2.友達の予感

 次の日の四時間目が終わり、クラスメイトたちはめいめいに新しい友人たちと食事の準備を始めた。お弁当を広げたり、購買部にパンを買いに行ったり、食堂に向かったり。わたしは雨宮さんがどこのクラスなのか知らないまま別れてしまったことを思い出し、どうしようかな、とぼんやりしていた。昼休みに一人でいるのは久しぶりだ。一人なのにこんなに窮屈なのはどうしてだろう。

 雨宮さんを探しがてら、篠原たちに会いに行こうと思った。ゆっくりと立ち上がる。後ろ側の扉に向かって振り向くと、彼女はいた。藍色の袋に入ったお弁当を持って。

 本当にこの人は、美しい。髪は多分指でほぐしているだけだと思うけれど、その無造作な髪型すら格好が付いている。化粧をしていないと思うのに顔のどこにもほくろや赤みがないし、この人の姿は完璧だ。

 男子が、それだけでなく女子も、振り向いて雨宮さんを見た。膝より短い制服のスカートからはすらっとした足が伸びていて、やはり大股に歩き出す。教室の真ん中の席にいたわたし目がけて、彼女は歩いてきた。

 どさっと、彼女はわたしの隣の空いた席に腰をかけた。第一声は、

「眠い」

 だった。確かに彼女は目をとろんとさせて、だるそうだ。

「昨日寝なかったの?」

「うん」

「何かしてたの?」

「数学の問題解いてた」

「ふうん」

 わたしは相鎚を打ち、立ち上がって机を寄せ始めた。雨宮さんも黙ってわたしたちの机が向き合ってくっつくように調整する。

「お弁当、お手伝いさんが作ってくれたの?」

「うん」

「お手伝いさんがいるんだねえ」

「そう。三村さん。……っていうのは話したね」

「優しい?」

「まあ優しいかな。でも話はするけど仲良くはない感じ」

 雨宮さんがお弁当を雑に出して、焦げ茶色の四角い弁当箱を開いた。うちのとは全く違う、お弁当の中身。プチトマトとからあげとご飯。以上。お手伝いさんが作ったのだからさぞかし豪華なのだろうと思ったのに、単調で地味だ。わたしのお弁当箱を開くと、雨宮さんが目を見開いた。

「豪勢だねえ」

 わたしのお弁当は卵焼きもあるし、ウインナーもあるし、プチトマトは必ず一つあるし、それらはプラスチックのカップに入っており、ご飯は必ず味つきかお握りだ。他人のそれよりも目立つのはわかっている。

「お母さんが作ってくれるんだ」

「わー、かわいがられてるねえ」

 雨宮さんは感心したように言う。

「三村さん、多分買ってきたやつを詰め込んでるだけだよ」

 驚いて、彼女を見る。

「そうだよ。あたしの弁当なんて絶好の手抜きポイントだよ」

 それは、いいのだろうか。何とも言いようがなくて、黙ってプチトマトを頬張る。

「町田さんさあ、二組の篠原とつき合ってるの?」

 突然の質問だ。プチトマトの果汁が弾けてむせ込みそうになりながら顔を上げると、雨宮さんは頬杖をついてからあげを噛みちぎっていた。

「うん」

「どういう奴? 篠原って」

「優しいよ」

「ふうん。それだけ?」

 雨宮さんはプチトマトのへたを摘んで口に入れ、ぶつりと果実を頬張った。

「それだけ、じゃないよ。面白い本を教えてくれるし」

 かっこいいと思うし、わたしを助けてくれる。そう続けたかったけど、恥ずかしくて言えなかった。

「何というか」

 雨宮さんはわたしをまじまじと見て、にやりと笑った。

「ベタぼれなんだねえ」

「え」

「顔が、何か赤いしいつの間にか笑ってるし。好きなんだろうなって感じ」

「えっ、ううん。篠原は誰が見てもかっこいいし、素敵なんだと思うよ」

 とそこまで答えて、しまった、と思った。考えていたことがそのまま出てしまった。雨宮さんはにやにや笑う。

「それは、贔屓目ってやつ。篠原は謎めいてるし、他人を拒絶してるし、そこまで素敵には見えてないかな」

「そう、かなあ」

「何であんな風なのか、知らないの? 彼女なんでしょ?」

 その言葉で、考え込んだ。そういうことを、全然教えてもらったことがない。わたしばかりがさらけ出している。篠原は、秘密だらけだ。

「あたしも篠原と同じ二組なの」

「へえ、理系クラスなんだねえ」

 わたしは気を取り直して雨宮さんの話を聞く。そういえば、これはわたしと雨宮さんのためのお弁当の時間だ。お互いのことを知ったほうがいい。わたしは雨宮さんのことを何も知らないのだから。

「クラスの自己紹介ってあるでしょ。一人一人立たされて、何か言わされるやつ」

「うん」

 わたしは自分の名前を言って、趣味は読書です、よろしくお願いします、で済ませていた。いつもと同じだ。ここで工夫して面白いことを言ったら、珍しがって友達ができるのかもしれないけれど。

「あたし、引かれちゃった」

「引かれる? 何で?」

 彼女が立っただけで、周りの生徒は惹きつけられると思うのに。彼女はご飯を咀嚼し終え、小さくため息をついてこう言った。

「今は、過去に戻るためのタイムマシンの理論について考えてます、って言ったの。教室中がさーっと引いたよ。タイムマシン、って笑いながら言う奴、意味が全くわかってない奴、SFの読みすぎじゃない? って言うフィクション脳の奴。違うっつーの。あたしは現実にありうる理論について考えてるんだってば。そう思ったけど、黙って座った。先生もどうしようって思ってるのがわかった。案の定友達はできなかった」

 わたしはぽかんとしていた。タイムマシン。急にフィクションの概念が会話にねじこまれたような気がして、変な感じだった。フィクション脳、にわたしもなるのだろうか。雨宮さんはそんなわたしをくすっと笑って見た。

「毎年ね、自己紹介のときは仲間を探す絶好のチャンスだと思って、皆がわかんないことを言ってるんだ。今年は誰もわからなかった。今年も誰にも出会えなかったってこと」

「そう」

 彼女の果敢さに、わたしは感心していた。わたしは引かれるのが怖くて、いつも無難に過ごしているから。

「今年の物理を教われば、わかると思うけどね。基本のことしか教えないけど、興味持った連中が自分で調べて、相対性理論は絶対に通る道だし、いつかわかってくれると思う。長い目で見ていつか思い出せるように、インパクトのある自己紹介をしてるわけ。今年は何人食いついてくれるかな」

 わからない部分もあったけれど、わたしがおろそかにしている自己紹介に対する彼女の戦略的な姿勢に、何だか感服してしまった。彼女は何だかすごい。それに、わたしとは全く違う脳の構造をしているみたいに思える。

「雨宮さんは頭いいね。わたし、本当に平凡だから、自分の生き方含めて恥ずかしくなっちゃった」

 わたしが心底すごいと思いながら言うと、彼女はけらけら笑った。

「ここで、褒める? あたしのこと、変だとかキモいとかうざいとか思わずに? いいね、町田さん。友達になりたいと思ったのは正しい勘が働いたってことだね」

 きょとん、とする。変だとかうざいだとか、全く思わなかったけれど。むしろ、自分にないものを持っている彼女に、惹きつけられる。

 雨宮さんは、空になったお弁当箱を横に押しやり、少し身を乗り出す。

「町田さんのこと、教えてよ。町田さんはすごくかわいいし、暗いわけでもなさそうなのにどうして一人なの?」

「……何か、違うらしいから。最初はよくても、嫌われる」

「皆、違うものなのにね」

 顔を上げると、雨宮さんは寂しそうに笑っていた。

「違うのに、同質になって、同化して。そんなの無理なのに、できるものだと皆信じてる。無理だっつーの。違うからこそ惹きつけられるし、同じ部分、似た部分は会話で言う言語でしかない。必要だけど、一番大事なものじゃない。同じことを共有するだけじゃ、絶対につまらないよ」

 目の前が開けた気がして、わたしは雨宮さんを凝視した。

「皆早く気づくべきだよね。教室で同化し続けても、濃い毒ができるだけだよ。呪いだよ呪い。……って、何か、居酒屋の会話みたいになってきた」

 町田さんとはサシで飲みたいね、と雨宮さんは笑う。女子高生らしからぬ発言だ。

「明日も来たいんだけどさ」

「うん」

 わたしのお弁当箱も空になり、わたしはお茶を飲んでいた。

「呼び方、何か堅苦しくない? 町田さんと雨宮さん」

「そう、かな?」

「ってことで、あたしのことは渚でいいよ。歌子」

 そう言って、彼女は立ち上がった。小さくげっぷをしながら。

「じゃね、また明日」

「またね」

 わたしは手を振った。渚は、後ろ向きに手をひらひらさせながら歩いていった。

 何だか、すごい熱量をもらった気分だ。すごい人だし、頭の中を覗いてみたい。友達になりたい。もうなったのだろうか?

「歌子」

 拓人が近寄ってきていた。彼は、驚いた顔をしていた。

「今の、雨宮渚だろ」

 どうしてフルネームなのだろう。まるで特別な存在みたいな呼び方。

「雨宮さん、変わってなかった?」

「ううん。面白い人だったよ」

「ならよかった。友達が、雨宮さんのことを色々報告してくるからさあ」

「どんな?」

「雨宮さん、理系の天才なんだって。数学とか物理とか、大学の学部レベルを超えてるらしいよ」

「ええっ、すごーい」

「すごーいで済むところが歌子のすごいところだよ。雨宮さん、意外にいい人そうだったし、仲良くしてくれたらいいよな」

 拓人は少し考えた。

「話が合うのかとか色々思うところはあるけど、おれは歌子にちゃんとした友達ができる予感がしてるよ」

 彼は笑い、わたしの肩をぽん、と叩いた。嬉しかった。ちゃんとした、つまり本当の友達。彼女がそうなってくれたら、何よりも素晴らしいことだ。

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