20.あなたはわたしの神様

「篠原、起きてる?」

 冬休みだからと夜更かししていて、ふと思い立って篠原にアプリでメッセージを送った。寝ていたら迷惑だろうな、と思いながら。幸い、メッセージはすぐに返ってきた。

「起きてるよ」

 絵文字も句読点もないシンプルな字面に、篠原の優しさを感じて嬉しかった。だって、無視してもいいのに返事をくれたのだ。

「明日、来年だね」「うん。その表現は何か不思議だけど」「年賀状書いたー?」「書いたよ」「どんなの?」「毛筆の」「やったー。わたしも送ったから見てね」「うん」

 他愛のない会話を交わし、わたしは篠原に今年のことでお礼を言った。

「篠原のお陰で生きてるよ。ありがとう」「この間もそういうこと言ってたけど、大袈裟だって」「だってわたし、本当に生きてる気がしなかったもん。篠原が助けてくれたから、何だ、わたし生きてるじゃん! って思える」「生きてる気分ね。もっと大変な意味だと思ってた」「そういう意味じゃないよ。心の話」「よかった」「えへへ」「でもノイローゼになったりしたら大変だもんな。本当によかった」「うん」

 わたしはしばらく考え、篠原に打ち明け話をした。他人にとってはどうでもいいようなことだと思う話を。

「わたし、こんなだから社会で生きていくの、無理だと思う」「何言ってんだよ」「何というか、社会に溶け込める気がしない。お父さんやお母さんがいなくなってから一人で生きていくのは、難しいと思う」「そんなことないって」「篠原がいるから今ちょっと楽しいよ」「あのさ」

 篠原は言った。――学校は社会の一部でしかないんだよ、と。

「え? 学校は社会の縮図でしょ」「そういう面もあるけど、学校なんて特殊だよ。社会はもっと広くて、学校よりも窮屈なところもあれば町田に適した自由なところもあると思う。学校で友達ができなくても、卒業してからは何十年もあるんだし、大人になったら友達はいくらでもできるよ。学校でのさばる連中はどこでものさばると思う。でも、社会全体ではそういうのが幅を利かせるのはごく一部で、とにかくおれが言いたいのは、学校でうまくいかないからって、社会でやってけないってことはないってこと」

 胸にすうっと空気が通った気がした。窓を開けて、外の空気を吸ったような。わたしの中にあった淀んだ空気が、解放されてどこかに行ってしまったような。

「ありがとう。やっぱり篠原は偉大だな」

「またわけのわからないことを」

 それから篠原はしばらく黙り込み、何か言いたいのか、寝てしまったのかとずっと待っているうちに、携帯電話に表示されている時計は零時を指していた。

「あけましておめでとう」

 彼はメッセージをくれた。わたしも同じ内容を返した。

「何かさ」「何?」「町田はおれにとって、救いだ」

 どういう意味だろう。あまりにも唐突で、わたしは首をひねる。わけがわからずに、返信を打とうとした。でも、篠原の次のメッセージはすぐに表示された。

「寝るよ。おやすみ」

 仕方なく、おやすみ、と返す。どういう意味だろう。わたしは篠原の救いになっているというのはどういうことなんだろう。どんなニュアンスで、どんなレベルのことを言ったのだろう。わたしは色々考えたけれど、考えるのに疲れて寝てしまった。

 それを言うなら、篠原は、わたしにとっての神様だよ。

 素直にそう言えばよかったのだろうか。


     *


「歌子。起きなさい」

 階下から父の声が聞こえて、目を開く、顔が冷たい。吸う空気も冷たい。エアコンのスイッチが切れてしまった部屋で、わたしはのろのろとベッドから這い出た。今度は体全体が寒い。フリースの靴下を履いているのに、それでも床の冷たさが伝わる。大慌てで階下に降りた。

 両親と新年のあいさつを言い合って、こたつに入ってお屠蘇を呑み、小さなおせちを家族三人でつついた。

「今年も初詣に行くの?」

 わたしが訊くと、こたつに寝ころんでいた父が心外そうな顔で振り向いた。

「あったりまえだろー。毎年あそこの神社に初詣に行ってるからうちは無病息災なんだぞ」

「お雑煮できたわよ」

 母がお盆に載せて持ってきたお雑煮は、出汁が効いて、餅が溶けてどろっとしている。父が勢いよく起き上がり、いただきますを言った。餅を伸ばし、ぐいっと歯で引きちぎりながら食べる様は、いつもひやひやする。わたしもちびちびと餅を食べた。

「昨日、遅くまで起きてたのね」

 母の言葉にどきりとする。母は、にこにこ笑いながら姿勢よくお雑煮を食べている。

「誰かと話してたのか?」

 父はお雑煮を食べながら上目遣いに訊く。

「うん。友達とね」

「大晦日だから大目に見るけど、あんまり夜中までそういうことするなよー。相手にも迷惑がかかるから」

「わかった」

 内心どきどきしていたので、深く訊かれずに済んでほっとした。父のことだから、相手が拓人以外の男友達だと知ったら度の過ぎた心配をするに決まっている。

「さ、行くか」

 いち早く食べ終わった父は、「食べたら準備しろよー」と言いながら立ち上がって歯磨きに向かった。わたしと母の身支度を待てないのに、父は誰よりも早く準備を終える。わたしと母は大急ぎで食事を終えた。

 ドアを開くと、白い息がはっきり見えるほどになって驚いた。マフラー、コート、ブーツ、毛糸の帽子と防寒対策はばっちりなのに、口は隠せていないので喉の奥が痛いくらい寒い。「お母さん、寒いね」と振り返ると、母は庭の生垣の外を見て、会釈をしていた。その人は、明るい声で母に呼びかけた。

「すみれさん、あけましておめでとう。今から初詣でしょ?」

 一緒に行きましょうよ、と拓人の母は艶やかに笑った。その向こうには拓人の無口な父がいて、明るい祖母がいて、そこからずっと離れた位置に、寝癖で髪がくしゃくしゃになった拓人が、うつむいて立っていた。

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