第2ー2話 とある草原にて

 青空から降り注ぐ陽光に目を瞬きながら、優斗はその半身を起こした。体が傾いて、危うく倒れかける。丘の斜面に寝転がっていたのだと分かったが、なぜ、こんな所にいるのか皆目見当がつかなかった。


 確か、学校に行く途中、何かの気配を感じて路地裏に入り――。そこまで思い出して、優斗ははっと辺りを見回した。だが、その恐怖心とは裏腹に、草葉が広がっている光景は長閑のどか。獣はもちろん、人の子さえいない。


 優斗は安堵したように息を落とし、その場から立ち上がった。


 「ここは、いったい…?」


 少なくとも、日本のどこかではないだろう。今年は暖冬とはいえ、ここはあまりに温かい。季節が正反対なのだ。


 そもそも、なぜ豹に喰われて、こんな未知の場所に連れて来られるのだろう。優斗の生はあの瞬間で既に終わっていた。それとも、ここが死後の世界とでもいうのだろうか。


 「ああ! クソ!!」


 考えても埒があかない。まずは街や村に行って、情報を集めよう。どうして、優斗がここへ連れて来られたのかは謎だが、この世界を知っていれば何かと有利に事が運ぶかもしれない。



 そんな甘い期待を抱いていた。

 

 陽は傾き始め、抜ける様だった青空も黒と紅の濃淡によって、夜の気配を漂わせ始めている。しかし、それほどの時間を歩き続けても、街の姿はおろか人影すら見えない。しまいには、日の入りと同調するように気温が下がってくる始末だ。温かいとはいえ、宿もなしに、コート一枚でこの夜を凌ぐには、さすがに厳しいだろう。


 優斗が俯いたその時、後方から、草原を駆ける轟音とそれを操る人の声が聞こえてきた。振り返ってみると、やはり馬車が迫ってくる。優斗は破顔して近寄ったが、肝心の「馬」を見ると足を止めてしまった。


 所々に黒い斑点があるその体には、艷やかな短毛も、風に揺らされて跳ねる尻尾もない。堕落者特有の細い目と、取ってつけたような、後頭部に伸びた角が印象的だ。


 とても馬とは言い難い生物に、優斗は動揺を禁じ得なかった。今まさに、ここが正真正銘の異世界だという根拠を得たのだ。


 「あの、どうかなさいましたか?」


 混乱していたせいだろう。女性(人間)が席から降りたのに優斗は全く気付かなかった。


 「え? えーと、道に迷ってしまって…。あははは」


 適当についた嘘を笑って誤魔化したが、相手は真に受けたように、


「まあ! それは災難でしたね。どうぞお乗りになって」


 「い、いいんですか?」


 驚きの表情を浮かべて問うと、柔和な笑みで「さあ」と促される。


 「ありがとうございます!」


 手を貸してもらい、数時間ぶりに席に座ると人心地ついて息を吐いた。


 我ながら、なんという強運だろう。死を覚悟したその時に、まさか救いの手が差し伸べられるとは。しかも、と優斗は横を見やる。


 暗くて容姿までは分からなかったが、間近で見ると類を見ない程の美人だ。端正な顔立ちはもちろん、腰まで伸びた金髪と水晶の如く透き通ったサファイア色の瞳がよく似合う。着ている服は簡素だが、それが逆に凛とした雰囲気を醸し出していた。


 「ところで、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか? 私はパトレア。パトレア・ワスバールです。こう見えて商人をしておりますの」


 見惚れていた、などとは悟られぬよう、優斗は平然と答えた。


 「俺は、蔦木優斗っていいます。商人さんですかー。こんなところまで来るなんて、大変ですね」


 「いえいえ、いつものことですから。それよりユウトさん、とおっしゃいましたか。変わった名前ですね。ユウさん、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 美女に上目遣いに言われて、「拒否します」と答える男が何処にいるだろう。だが、それを顔に出すほど優斗は愚かではない。


 「そりゃあ、もちろん。なんと言ってもパトレアさんは命の恩人ですから」


 パトレアは微笑して「照れちゃいますね」と言い、真面目な表情で付け加えた。


 「もしかして、ユウさんは異界から来られたのでしょうか?」 


 その一言は、優斗を動揺させるには充分だった。


 「どうして、そう思うんですか?」


 冷静さを失うまいと口を開いたが、声音は狼狽を隠しきれていない。


 「私は以前、ユウさん以外の異界の方とお会いしたことがあるんです」


 予想を超えた回答に、優斗は再度驚く。だが、考えてみても不思議はない。現に、優斗はこうして転移してきたのだ。前例があってもおかしくはないだろう。


 「この世界では、異世界転移、なんてのはよくあるんですか?」


 パトレアは、「うーん」と考える仕草をしてから答えた。


 「生きた状態で見つかるのはごく稀ですね。大抵は腕や足などの部位が発見されるので。」


 腕や足、と聞いて優斗は自分を喰った猛獣を思い出した。確かに、あの牙に引き裂かれては命はまずないだろう。


 「あの方も、ユウさんと同じ黒髪でした。この国では黒髪の人なんて見ませんから、それはもう珍しいんです」


 唇に手を当て空を仰ぐ姿はまるで、いや、完全にあれだろ。


 「パトレアさんは、その人のことが好きだったんですね」


 ぽつりと呟いた一言に、パトレアは赤面して優斗を見る。


 「そ、そんな!! まあ、お似合いだね、みたいなことは言われましたけど、そのような関係では…」


 叫びながら優斗の背を叩くが、勢いがあまりに強く前のめりになってしまう。なんだこのギャップは、と驚愕していると本人は照れたように頬に手を当てた。


 「ごめんなさい。でも、やっぱり気づいちゃいました?」


 「ええ、はい」


 即答し、またも繰り出される叩打を華麗に避ける。

 

 その時、果てしなく続くと思われていた水平線から、巨大な塊が出現した。


 「見えてきましたね」


 切り替え速っ! とはあえて言わないでおこう。


 「あれがこの国最大の都市、アルーナの街です」


 沈んだ日を背に、鮮やかな光が草原を照らし出した。



 


 


 


 


 

 


 

 


 



 


 


 


 


 


 


 


 




 




 


 



 


 

 


 


 


 


 

 


 

 


 




 




 

 




 

 

 

 


 

 




 


 



 




 


 


 




 


 


 


 


 




 

 


 


 


 

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幻獣の鎖 灰魔 @0731

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