちんちくりんだから、見た通りじゃん」

「牧さんひでぇ……」


 そうこう雑談を続けるうちに、担当らしい三十代ぐらいの男性講師が小脇に沢山の資料を持って教室に入ってきた。

 ここの教室は、大きなホワイトボードにプロジェクタ、数台の講師用PCが設置され、学生の各席にも電源やLAN環境が整えられている。各自自由にノートPCを持ち込んでも良いように机も広い。


 講師がPCに電源を入れたところで、全員きちんと座り直した。後ろを向いて談笑していた、奈央や依舞樹も前を向く。


「はーい、注目。改めて。入学おめでとう。暫く担当することになる、宮坂だ。これから講義の登録方法や研究室制度、入寮に関する注意を説明するので良く聞くように」


 宮坂はそう挨拶するとさっそくプロジェクタに資料を映し、説明を始めた。




 ATRA学園・筐体闘技科。

 日本でも数少ない筐体技術を専門に学ぶ学科が筐体闘技科だ。

 ATRA学園の普通科は公立高校と特に変わりないが、筐体闘技科は基本的に全寮制。高等専門学校に大学のような研究室を足したような特殊な学科で、単位制の五年課程を採用している。


 筐体闘技科の生徒は一年目から研究室への所属を推奨される。それは、研究室単位で取得できる必修単位があるからだ。


 研究室で取得できる単位の一つに、『全国学生闘技大会』での成績がある。

 年に数度ある学生のみを対象とした闘技で、企業からの引き抜きもあるほど非常に重要度の高い大会だ。

 この学生闘技の参加資格は、研究室所属の『チーム』であること。つまり研究室に属していなければ参加の資格が得られないのだ。そもそも筐体闘技科の卒業先の進路は、殆どが実業団チームや企業の専属筐体研究員。であれば、学生の時分からチーム単位で成果を上げる共同作業に慣れておくべきだ、と名目されている。


 普通科が三年間通学して卒業するのに対し、筐体闘技科は全寮制の五年制。

 五年間も、寮と研究室に入り浸ることになる。

 研究室によっては奇人変人のオンパレードになるため、普通科からは魔境として避けられているとかなんとか。


  ――これが、ATRA学園・筐体闘技科だ。




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