23.岸君には内緒だよ
暇さえあれば周囲の生徒たちが予習復習にいそしんでいる。学年末試験が近いことが思い出された。今回頑張れるならそうしたいが、最近のわたしは注意散漫だった。しょっちゅう篠原に話しかけるし、拓人とチャットアプリでおしゃべりをしてしまう。拓人が「このままじゃおれ、地獄行きだよ」と言うと、わたしは「一緒に地獄に落ちようよ」と笑いながら返信してしまうくらいには呑気だった。
けれどそういうわけにはいかない。もうすぐクラス分けなのだ。成績順にクラスが分かれるのは三年生のときだけらしいが、二年生は進路によって大きく二つに分けられてしまう。文系と理系に。わたしは何かに突出しているわけでもないから未だに迷っていて、何となく文系かなと思っている。
篠原はどうするつもりだろう。一緒のクラスだったらいいのに、と思うけれど、彼には彼の人生があるわけで、そこに干渉することはできない。
そう思っていたら、篠原はあっさりこう言った。
「理系に進む」
わたしが意気消沈していると、岸君がご飯多めのお弁当を掻き込みながら、
「何? 町田さん文系に進むの?」
と訊く。うなずくと、篠原はジャムパンを頬張りながら微笑んでこう言う。
「町田は古典得意だもんな。向いてると思うよ」
「そうだね」
「何か元気ないよ」
岸君がわたしの顔を覗き込む。
「篠原ともう離れ離れかあ。悲しい」
お弁当箱を見つめながらのわたしの発言に、岸君は吹き出す。それからげらげら笑う。
「よかったな、篠原。相当気に入られてるじゃん」
篠原の肩を何度も叩くが、篠原は不機嫌に彼をにらんでいる。その実、ちょっとだけ嬉しそうだ。
「二年になっても大丈夫だよ。同じ学校だし」
篠原は歯を見せて笑った。そうだといいけど、とため息をつく。もうすぐ三者面談だ。文系か理系かはそのとき決まる。その前に時が止まればいいのに。
それよりさ、と岸君が声を潜めた。わたしと篠原は思わず顔を寄せる。
「町田さんは、バレンタインどうするの?」
なーんだ、と声が出た。篠原と岸君がきょとんとしている。
「バレンタインは友達やお世話になった人にチョコレートをあげるだけだよ。何にもないない」
岸君が、えーっとあからさまにがっかりした声を出した。
「おれたちにはくれるの? 友達だろ?」
岸君の言葉に、篠原の目がわかりやすく同調した気がした。
「あのねえ、男子にチョコレートをあげると余計なトラブルの元なの。だから女性限定」
うっそだろ、と岸君がわかりやすくショックを受けていた。篠原は笑っているが、どういう心中なのかわからない。
義理チョコでもいいからほしかったのに、と悲しんでいる岸君を横目に、わたしは篠原をちらりと見ていた。
篠原は、わたしからのチョコレートがほしいだろうか? だとしたら、どういう意味のこもったものが?
篠原は岸君をからかっていた。そんなもの、自分はほしいと思ったことがない、という顔で。けれど、今の会話を交わしたあとだと、考え込んでしまう。篠原にあげてもいいだろうか?
*
篠原がわたしに気づいたので、手招きをして呼び寄せた。ここは生徒用の昇降口。登下校時以外は人気がなくて、誰かに訊きたいことがあるときには便利な場所だ。
「どうしたの? こんなところで」
篠原がやってきたのを、腕を掴んで奥に引っ張り込む。篠原が驚いたようについてきて、思惑通り、わたしたちは狭い下駄箱の間に立っていた。
「ホントに、どうしたんだよ」
篠原は何だか動揺している。わたしは彼の肩を掴んでぐっと引き下ろし、耳元に口を近づける。
「岸君には内緒だよ」
「何? 本当に」
篠原の動揺は目に明らかで、中腰になってひざに添えた手はこぶしを作ったり広げたりしていたし、目も泳いでいた。わたしは悪いことをしている気分で、こう言った。
「バレンタインのチョコレート、ほしい?」
彼はごくりと唾を呑んだ。何かをめまぐるしく考えているようだった。沈黙したまま、わたしの顔や下駄箱や床を意味もなく眺め、彼の中で決心が固まるのを待っているようだった。
「いる」
彼はわたしをじっと見た。彼は背筋を真っ直ぐに伸ばし、真剣な顔でそう告げたのだ。胸がどきどきしてきた。わたしは軽い気持ちでそう言っただけなのに。
「そうなんだ。よかった」
「くれるんならほしい」
「そっか。お父さんのよりは大きく作るね」
え? と篠原が拍子抜けしたような声を出した。
「毎年お父さんにだけはチョコレートをあげてて。でもお世話になったからそれより立派なのを作って来るからね」
篠原はしばらく沈黙したあと、こらえきれないように笑いだした。わたしはきょとんとし、彼を見た。彼は肩の力が抜けた笑い方をしていた。
「そっか。楽しみにしてる」
わたしは、うん、とうなずき、わからないふりをした。篠原がどう勘違いをして、どう期待したのか、わたしには充分わかっていた。けれどわたしにはそんな気持ちを表して伝える充分な動機がないような気がしていた。篠原のことはとても気に入っていて、一緒にいると安心できて、彼は輝いて見える。けれどわたしは踏み出すべきではない気がしているのだ。
もしかしたら彼がわたしのことを好いているなんていうのはわたしの妄想かもしれないし、と用心深いわたしが言う。
わたしは恋愛なんかしなくても充分幸せだし、とことなかれ主義のわたしが言う。
たくさんの言い訳をして、わたしは篠原に立派な義理チョコを渡すつもりでいた。
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