24.チョコレートをあげる人
部活動も停止中になっている試験前、わたしは教室に残って勉強をしていた。何人か同じような生徒がいて、皆考えることは一緒のようだった。試験が近づいてくると焦るのは、誰であっても同じらしい。
「あれ? まだいたの?」
声が降ってきて、見上げたらそこには拓人が立っていた。
「拓人こそ」
「おれヤバいんだって。学年末試験くらいは勉強するよ、当然」
彼は大袈裟にため息をついて見せた。彼の一挙手一投足は、周りの女子生徒にじっくりと観察されている。人気者は大変だな、と思いつつ、きっと彼はバレンタインのチョコレートを例年通りたくさんもらうんだろうな、と想像する。義理チョコのふりをした本命チョコも、数えきれないくらい受け取るだろう。
ああ、拓人にもあげなくては、と思ったが、この時期にチョコレートがほしいかどうか、彼を熱心に見つめる女子たちの目の前で訊くのは問題外だと気づき、口を閉じた。そもそも今年は彼にあげるべきなのかも微妙だし、岸君には「男子にはあげない」と明言したばかりだ。
でも、父にはあげるし、篠原にもあげるし、拓人にこっそりあげるくらい何の問題があるだろう、という考えが湧いてくる。
「拓人、一緒に帰ろ」
立ち上がり、鞄に教科書やノートをしまい始めたわたしに、拓人は笑顔でうなずく。
「もう遅いしな。送るよ」
女子たちが視線を外したり互いに見合わせたりしている。こうやって二人で帰ったりするのもまずいのだろうな、と考えるが、そこを気にしていては、わたしは本当に一人ぼっちになってしまう。教室を二人で出た。
「わあ、真っ暗」
外は黒々とした闇で、暈のかかった月がやけに光っている以外はろくに見えない。校舎の灯りとところどころにあるライトのお陰で、どうにか道を見つけることができた。本当に拓人と一緒に帰れてよかった。変質者も怖いが、この闇は非現実的な恐怖を掻き立てる。
「おれがいてよかったー、と思ってるだろ」
振り向くと拓人がにやにや笑っていて、わたしはぷいと前を向いて、そんなことないよと答えた。
「歌子、こういう暗いの駄目だもんな。お化けが出るーって」
「もうお化けは信じてないよ。ただ、暗闇から超現実からの呼び声が聞こえて元の世界に戻れなくなったりするかなー、と思ったり」
「本の読みすぎ! SFかよ」
拓人はゲラゲラ笑っている。わたしはむっとして振り向く。
「お化けが超現実の呼び声に変わっただけ。単に暗闇が怖いだけだろー?」
「そんなことない!」
全く、一緒にいる時間が長いと余計なことまで知られてしまう。誤魔化しようのない年月が、二人の間に横たわっている。
校庭を歩き、二人で校門を出た。車道がわたしたちを照らす。すぐそこにバス停があり、うちの生徒が何人かバスを待っている。
あ、と声が出た。篠原がこちらをじっと見ていて、わたしが手を大きく振ると、小さく返してくれた。
「篠原、今帰り?」
わたしが訊くと、篠原は何か言っていた。こちらに来る気はないらしい。拓人がいるから当然だとは思うけれど。
「拓人に送ってもらうんだ。また明日ね!」
手を振り、篠原が微笑んで返してくれたのを確認し、また歩き出した。拓人はずっとくっくっと笑っている。
「あー。優越感」
「何それ」
住宅街の静かな道を、街灯の光を頼りに歩く。拓人はずっとご機嫌で、わたしは理由が何となくわかっているけれど気づかないふりをした。
「バレンタイン近いよな」
「うん。それが何?」
拓人は悲しそうな顔を作ってわたしに近寄る。
「毎年くれる義理チョコ、楽しみにしてるのにー」
彼をちらりと見る。彼はすぐに声を上げて笑った。わたしも彼のふざけた気分を察知しているので、一緒になって笑う。
「去年のチョコレートケーキは焦げてたけど、おいしかったよ」
「焦げてた、は余計」
てくてくと歩きながら、わたしたちは雑談を交わした。クラスメイトの噂話、先生の悪口、好きな教科の話、嫌いな先輩の話。当然ながら、わたしよりも広い交友関係を持つ彼は、そういう話題も豊かだった。知らない先輩の話を聞いて感心したり、わたしが一部しか知らない噂話を多くのバリエーションで語ってくれたりする。彼は本来こういう人なのだ、と思い出した。わたしのことを好きだとか恋人になりたいだとか思っている彼は一部分でしかなく、明るい性格や友達の多さや、子供っぽくてもその無邪気さは、かけがえのない彼の魅力だった。
忘れていたなあ、と思う。彼はこういう人だったのだ。一緒にいて気楽な幼馴染み、だけではない彼のよさ。このよさに気づいていたら、恋愛に嫌悪感を抱いていなかったら、彼を好きになれたのだろうか?
「でさあ、篠原にはチョコあげるの?」
唐突な拓人の質問に面食らう。さりげない表情だったので、わたしも気が抜けた声で返した。
「うん」
「えーっ。おれはもらえないのに?」
「あげるってば。お父さんと、篠原と、拓人。男性は三人だけだよ」
「また微妙なチョイスだなあ。果たしておじさんとおれたちの間にはどういう違いがあるのか」
「教えないよ」
「またまたー」
拓人が笑う。わたしも笑う。楽しい時間だ。かけがえのない、幼馴染みとの気持ちの溶けあった時間。
「歌子はさー、結局篠原のことどう思ってるの?」
ふと街灯が途切れたところで、拓人が笑いながら訊いた。顔がよく見えない。
「友達。親切な人」
「そっか」
「でも、最近きらきらして見える」
わたしの言葉に、拓人が絶句していた。また歩き出したときには、彼は意気消沈してため息をついていた。
「きらきらねえ。ふうん。そこまで来たか。でも、そこから進む可能性があるかというと、微妙だよな。大丈夫大丈夫……」
拓人がぶつぶつ独り言を言う。何言ってるの? と訊くと口を閉ざし、黙って歩く。
わたしの家は玄関に煌々と灯りが燈っていた。はす向かいの拓人はわたしの家の玄関まで来て、母ににっこり笑って挨拶をすると、
「じゃあな。バレンタインチョコ、楽しみにしてる」
と手を振って出ていった。その背中は、何となく丸まっていた。
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