ケース2:ジョン・バーグリーの症例
「赤い屋根のレンガのお
街の人に聞いた情報を頼りに、俺がウェスカーさんの家にたどり着いた頃にはすでに昼時を過ぎていた。
「やぁ、ダグラス。待っていたよ。」
そう言って温かく出迎えてくれたウェスカーさんと俺は玄関先で軽く握手を交わした。
ウェスカーさんのお宅はやや古びてはいるものの隅々まで掃除が行き届いており、俺に与えられた部屋も十分すぎるほどの広さだった。
俺はソファに自分のカバンをおろすと、持って来た荷物を解く事にした。
2週間限定なので当然荷物も最小限だ。
「ダグラス、ちょっといいかな。」
俺が暇つぶしに棚に置いてあった本をめくっていると、軽いドアのノックと共にウェスカーさんが部屋の中へと入ってきた。
「今から私は買い物に行ってくるが、何か必要な物があるかね。」
「じゃあビールか何かを頼む。今日は疲れたからゆっくりと眠りたいんだ。」
そう言って俺がわずかばかりの小銭を渡すとウェスカーさんは車で買い物へと出掛けていった。
俺は手にした本を読みながら、ベッドに横たわるとそのまま歩き疲れた足を十分に伸ばす事にした。
…ゴン…ゴン…ゴン…ゴン…
いつの間にか眠ってしまっていた俺は、ふいに規則的に聞こえてくるある物音で目を覚ました。辺りはすでにすっかりと暗くなっている。
…ゴン…ゴン…ゴン…ゴン…
どうやらその規則的な音は、家の外から聞こえてくるらしい。
俺は部屋の明かりをつけると、自分の部屋の窓から外を覗いてみたが、高く育った庭の木のお陰で外の様子など全くわからなかった。
…ゴン…ゴン…ゴン…ゴン…
相変わらず音は続いている。
俺が仕方なく上着を羽織りながら階段を降りていくと、どうやらその物音は玄関のドアの向こうから聞こえてきているようだった。
「ウェスカーさん、荷物が多くてドアが開けれないのか?」
そう思った俺が何の気なしに玄関のドアを開けてみると、そこには無表情でうつむいたままの中年男性が無言で立ちすくんでいた。
「えっと…何かご用ですか?ウェスカーさんは今買い物に出かけてて…」
俺がそう話かけてもその男性はうつむいたまま、ただ無表情に一点を見つめ続けているだけだった。
心なしか顔色も悪く、ゆらりゆらりとわずかに体が前後に揺れている。
「あの…大丈夫ですか?」
声を掛けても反応のない彼を案じ、俺が彼の顔を覗き込んだ瞬間…
俺はある異変に気づいた。
ある異変…
それは彼の額が赤く腫れあがり、うっすらと血まで滲んでいたのだ。
つまりあの規則的な音はドアのノックなどではなく、彼が規則的にドアに頭を打ち続けていた音だったのだ。
その事に気がついた瞬間、俺の体は恐怖で一気にこわばり始め、全身をつたう冷たい汗とともに心臓が大きく高鳴った。
「…な…なんなんだ!お前は…!」
思わず後退りをする俺の動きに合わせてか、ゆらりゆらりと揺れながらその男は部屋の中へと入ってきた。
俺は恐怖で震え、全く言うことを聞かなくなった足を必死で引きずりながら男との距離を離していく。
そして俺が部屋の隅へと追い詰められた時、
壁に猟銃がかかっていた事に気がついた俺は震える手でそれを掴み、いまだゆっくりと移動してくるその男に向かって構えた。
「動くな!動くと撃つぞ!!」
そう言って銃を構えたまま、大声でその男を威嚇する俺。
だがその男はそんな俺の声すら届いていないかのように、ただゆっくりと俺の方に近づいて来る。
「動くな!本当に撃つぞ!」
俺は震える声と手をこらえながら再度男に向かって叫んだ。
全く止まる様子のない男。
自分の頬をつたう汗を感じながら、ついに俺がその猟銃の引き金を引こうとした瞬間…
「ダグラス!その人を撃ってはいけない!!」
ウェスカーさんがものすごい勢いで部屋の中へと戻って来た。
「え?ウェスカーさん?」
ウェスカーさんの声にハッとした俺は、そのまま銃の構えをおろした。
「ビックリしただろう。驚かせてすまない。この人はジョン。俺の飲み友達なんだ。」
そう言ってウェスカーさんはその男の側に行くと、その男は振り向く様子もなく相変わらず一点を無表情に見つめたまま、ウェスカーさんに向かって握った拳を差し出した。
ウェスカーさんがその拳をゆっくりと開いてみると、中からクシャクシャになった二枚の札が出てきた。
「あぁ…昨日の金を返しに来てくれたのか。いいんだよ、金なんていつでも。」
そう言うとウェスカーさんは彼の背中をさすりながら彼を玄関へと誘導した。
「気をつけて帰るんだよ。あと明日は必ずマルッセルの劇場に行くんだ。分かったかい?ジョン。必ずだよ。」
そう言って彼に玄関の外へと出るように促したウェスカーさんは、彼が歩いて去っていくのをしばらく見送ると、ゆっくりと玄関のドアを閉めた。
「えっと…あの人はなんか重い病気か何かなのか…?」
猟銃を元の位置へと戻しながら尋ねる俺に、
ウェスカーさんは溜め息をつきながらこう答えた。
「いいや、彼は普通の人だったよ。少なくとも昨日私とバーで飲んでいた時まではね。」
こうして俺はこの奇妙な事件を皮切りに、この街の住民の奇行とマルッセル劇場の関係を徐々に知っていく事となったのだった。
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