魔術を行使する者

 巨大な犬の呻き声が自身の直ぐ側から聞こえる。だが、三つ分の呻き声がそれ以上近づくことは無かった。恐る恐る目を開けてみれば眼前に迫った巨大な犬は足を踏み出した耐性のまま固まっていた。


「そこの君! 長くは持たないから早くこっちへ!」


 巨大な犬の後ろから女性の声が聞こえる。


「早く! 私の術じゃ多頭犬ケルベロスはそう長く押さえられない!」


 そこまで言われて初めて足が動いた。目の前の脅威よりも何よりも、自分以外の生きた人に会えると、その喜びが強かった。多頭犬の横をすり抜けて反対側へと駆けていく。そして、すり抜けた先で待っていた人影へと近づいていく。


 長い杖を持った女性だった。長い白髪に透き通るような白い肌が特徴的な、あるいはこんな状況でなければ見惚れて足を止めてしまうだろう女性だった。


「我が光は闇を統べるもの……我が光帯をもって闇を繋ぐもの……」


 彼女の言葉に呼応するかのように彼女の周りの空間が輝く。右手で持った杖で空を切る。流れるように左手に持ち替え空間をかき回す。その度に彼女の周囲は輝き瞬く。


「ジュノーの名の下に……縛れ!」


 言葉と共に杖で地面を打ち付ける。彼女の周囲で光っていたそれは地面に吸い込まれるように消えていく。

 そして、光が消えた瞬間に背後から多頭犬の唸り声が大きくなる。思わず振り向けば白く光る帯のようなもので多頭犬が拘束されていた。


「今のうちに逃げるよ……こっちへ……」


 唐突に手を引かれる。唖然としていた為か、そのまま彼女に引っ張られるようにして駅から離れていった。




 駅から十分ほど離れたところを、僕は彼女に手を引かれ歩いていた。駅から離れるとすぐに都市の面影はなくなり、鬱蒼と木々が生える森へと姿を変える。


「貴方名前は? この辺りの人じゃないよね……その服、見たこと無いけどどこから着たの?」


 歩を緩めずに彼女が聞いてくる。


「碇京介です、元々はこの町の住人でした……貴女こそ何者ですか、さっきの不思議な現象は?」


 唐突に彼女が歩みを止める。そして疑うような目を向ける。

「貴方本当に人間? 吸血種ヴァンプの変化魔術とかじゃないわよね」


 何故か疑いの目を向けられる。しばらく全身をくまなく睨まれた後、今度は呆れ顔に変わる。


「吸血種ならそもそも多頭犬に追われることも無いか……」


 そう一人で納得される。その後、彼女は僕にこう問いかけてくるのだった。


「それで、なんで貴方は能力も使わずにただ走って逃げ回っていたのかしら」


「能力って……さっきの君が使ったアレのことかな」


 それなら答えは簡単だ。使えるはずがない。少なくとも彼女がしたことは僕が知っている知識では説明が出来ない。

 しかし、彼女の反応は予想とは全く違うものだった。


「貴方まさか……本当に何も知らないの?」


 まるで知っていて当然の事を知らないのかと言わんばかりの彼女の反応で、ようやく僕は異世界に来たのだと思い至った。


「……いいわ、ひとまず貴方のことは置いておきましょう」


 彼女は腰に下げた杖を手に取る。そして、駅の時と同じように杖を振り始める。


「我が光は闇を統べるもの……我が光帯をもって闇を繋ぐもの……」


 駅で聞いたものと同じだった。そして彼女は光を纏いながら言葉を続ける。


「我が行路は光と共に……我が足跡は闇の内へと……」


 彼女は言葉を続けながら杖を振る。そして、少しの沈黙の後に光は収まる。


「念のために追跡防止の魔術を使ったわ、これで多頭犬に追われる心配はないと思う……」


 その後彼女は再び杖を降り始める。彼女を中心として再び空間が輝き始める。そして、同じように言葉を続けていく。

 しばらくした後に光が収まり、彼女は杖を腰に下げる。


「ひとまず貴方は魔物が化けているわけでは無いのはわかったわ、と言っても詳しい話は後で聞かせてもらうから」


彼女はそう言うと歩きだす、そして少ししてからこちらを振り返り、


「忘れてた、私はジュノー……よろしくね?」


彼女はそう言って歩き出すのだった。

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一度終わった世界で スズハラ シンジ @disturb000

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