7.わたしはいい子になりうるだろうか

 わたしの性格は、何かのたがが外れたかのようにどんどん激しくなり、口調も荒くなっていった。グループ内でわたしのことを好きでない女子はいなかっただろうと思うけれど、今ではそれももう怪しかった。わたしは支配し、命じた。彼女たちは様々な思惑の下、行動を取った。

 九月上旬に行われる体育祭と文化祭のときの歌子は見物だった。誰にも応援されず、誰にも行動を共にしてもらえない歌子を見るのは楽しかった。歌子は諦めたように――昔みたいに、誰にも期待をせずに――一人で行動していた。

 学校では拓人が声をかけ、一緒にいることもあった。でも、彼女はどんどん厭世的になっていき、彼のことすら拒否した。篠原は、そんなときに彼女の弁当を共にする相手として選ばれた。随分用心深くこちらが攻撃しようのない相手を選んだものだ、とそのときは思った。篠原はクラス委員長で一目置かれていたけれど、彼の周りには壁があり、わたしたちクラスメイトは拒絶されているような気がしていた。一部の女子や同じ中学だったらしい子に好かれていたりはしていたけれど、地味で無害な篠原は、歌子が一緒にいても絡みにくいし、篠原と一緒にいる歌子に何か仕掛けるにしても、にらみつけられそうな、そういう怖さを感じた。拓人と一緒にいたら、男好きだと言ってからかって馬鹿にすることもできたし、拓人のことを好きなグループ外の女子も空気で賛同してくれただろうけれど。

 悠里が篠原のことを好きだと知って、心が躍ったこともあった。悠里はグループにいてもいなくても構わないような、余計なことを言って空気を時々凍らせる以外は何の特徴もない子だと思っていたけれど、歌子を孤立させる材料が見つかった、と思ったあのときは嬉しかった。

 机を見つめ、泣くのをずっと我慢している歌子に、わたしの言葉を突き刺していくあの瞬間はぞくぞくした。今にもわっと泣くに違いない、と思っていたけれど、そうならなかった。残念だった。

 でも、わたしは段々気づき始めた。わたしが話した「事情」なんて、香帆たちには大した問題じゃないってこと。彼女たちはわたしが歌子を突き刺すのを楽しみにしているだけだってことに。

 でも、こういうことは止まらないのだ。坂道を転げ落ちる石のように、事態は終わることがない。そしてわたしは始めてしまった張本人なのだ。


     *


 チャットアプリで歌子に匿名のメッセージを送ろう、と提案したのは充香だった。誰か歌子の知らない生徒にアカウントを借りて、嫌がらせのメッセージを送ってやろう、と。

 さすがにそれは陰湿な気がしたけれど、歌子が傷つくならやってもいいかな、と思った。ちょうど朝の教室には立花さんという大人しい女子がいて、漫画を読んでいたので、「ちょっと」と呼び出した。立花さんはショートヘアで、記憶に残らないような平凡で扁平な顔をしていて、何か運動部をやっているとのことだった。たまたま、足を捻挫して朝練に参加できなかったらしい。

「何……?」

 立花さんはおどおどとこちらに来て、手混ぜをした。わたしはにこっと笑った。

「あのさ、スマホ持ってる?」

「うん……」

「貸してくれない?」

「どうして?」

「いいから」

 立花さんはポケットから半分携帯電話を出していて、香帆はそれを無理矢理奪い取った。あ、待って、と立花さんは小さな、震える声で抗議した。でもわたしたちは構わずアプリを開き、歌子のIDを探してメッセージを打った。

「死んじゃえ」

 充香が打ったメッセージはそういう短いもので、わたしはその敵意の激しさにぞくりとした。でも、わたしだって同じような気持ちを持っているのだ。とがめることはできなかった。充香は満面の笑みで送信した。

「ありがと」

 充香が立花さんに携帯電話を返した。立花さんは、唇を噛み締めている。何が送信されたかを確認すると、何だか痛そうな、辛い顔をした。

 わたしはそれを見て、罪悪感を抱いたりはしなかった。立花さんは、小さな存在。わたしという大きな存在に比べれば。従ってくれたって、いいと思う。

 二回目は、香帆が提案した。放課後、歌子が教室を出たあとに急いで立花さんのところに行き、携帯電話を借りた。「死ね、ブス」というメッセージを考えたのは香帆だ。事情を知っていると、何だか馬鹿馬鹿しい。とっとと古田に告白してしまえばいいのだ。歌子は古田を相手にしていないのだから。でも、古田が歌子を好きだと決めつけてしまった香帆は、そうやって目を爛々とさせてメッセージを考える。あ、と香帆がつぶやいた。

「あー、むかつく。ブロックされてる」

 うそー、と周りの子たちが集まる。全員、残念そうだ。この中で演技をしているのは誰だろう、と最近は考える。だって、歌子はこの子たちの話をよく聞いていた。歌子に傷つけられた、と思っているのは数人だという気がしている。単に、――わたしが怖いんだろうな。

「あ、村田さん貸して」

 香帆は立花さんと一緒にいた、同じくらい大人しい村田さんを呼び出した。さっきから彼女は、不潔なものを見るようにわたしたちを見ていた。でも、何も言わない。わたしたちに対して、抗議することなどできないのだろう。

「貸してー」

 他の子が言った。村田さんはさっと椅子から立ち上がり、すたすたと歩いてきた。無言で携帯電話を渡す。それから何も見ないふりをした。物わかりがいい。香帆は早速メッセージを送った。

 彼女たちは、くすくすと笑った。同じ仮面をつけたような顔で。わたしも笑った。でも、段々面白くなどなくなってきていて、この遊びに意味を見出せなくなっていた。

 三回目は授業中にしよう、と香帆に言われたときはうんざりした。中村先生のときにスマホを鳴らして、呼び出し食らわせようよ、ということだった。もういい、とは言えなかった。皆この「名案」にわくわくしていた。どれが本当に楽しんでいる顔なのか、わからない。わたしは賛成した。賛成しなければ、どうなるかわからなかった。わたしたちは確実に暴走していた。わたしが急ブレーキを踏んだとして、わたし自身が無事だという保証はどこにもなかった。

 香帆は、また誰か大人しい子のスマホを借りて、送信するように命じたそうだった。歌子はわたしの後ろの席だった。盛大に着信音が鳴ったときは驚いたけれど、わたしはくすくす笑って見せた。香帆と目が合った。充香と目が合った。悠里と、他の何人もの友達と目が合った。皆笑っていた。仮面はお揃いで、それぞれの本当の顔がわからない。

「あとで職員室に来なさい」

 中村先生がそう言って教壇に戻ったのを合図に、真顔になった。歌子は戸惑っているようだった。いい気味、とは思うけれど、自分が彼女のいる場所よりも深い場所で溺れているような気がしてならなかった。


     *


 一体、わたしは何をしているのだろう。人に好かれていたわたしは、どこに行ったのだろう。でも、きっとあれだって仮面だ。わたしは仮面を外しただけ。でも、清々しい気持ちになることはない。

 悠里は目に見えてわたしを怖がるようになっていた。何だって言い合っていた子たちは、わたしに賛成しかしなくなっていた。香帆はもっと歌子を傷つける提案をした。充香はわたしの感情を誘導した。わたしはそれに乗ったふりをした。

 何もかもが茶番劇だった。全員が演じている。結局、わたしを恐れて何でも言う通りにしている子たちは、わたしが怖いだけだった。香帆や充香はわたしを憐れんでいるふりをして、わたしが歌子を傷つけるように操っているだけだった。わたしは歌子を嫌っていながらも、彼女たちをも嫌っていた。

 人は誰だって自分の選択ができる。歌子のことを恨んでいない子たちは、それが自分を守る選択肢だと判断してわたしに従っている。香帆や充香は、わたしを利用することで気分を晴らしている。きっと無意識レベルだけれど、そういうことだ。わたしに力がなくなってしまえば、彼女たちはあっという間に去っていくだろう。

 あれほど歌子を嫌っていたサチは、変わり果てたわたしを見捨てた。きっと彼女は正しい。わたしはおそらく、泥舟なのだ。


     *


「もうこういうこと、やめたら?」

 篠原の澄んだ声が響いた。よせばいいのに教室の外から戻ってきた歌子の足を、香帆が引っかけて転ばせたとき。わたしはこういう派手なことはしたくなかったのだ。それに、足を引っかけるなんていかにもな悪役で、目にしたときは嫌な気分になった。それでもわたしは香帆のため、歌子からの敵意に応えてあげた。その挙句がこれだ。

 教室はさすがに戸惑った空気になっていて、わたしは青ざめていた。嫌な予感がしていた。篠原は歌子のことが好きなようだった。それに彼は考えが理知的で、冷静だということも不安要素だった。何かを掴まれた。そう気づいた。

「――嘘なんだろ? 町田が原の恋人を取ろうとしたなんて」

 体が硬直した。もう、何も聞こえなかった。香帆や充香が騒ごうが、教室がさわさわとさざめいていようが、何も。

 ――それでも歌子が悪いんだ。

 そう叫ぼうとして、その言葉が非現実的であると気づいてやめた。わたしは、踵を返して、教室を出た。全てが、終わっていた。


     *


 この学校には屋上はなく、最上階は物置になっている。そこに向かう階段の途中に座り、長い溜息をついた。明日からわたしの立場は悪くなるだろう。でも、大きな荷物を下ろしたような、少し軽い気分になっていた。

 ホームルームの時間までそこで過ごし、チャイムが鳴っては止むのを何度も聞いた。わたしは携帯電話を手にしたまま、誰にも連絡を取らずにぼんやりしていた。携帯電話にはメッセージがいくつか届いていた。香帆たちからに違いなかった。

「あ、いたー」

 声がしてびくりと下を見ると、そこには男子が立っていて、わたしを指さしていた。中学のときからの友達で、ほっとした。清水はわたしのほうに勢いよく走ってきて、隣にどさりと座った。

「久しぶり」

 清水はワックスでセットした長めの髪を、軽く撫でながら人懐っこく言った。清水はいつもにこにこと笑っていて明るくて、わたしは好きだった。でも、ヒデ君とつき合いだしてから避けていた。他の男といると、ヒデ君が嫉妬するからだ。

「何か用?」

 わたしはぶっきらぼうに訊く。清水はにこにこ笑い、

「お前最悪なことになってんねー」

 と遠慮なく今の事態について言及した。わたしは目を逸らし、階段の下を見つめた。

「いじめとかさー、するタイプだとは思わなかった」

「うるさい。……いじめじゃない」

 はあっ? と清水が笑った。

「人を集団で無視して、肩ぶつけて、足引っかけて、どこがいじめじゃないんだよ」

「肩ぶつけたのも足引っかけたのも香帆」

「人のせいかよ。全部お前がやらせたんだろ」

「皆楽しそーにやってたよ。まあほとんどは仕方なくつき合ってる感じだったけど」

「典型的ないじめじゃん」

「いじめじゃない。……仕返しだから」

「仕返し。何の?」

 わたしは黙った。清水はじっとわたしをつぶらな目で見ている。わたしだって、わたしがやっていることが何なのか、わかっていた。ただ、認めたくなかっただけだった。わたしは被害者で、歌子は加害者。そう思い込みたいだけだったのだ。

「歌子は、空気が読めないし、それに」

「へーっ、それっていじめの理由になるの?」

 清水が何だか楽しそうに訊く。清水にとって、歌子は他人だ。彼が歌子のことを、どうなっても知ったことではないと思っているのはわかっている。彼はただ、優等生だったわたしがいじめという悪事に手を染めたことが楽しくて仕方ないのだ。

「清水、帰れば?」

「え、何で? 放課後だよ。一緒に帰ろうぜ」

「やめてよ。ヒデ君が怒るって、前も言ったでしょ」

 清水はくしゃっと笑った。

「そうだっけ?」

「そうだよ。早く帰って」

 清水は突然立ち上がって二段飛ばしで階段を駆け下り、わたしに大きく手を振ると、「じゃあなー」と言った。何だか妙に楽しかった。わたしは小さく手を振り、彼が見えなくなると自分のスカートのひざに突っ伏した。


     *


 家庭教師の時間をサボり、何度も無断外泊をするわたしをママが許すはずがなく、冬休みの間、わたしは小遣いを半分に減らされていた。ヒデ君の家に行くのには定期さえあれば充分だ。ヒデ君はわたしの高校の近くに住んでいるから。でも、それ以外の化粧品や洋服の代金がとてもじゃないけれど足りなかった。ヒデ君の前ですっぴんになるのは慣れていたけれど、殺風景な顔で彼の家に行きたくなかった。

 夜、お金のことを考えていたとき、ママがダイニングの椅子にバッグを置いているのに気づいた。ごくりと喉が鳴った。ママがいないことを確認し、そっとバッグに手を差し入れる。長財布はオフホワイトのブランドものだ。その金具を開く。お札が几帳面に入っていた。千円だけ、と手を伸ばす。

「何やってるの」

 背筋が凍った。ママはわたしの後ろに立っていて、静かな声は怒りをたたえていた。

「何やってるの、って聞いてるのよ」

「何も、してない……」

 わたしは怯えた声で答えた。手が震えていた。そもそもお金を盗もうとするなんて初めてだったのだ。今だって、未遂だ。だから何もしてない。

「あんたは悪い子ね!」

 いきなり、叩かれた。顔が痛い。

「悪い子! 悪い子! 悪い子!」

 床にうずくまるわたしを、ママは何度も叩く、頭やそれを守る手や背中を。

「わたしの言うことを聞かない悪い子! 成績も悪くて、手癖も悪くて、本当に駄目な子ね!」

 ママは手を止めて息を荒らげながら言った。わたしは頭が真っ白になり、悪い子、というママの言葉をつぶやいた。

「そうよ。あんたなんて出来損ないの悪い子よ。よその子のほうがずっとまし!」

 ママの目はぎらぎらと輝いていた。まるで魔女に見えた。スタイルがよくて美人のママ。そんな自慢のママは、もうどこにもいない。わたしがそうさせたのだ。涙がこぼれてきた。わたしはうずくまったまま、嗚咽を漏らして泣いた。


     *


 歌子に髪を引っ張られた。苛立って振り向く。彼女は慌てた顔で「ガムが」と言った。見ると本当に噛んだあとのガムがわたしの髪についていて、どうやら香帆たちがつけたもののようだった。教室の隅でくすくす笑っている。

 髪をちぎって、そっちに思い切り投げた。香帆たちが騒ぐが、何にも感じなかった。彼女たちがわたしにどういう感情を抱こうが。こうなることは、予想できたことだ。

 でも、歌子の行動には驚いていた。あんなことをされて、未だにわたしに親切にしようというのだろうか。本当に、あの子は。

「いい子だな、歌子は」

 教室を出たあと、わたしは涙目でつぶやいた。


    *


 教室を出て、一人で最上階へ続く階段にいることが増えた。時々清水がやって来て、わたしをからかっては去っていく。彼は一体わたしの何が気に入っているのだろう。こんな、価値のない女の。

 ぱたぱたと足音がして、清水が来たなと思って素知らぬ顔で携帯電話を見ていると、「あ」という低い女子の声が聞こえた。はっとして顔を上げる。背の高い、ショートカットヘアの、まるで男の子のような佇まいのその女子は、しばらく黙った。声をかけられなかった。雨宮渚は、ふとわたしを見上げた。澄んだ、柔らかい目だった。

「あんたの噂、よく聞くよ」

 わたしは黙っている。噂のことを、渚に聞かれたくはなかった。中学時代の友達の中でも、一番このことを知られたくない相手だった。

「中学のとき、あんたに避けられ始めたときは腹が立ったけどさ」

 渚は続けた。わたしは目を逸らし、彼女を見ないようにしていた。

「あんたはあたしの秘密をまだ守ってくれてる。あんたの本質は、いい子だって思ってるよ」

 じゃあね、と渚は手を振ることもなく歩き出した。わたしは無言のまま、それを見送った。

 まさか、切り捨てた友達にそんなことを言われるとは思わなかった。わたしはわたしを嫌いになりかけていたのに。

 わたしは悪い子だ。だってママが言ったのだ。歌子をいじめ、ママを傷つけた。それだけで充分悪い子だ。でも。

 わたしをいい子だと思ってくれる人が、この世にはいるのだ。

 わたしは、ふ、ふ、と息が漏れてくるのがわかった。笑っているのかと思った。だって、わたしがいい子だなんて、おこがましい。でも、気づいたら涙が溢れていて、わたしは嗚咽していた。

 わたしはいい子になりうる。そう思っていいのだろうか。

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