キープアライブ
しののめ すぴこ
序章
序章
激しい衝撃音と共に、うす赤い液体が弾けて垂れる。
受けた衝撃は、痛みよりも視覚的なもの。
右肘から先が潰され折られ千切れて飛んでいくのを人事のように見ていた。
腕が捻じ切れる鈍い切断音と一緒に、赤い飛沫を撒き散らす。
花火のように、彼岸花のように飛び散ったそれは、真っ白い床を赤く汚した。
やがて。
重量感のある落下音が聞こえ、それが千切れ飛んだ腕だと認識した。
『大丈夫か!?』
大丈夫だ、これは俺の腕じゃない。
耳元のスピーカから聞こえる甲高い叫び声には何も返さず、自らに言い聞かせるように心の中で何度も反芻する。
そう、千切れたのはただの金属の塊だ。
視界の端に見える千切れた『腕』。熱と衝撃で溶けた表皮が垂れ、金属の骨組みがむき出しになっている。特殊なうす赤いオイルは、まるで血液のように破壊された腕の周りに滴り広がっていた。
これは肉体じゃない。
これは筐体、金属の塊だ。
だから、『痛いハズが無い』。
微かに呟くが、それはただ言葉をなぞるだけ。頭が納得していないから期待する処理が出来ず、感覚の全てが痛みに溢れる。
強烈な拒絶反応。
人間は強すぎる痛みで失神することもあるというが、そう簡単に逃避させてくれない現実が意識を留めさせる。
『おおーっと、ATRA側の筐体が大ダメージ! 企業対決はアルバテルが制すか!?』
円形の闘技場内に実況の声が響く。
見渡せば万になるだろう観客がひしめく中、巨大なスクリーンが、中央の白い闘技エリアをモニタリングしている。
そこには一体の人型ロボットの、凄惨な状態が映し出されていた。
黒いシャープな形状をした人型駆動傀儡。通称はそのまま『筐体』。人間サイズの人型ロボットだ。その筐体に『リンカー』と呼ばれるプレイヤーが遠隔からアクセスし、操作する仕組みを持つ。
筐体同士の格闘技を筐体闘技と言い、工学系エンジニアを中心に注目を集める、新進のエンターテイメントだ。
モニターに大きく写る自分の筐体は、右腕が千切れ骨組みや配線が丸見えになっていた。破壊された部位からは時折火花が散り、他にも筐体が纏っていた衣装や表皮が焦げ付いて、一目で満身創痍と見える。
人を模したフォルムなだけあり、傷つき欠損した姿は生々しい。
しかし大きなダメージは右腕だけ。
闘技の継続に影響は、無い。
思考の片隅の冷静な部分が筐体のダメージレポートを確認し、続行可能の結論を出す。
『数値的には問題ないが……続けられるか?』
「右腕の駆動系をシャットダウンしました。……続けます」
自らの肉体ではないが、リンク中の筐体は自分の手足も同然。全ての制御はリンカーの指示で行われる。
右腕欠損のような大きなダメージは、リンカーの精神にも影響を及ぼすと言われている。この状況下では制御を放棄し、ただの金属片として補完するのがセオリーだ。
定石通り右腕への電力供給を止め、耐え難い痛みを再現させていた感覚神経への干渉を切る。
すると、ふっと痛みが消えた。
しかし代わりに、右腕部分が、冷たい真っ暗の空間になったような錯覚に陥る。
そう、錯覚だ。
頭ではわかっている。それでも、自らの肉体が欠損したような恐怖に駆られるのだ。筐体を操作する経験はそれなりに積んできたが、この感覚だけはいつまで経っても慣れるものじゃない。
『おい良く聞け。ATRAは負けるわけにはいかない。絶対に、だ』
真剣な声が筐体の耳元にあるスピーカーを通して聞こえる。オペレータールームにいるチームリーダーの声だ。
五感全てを筐体とリンクしている今、筐体を通した意思疎通しか出来ないため、無線通信で音声を届けているのだ。自身の肉体は闘技エリアの外、オペレータールームの奥で寝ているだろう。
『筐体が人に有害なものであってはいけない。その為にも、絶対にお前のENSは最強でなくてはならない』
声を聞きながら構えを取る。
目の前には、相対する敵チーム・アルバテルの筐体が三体。
足元には無残に破壊された仲間の筐体が二体。
『ENSの筐体データを絶対に奪わせるな。そしてエンターテイメントとしての筐体闘技で、勝て』
当たり前だ、言われなくてもわかっている。
筐体が息をするわけではないが、体中が興奮するのを深呼吸するイメージで落ち着かせる。
徐々に頭が冷えてきて……そして。
ひたり、と目の前の三体を見据た。
筐体の長い脚部を蹴り上げる――。
『やはり! やはりやはり! 最強はATRAのENS! 不敗伝説を更新しました!』
怒号のような歓声がうねりになり闘技場内に響いた。
足元に倒れ転がるアルバテルの筐体。既にリンカーは切断され、ただの金属の塊になっている。
それを暫く見つめてから視線を上げ、滑らかな動作で観衆の声援に答礼した。満身創痍ながらも、堂々とした王者のものだ。
退場の間も歓声が止むことはない。
腕を振りつつ向かったのは闘技エリアに併設された整備室。筐体を整備班に預ければ、リンカーとしての義務は終わる。
シャッターの開け放たれた整備室には、無残に転がるいくつもの筐体が並んでいた。
闘技エリアから回収された人の形を成す金属の塊。偽物の皮膚は剥がされ、偽物の眼球は抉られている。四肢が無い筐体もあれば、頭部が破壊されているもの、真っ二つに切断されてるものも。およそ人型ロボットとは呼べない凄惨な状態だ。
正しく停止出来なかった筐体からは白煙が上がり、整備室はむっとした熱気に包まれている。周囲ではスタッフが走り回り、熱暴走する筐体や、漏れ流れるオイルに特殊なパウダー状の消火剤を撒いていた。
途切れそうな意識を必死に繋ぎ止め、整備室の一角に自らの筐体を休ませる。
安定して静止したことを確認してから、リンカー専用の切断コマンドを流した。
――ログオフ。
ぷつん、と視界が閉ざされ、奇妙な浮遊感に襲われる。
暗闇の中、川を逆流するようなイメージ。
デジタル信号に支配されていた五感が、現実世界に戻ってくる為の儀式だ。
水面から顔を出したように、意識は突如鮮明となる――――。
「ヒナ……ヒナ!!」
「救急班は早く! 複数のリンカーが意識を取り戻さない!!」
「だめだ、呼吸が止まってる……」
「脈が見つからないぞ! 誰かAED持って来い!」
「ヒナ……」
「……ダメかもしれんなぁ……」
***
人型駆動傀儡、通称『筐体』を人々が扱いだして早数年。
玩具メーカー・ATRAと機械メーカー・アルバテルがロボット工学分野で共同研究して開発したものだ。
当初は危険地帯での作業用に開発された、単純な二足歩行ロボット。しかしそれは両社の思惑を超えて、想定外に出来が良かった。
見た目としての完成度は今現在の最新鋭に遠く及ばないが、遠隔で操作するための仮想技術は当時で既に完成されていたと言っていい。特殊なヘッドセットを取り付けて、専用の筐体ネットワークにアクセスする。たったそれだけで、脳の電気信号を筐体へ送り、感覚的に操作出来るという、革命的なプロトコルを確立した二社。
次第に筐体は性能を上げ、それと共にフォルムも、自然と人型に近付いていった。
それは、リンクした一部の人間が、自らの肉体と混同しパニックを起こすほどのものだった。筐体から受信する情報は、それ程までにリアルだったのだ。
そう。
不気味なまでに、出来が良すぎた。
筐体も、筐体に載せるシステムも、ある程度は技術公開されている。しかしその中核となる仮想技術は、ネットワーク上に展開された断片的な情報のみ。
それでも加速度的に普及していった筐体技術は、やがて国家プロジェクトとして扱われることになる。
その先駆けとして展開されたのは、仮想技術の一部をフィルタリングした『疑似筐体』。
最新鋭の筐体は、あまりにも諸刃の剣だと判断されたからだ。最新鋭の筐体は、言うなればF1カー。特筆した性能だけを追っていっても、扱える人が少なければ意味が無いのだ。『疑似筐体』は、普通乗用車、あるいはゴーカートのように、あらゆる人が簡易に扱える事をコンセプトにされている。
結果、正式な『筐体』を扱えるのは、許可を持った限られた場所・人間だけということになった。
『疑似筐体』は工事現場やゲームセンター、公共施設など、あらゆる場面で利用されることになり、研究も更に加速していった。
商業色の強い疑似筐体は収益を見込め、参入してくる企業も多かったのだ。
筐体本来の技術革新も目覚ましい。
人間と遜色ないレベルで細かい操作が出来る筐体や、軟らかい表皮を纏ったドールのような筐体、筐体同士を闘わせる格闘技用の筐体まで、様々に開発されていったのだった。
そんな急速に進化を遂げている筐体技術だったが、ある日、突如としてATRA社とアルバテル社は、共同研究関係を解いた。
そしてそのまま大きな対立へと発展する。
何が原因で対立し、結果どうなったのか詳細は不明だ。
しかし数年に及んだ企業抗争の解決手段として、筐体同士の戦闘勝敗が使われたのは公然の事実として噂されている。
ATRA対アルバテル。
円形の闘技場を舞台に、各企業の代表筐体同士が潰し合った。
一部の工学系エンジニアの間で楽しまれていた、筐体を使って戦闘するというマイナーな大会を勝敗の手段としたのだ。
大企業が本気で参加するとあり、それは大々的に中継され、反響も大きく『筐体闘技』は一般的にも一つのジャンルとして確立した。
企業抗争は結果、ATRAが勝利し、アルバテルはATRAに統廃合される形となった。
ATRAの勝利に貢献したのは、最強の筐体『ENS』。
リンカーの名前も筐体のデータも何も公開されていないが、どれだけ破壊されても決して倒れなかった不敗の筐体だ。
企業抗争が終結して早四年。
一般団体や実業団チームでの『筐体闘技』が盛んになり、熱い声が続々寄せられ続けているが、今現在、『ENS』が公の場に姿を見せたことはない。
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