転がる。
1.文化祭が始まった
文化祭に体育祭。土日に続けて行われるそれらイベントは、去年とても憂鬱だった。文化祭も体育祭も、団体行動ができなければ全く楽しめないからだ。去年の文化祭は一人で出し物を見て回り、時間を潰すために本を二冊も持ってきて、黙々と校舎裏で読んだものだった。体育祭もそうだ。手持無沙汰で、退屈で、情けなくて、こんなイベント、滅んでしまえと呪ったものだった。
今年は全く違って、準備の段階から忙殺されている。大谷さんも川野さんも、ひどく殺気立って仕事をこなしているし、わたしもそれに追いつこうと何も考えられないでいる。思えば夏休みは色々あったものだけれど――花火大会で総一郎を怒らせたり、総一郎がまた剣道を始めたり――、そういうことを噛み締められるのは、家に帰ってからだけだ。でも、家に帰ってお風呂に入り、ほっと一息つけるのも最近は貴重なことで、チャットアプリでの演劇部のグループトークによってわたしのプライベートは浸食されていると言っても過言ではなかった。
「町田さんの衣装、裾にビーズを通した輪っかみたいなのをつけたらどうかと思ってさ。ほら、キラキラ感が足りないでしょ」「はあ? これからつけるの? 誰がやんの? やるなら夏子一人でやれば?」「いいじゃん、皆でやれば間に合うよ」「皆? またあんたの理想に皆を巻き込むの?」「だって初めての舞台だよ。印象に残りたいし、新入部員を集めたいしさ」「まあまあ、先輩たち、ここで喧嘩はよして。真島さんと町田先輩、稽古で疲れてると思いますよ。ゆっくりさせてあげましょうよ」
大谷さんと川野さんの言い争いに、最後に割って入ったのは技術班として入ってくれた石田君だ。照明に音声にと大活躍してくれているこの器用な下級生は、如才なくわたしたち役者組を気遣ってくれた。ミシンを使っての衣装づくりも完璧にこなし、わたしたち他の部員はこの男子を手放したくないという強い思いを持っている。
ありがとう、石田君、とつぶやき、わたしはベッドでまどろむ。そこで携帯電話が鳴った。またかと思ってアプリを開くと、総一郎だった。ほっとして口元がほころぶ。
「大丈夫? 今日疲れてたみたいだけど」
「大丈夫だよ。明日が本番だもんね。それまで体力温存して頑張るよ」
「ならいいけど……」
と、そこに渚からのグループトークが入ってきた。メンバーはわたしと渚と岸君と総一郎だ。岸君は最近このグループトークに参加しない。彼は夏休みに渚に告白して振られて以来、わたしや渚から離れているのだ。そのことを知って、わたしはぎゅっと心が痛んだのを覚えている。岸君も渚も全く悪くないのに、巡り合わせやそれぞれの関係によって、わたしたちはこんな形に気まずくなってしまった。
「歌子、大丈夫? あたしも総一郎たちも応援してるよ。頑張ってね」
「ありがとう。明日はやらなきゃなって気持ちが出て来た。燃えてるよ、わたし」
「よかった」
しばらく会話が終わったままだったけれど、寝るころになって携帯電話がまた鳴った。驚いたことに、グループトークに岸君が参加していた。
「応援してるぜ!」
顔文字やスタンプで飾り立てられた岸君のメッセージは、何だかとても嬉しかった。
「愚痴なら聞くから」
すぐに同じグループトークに総一郎からメッセージが来た。こちらは飾りが一切ない。
「ありがとう。じゃあ、劇が終わってから聞いてもらおうかな」
わたしはにっこり笑いながら返した。これまでの演劇部での言い争いや稽古の辛さや体調管理の厳しさを忘れられるくらいに、総一郎の言葉は優しかった。
*
本番の朝、心配が顔に出た両親に送り出され、わたしは学校に向かった。文化祭のために、校門が飾り立てられている。ピンク色の紙の花で囲まれた、学校名と「文化祭」の文字。市内では他の学校も同じ日に文化祭や体育祭をするようになっているので、他の学校から人が来たり、ひどく人が増えたりはしないのだが、校門に吸い込まれる生徒たちは、皆浮足立っている。
教室に入ると、出し物であるダンスの稽古がまだ行われていて、わたしも少しは手伝った派手な衣装は一人ずつ纏われ、メイクを済ませた生徒もどんどん増えていく。完成に近づいて行っている。自分の劇のときのことを想像してどきどきした。
わたしが出る劇は午後からで、部活紹介のコーナーだから、今から考えれば少しは時間があるが、事前に着替えてメイクをして控えておかなくてはならない。しっかり間に合わせ、うろたえることなく演じ切らなければならない。緊張した。
きゃあっ、と声が上がった。見ると拓人がターコイズブルーのエキゾチックなふわっとした衣装を着て教室の入口に立っており、メイクを済ませたらしくアイラインと軽いアイシャドウを塗られていて、いつもと違う感じがした。女子は色めき出っている。確かに今日の拓人はテレビに出てくるアイドルのように見える。彼は目をぱちくりし、「変?」などと訊き、「似合うよ」という言葉を引き出して照れ笑いをしている。
彼はわたしに近づいてきて、「どうどう? 似合う?」と訊く。
「うん」
「冷た! おれ今日のためにめちゃくちゃしごかれたんだぞ。褒めてくれたっていいじゃん」
「似合うよ」
「……まあいいけど。歌子も緊張してるだろうしな。頑張れよ」
「拓人もね」
拓人はクラスの出し物に選ばれたメンバーの一人で、男女混合のチームで踊ることになっていた。
「緊張するー」
「おれはすぐ終わるけど、歌子は午後からだもんな。緊張が長く続くなあ」
「衣装は頑張って仕上げたし、大谷さんがばたばたしないようにってゆっくりさせてくれてるんだ。だから大丈夫だよ」
わたしは深呼吸をした。拓人は笑い、まあ、頑張れよ、と手を振った。
慌ただしい教室を出て、二組の教室に向かった。廊下も似たようなものだ。文化祭が始まってすぐに出し物をするクラスは、ばたばたと何かしらの作業をしている。うちのクラスが演劇をするのではなくて本当によかった、と思う。多分今回よりも多くのことに巻き込まれた。そのせいで演劇部に集中できなかったと思う。
二組に入ると、うちのクラスよりはゆっくりしていた。順番が後なのだ。今回は番号が大きいクラスから順に発表をする。
「歌子」
総一郎がわたしを見つけて近づいてきた。岸君もいる。
「五組バタバタしてるんじゃない? 大丈夫?」
岸君が訊くが、わたしはこう返す。
「皆の顔を見たら落ち着くかなと思ってね」
総一郎は微笑んだ。岸君は、「おれはついでだろ」と茶化す。そんなことはないのだけれど。昨日のメッセージは、とても嬉しかったから。
「渚は?」
きょろきょろと教室内を覗くが、彼女はいない。
「購買部の横のテラスだと思うよ」
岸君が言う。今彼女と行動を共にしていないのに、よくわかるなと思う。本当に好きなんだなとも。
「ありがと。行ってくる」
廊下の窓からテラスが見える。彼女は確かにいて、手すりに寄りかかって風に髪を揺らしていた。
「渚」
声をかけると、渚は振り向いた。ぼんやりした顔だった。
「ああ、歌子。今日本番だね。頑張ってね」
「何か、元気ないね」
彼女は白い手すりに全身をゆだね、空を見上げる。
「やっぱ気まずいよねえ」
「岸君?」
「うん」
「友達だもんね」
「うん。友達にしかなれない、とも言えるけど」
「……岸君とは、無理?」
「無理だねえ。まあさ、色々事情があってね」
「事情?」
「歌子にも話せない、事情」
どきっとした。彼女は遠くを真剣な目で見つめ、その目の中にわたしがいないことを感じさせた。彼女の奥底にある、言えないこと。それを暴きたい気持ちもあるけれど、それはするべきではないとわかる。
「おっと、もうすぐホームルームだよ。教室に戻ろう」
渚は腕時計を見て手すりから離れた。わたしはそれについて行き、頭が混乱しそうになるのを抑え、今日のことだけを考えた。
*
うちのクラスの出し物は、豪華な紙吹雪と共に華やかに終わった。予算が限られている割には派手にできたと思う。音楽もそれなりによかったし、拓人たち出演者は今、満面の笑顔だし、成功したほうだろう。すぐに次のクラスの出し物が始まる。拓人が隣に滑り込んできた。汗の匂いがする。
「はー、疲れた」
「よかったよ。練習の甲斐あったね」
「そういう歌子はリラックスしてきたな」
「他の人たちの出し物を見てたら落ち着いてきた」
「レベル低いな、よし! って感じ?」
「違うよ」
わたしは笑う。拓人は他のダンスのメンバーに急き立てられ、立ち上がって衣装を脱ぎに教室に向かった。わたしは一安心して隣の川野さんを見た。彼女はずっとぴりぴりしていた。
二年生の出し物が終わるまでは、生徒全員が自由行動できない。わたしは川野さんと二人で座っていた。別に離れていてもよかったけれど、自分たちの劇が気になって、つい話しに来て、元の場所に戻れなくなったのだ。大谷さんは自分の友達と一緒にいて、楽しそうに盛り上がっている。
「川野さん、緊張してる?」
そっと訊くが、無視される。彼女は怖い顔で舞台をにらみ、今までよりも不愛想だ。ついにわたしはその出し物が終わるとトイレ休憩に体育館を離れ、近くの女子トイレで鏡を見つめていた。
彼女はいつもあんな感じだ。気にすることはないと思うけれど――嫌な気分だ。
「聞いた?」
大きな声が聞こえ、わたしは体をびくっとさせて鏡を見つめなおした。どやどやと後ろを通るのは、女子バスケ部の同級生たちだ。笑っている。
「ミドリムシ、演劇部だってー」
「まじ?」
「演劇すんの?」
「うん。声の出演とかするらしいよ」
「ふ、うける」
「あいつ目立ちたがりだもんねー。張り切ってるんじゃない?」
「懲りてないよねー」
わたしはそっとその場を離れた。ミドリムシ? 演劇部の? 川野さんは美登里という名前だ。ということは、川野さんのあだ名だろうか? ……川野さんは、いじめられていたのだろうか?
体育館に戻り、川野さんの隣にまた座る。川野さんは、わたしをちらりと見て、また前を向く。出し物は進んでいく。わたしは川野さんのことしか考えられなくなる。
ついには二年生の出し物は全て終わり、それなりに盛り上がった気分で生徒たちは昼食に向かった。わたしは川野さんが立ち上がるのに、声をかけた。思わず大きな声になって、驚いた。
「川野さん! あの」
「……何?」
川野さんは先程よりはリラックスした表情で、それでも無気力に、わたしを見た。
「が、頑張ろうね!」
わたしがこぶしを作ると、川野さんは突然ふっと笑い、
「熱心だね」
と返す。
「川野さんだって熱心だよ。これまで一生懸命衣装やったり稽古したりしたじゃん。大谷さんと言い合ったりしてさ。わたし、今回の劇楽しみなんだよ」
「あのさ」
川野さんが大きな声を出した。苛立っているようだ。
「……演劇を皆の前でやって、世界が変わると思う? そんなことなんて、ないから!」
ぴしゃりと言い、川野さんはわたしの前から去っていった。体育館は徐々に閑散とし、わたしは混乱していた。川野さんに、何を言うべきかわからない。でも、できることがあるとしたら、わたしができる限りきちんと演技をするということだけだ。
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