21.拓人の提案

 吐く息が誰よりも大きい気がしてくる。わたしは拓人と並んで歩いていた。

 事情を知っている両親がわたしを気遣って一緒に歩いてくれたのは最初だけで、拓人の母が両親を会話に絡め取ると、すまなそうな顔で彼らはわたしと拓人を二人きりで歩かせた。拓人はうつむき、わたしのほうを見ない。わたしだって、気まずい。言えることなんて、何もない。でも、この間、怜佳がやったことに怒って立ち上がってくれたことには、お礼を言いたかった。でも、それを言う勇気すらない。

 拓人とわたしの家族は、わたしたちがいつものようにじゃれ合って楽しんでいるかのように、構ってこない。五メートルほど先を歩く彼らは、わたしたちの様子に気づかないのかもしれない。古い家や新しいアパートが入り混じる住宅街を、わたしたちは白い息を吐きながら進んでいった。

 道路を横断し、石の鳥居をくぐる。初詣の客で賑わうこの神社は、毎年来るけれど何が祀られているかは全く知らない。破魔矢やお守りの売店の横を皆で通り過ぎ、朱色に塗られた立派な本殿に向かう。大勢の訪問客が鈴を鳴らすカラン、カラン、という音がひっきりなしに響く。財布から五円玉を出し、順番を待つ。並んでいるようで並んでいない人たちは、順番が来たと判断したらめいめいに鈴を鳴らしたり、お辞儀をしたりする。わたしもやっと鈴の前にたどり着いたので、五円玉を賽銭箱に放り込み、鈴を鳴らした。でも、特に誓いを立てたり願い事をしたりすることもなかった。思いつく前に自分の順番が終わった気がして、戻ろうとした。拓人が隣で鈴を鳴らしていた。手を合わせ、目を閉じるその様は、何かを深刻に祈っているように見えた。

「混んでるなあ」「本当」と言い合う両親と合流しようと、わたしは歩き出した。

「ばあちゃんたち、先に行ってて。おれ、歌子とおみくじ引いてくる」

 拓人が通る声で自分の家族にそう言った。両親はわたしを見て、何か手助けをするそぶりを見せた。わたしはそれを遮るように、「行ってくるね」と笑った。

 拓人とわたしは、無言で歩いた。おみくじは何通りかあって、何かのおまけがついているものは周りに人だかりができていた。わたしたちが向かったのはコインを入れたら自動で出てくるタイプの人気のないおみくじ機の前だ。拓人は先にずんずん進み、おみくじ機の前で立ち止まった。それから、はあっとため息をついた。

「まるでお通夜だ」

 不吉なことを言う、とぎょっとしていると、拓人はぱっと振り向いた。久しぶりにまともに見たその顔は、わたしに対する気まずさが表れてはいたが、明るくてからっとした拓人の元々の性格を充分に見せていた。

「家族がさあ、みーんな気づいてんの。父ちゃんも母ちゃんもばあちゃんも。うっすらだけど。歌子と喧嘩したくらいにしか思ってないみたいだけど、余計なお世話だよな」

「え、皆? なのに二人きりにしてたの?」

 わたしは思わず以前のように気軽に話しかけてしまった。次の瞬間には動揺したが、さらに次の瞬間には拓人が笑っていて、ほっとしてわたしもにっこりと笑みを浮かべてしまっていた。

「そ。もしかして、おじさんたちも何か勘づいてる?」

 拓人が大きくて朱色のおみくじ機に寄りかかりながら訊く。

「実はね、全部言ってる」

「うわ、まじかよ!」

 拓人が頭を抱えて愕然とした顔になったので、わたしは笑ってしまった。彼はもう一度「まじかよ」とつぶやき、わたしに向き直る。

「歌子、反抗期真っ盛りだったから大丈夫だと思ったのに」

「反抗期、まだ続いてると思うよ。でも我慢してるの」

「へえ」

「両親もわたしのことを大事にしてくれてるし、わたしも充分反抗したし、少しは反抗したい気分を押さえることにしたの。大事なときだけ反抗しようと思う」

「へえ。何か大人になった」

 しばらく話さないうちに、と拓人が続けるのを、気まずい思いで聞いた。

「拓人ー」「何?」「この間、ありがとう」「何が?」

 拓人がきょとんとした顔でわたしを見た。本当に何のことなのかわかっていないらしい。

「怜佳たちがわたしを転ばせたとき! 拓人、すごい剣幕で来ようとしてくれた」

 彼は憮然とした顔をした。多分、あのときのことを思い出しているのだと思う。

「あれ、怜佳たち最低だったよな。未だに許せない」

「拓人が立ち上がってくれたの、すごく嬉しかった。ずっとお礼、言えなかったけど」

「お礼、ねえ」

 拓人が地面を見つめて頬を掻いた。それから上目遣いにこちらを見る。

「篠原のほうがもっとすごいだろ? あのあと歌子はいじめられなくなったんだから。あいつすげーよ。おれは怒鳴ってやるくらいしかできなかったけど、あいつは根本的な解決をした。頭いいよな。あーあ」

「わたしは拓人の行動もすごく嬉しかったよ」

 わたしは拓人におずおずと伝えた。彼はまた地面に目を落とし、「……ならいいけど」と笑った。

「結局さ、クリスマスのイルミネーションは見たわけ?」

 今度は卑屈な笑みを浮かべ、彼はわたしを見た。わたしは首をかしげて、

「どこも行ってないけど」

 と答えた。拓人が疑わしげな顔をする。本当だよ、と言う。

「ああいうのはさ、カップルが行くものだから」

「カップルじゃないわけ?」

「友達だもん」

 わたしも言葉に、拓人は何かを透かし見ようとするように目を細める。それから後悔したような顔をする。

「あー! もう! おれ歌子を諦めるって決めたのに!」

 拓人は悔しそうに足踏みをした。わたしはびっくりしながら彼を見る。彼は、わたしをじっと見つめ、ゆっくりと、押し出すように言葉を吐き出した。

「諦めるよ。もう。このまんまじゃ歌子と気まずいままだし、しつこすぎるし! 歌子と離れるくらいだったら、おれ、このまんまでいい。だから、篠原とつき合おうが、新しい男が出てこようが、おれは大人しく見守ってる。うん。諦める」

 彼はまた、長い溜息をついた。わたしは、何と答えていいかわからなかった。彼は続ける。

「彼女、作ろうと思うし」

「えっ」

「すげーかわいい彼女作る」

 拓人はにこっと笑った。少し寂しい気がしたが、それは勝手すぎるだろう。わたしはうなずき、ふふ、と笑った。

 そろそろ戻らないと、家族が呼びに来てしまう。わたしと拓人はおみくじを引いた。わたしは大吉だった。拓人はおみくじを開くなりうめいている。

「待ち人来たり、だって。やった!」

 拓人はどんよりとした顔で、「小吉だ」とつぶやく。わたしはけらけら笑う。

「小吉もいいじゃん。凶じゃないんだから」

「この神社は正月には凶を出さないの! 呑気だよなあ」

「大丈夫だよ。いい年になるよ」

 わたしが笑うと、拓人も笑った。

「おれたち、また元に戻ろうな」

「うん」

 わたしは嬉しかった。拓人がわたしと笑い合っている。あのころのことが嘘だったかのように。ただそれだけで、幸せだった。拓人は目を逸らした。それから、あーあ、とまたため息をついた。この意味はわからなかった。

 拓人の家族と皆で連れ立って戻る。そのときにはわたしと拓人は二人で笑い合う、いつもの様子に戻っていた。どちらの家族もほっとしているようだった。誰よりも安堵しているのはわたしだった。拓人がいれば、わたしは心強い気持ちになれるのだった。

 家に着くと、年賀状が届いていた。わたしはがさがさと宛名ごとに選り分けて、ついに目的の年賀状を見つけた。篠原の年賀状は、約束通り筆で書いてあって、崩し字で書いてあるので全く読めなかった。

「篠原、年賀状読めないよ」

 早速チャットアプリで文句を言う。しばらくして来たのは飄々としたかのような「上手に書けただろ」という返信だった。

「あとさあ、この絵は何?」

 文字が書かれている下のほうに、丸が三つ書かれていた。意味がわからず、思わず訊く。

「餅だよ。鏡餅」

 わたしは思わず笑ってしまった。篠原は絵が得意ではないようだ。

「篠原、絵が上手いね」

 わたしの意地悪な褒め言葉に、篠原は「まあね」と得意げに返した。わたしはもう一度笑った。

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