18.彼は美しい

 篠原は、わたしにとって謎だ。微笑む目は優しく、口元はきりっとして、背筋の伸びた大きな体を優雅に動かす。手足は長く、筋肉はしっかりついて、触ってみたらきっと固い。てのひらだって、大きい。広げたら節くれだっているけれど清潔に整えられているし、こぶしを作ればきっと力強い。でも、わたしは篠原がこぶしを作ったところをほとんど見たことがない。きっと性根が優しいのだろう。もしくは怒りを表さないように気をつけているのか。

 篠原の外見から得た情報は、たくさんある。でも、篠原は全てが謎だという気がする。彼は多くのことをわたしに伏せている。中学時代のことや、友人関係のこと。彼は岸君を初めとする友達以外の中学時代の同級生を、避けている気がする。クラスには数人の同級生がいるようだけれど、篠原はあまり深く関わらないようにしているのだ。同級生のほうも篠原に気を遣っているように見える。

 一番の謎は、家族だ。わたしなど、話をするときに必ず家族のことが混ざる。友人がほとんどいないのも理由だけれど、家族のことを秘密にする必要性を感じないから、平気で家族のことを言う。岸君だってそうだ。彼の楽しい話には豪快な看護師の母の話題がよく出るし、兄をないがしろにする中学生の妹の話もちょくちょく出る。なのに篠原は自分の家族のことをひた隠しにしているのだ。

 篠原のあの日の後ろ姿を思い出し、わたしは時折ぎゅっと心が痛む。彼の「この世の何もかもに価値を見出せなくなったこと」というのは、何だろう。知ってどうなるというものでもない。わたしが彼にできることなんて何もない。彼がわたしを救ってくれたようには、何も。けれどわたしは何かをしたいし、彼のことを何もかも知りたいのだ。

 今日も一番後ろの席から窓際の彼を見ている。彼は頬杖を突き、時折ノートにシャープペンシルを走らせる。先生が当てるとすっと立ち上がり、淀みなく教科書を朗読する。それを見て、ああ、何て美しい立ち姿だろう、とわたしは思うのだ。


     *


 篠原の目は、微笑んだときも目尻が上を向いている。大きな丸い目ではない。岸君のような完全な二重まぶたではないし、拓人のように三つ目のしわがあったりもしない。つまり派手な目ではないのだ。なのに惹きつけられてしまうのは、この上品で謎めいた形のせいだと思う。わたしは篠原の目頭から目尻までの曲がりくねったラインが好きだ。

「……町田、何?」

 お弁当を食べていて、気づけば篠原の目を見つめていた。篠原は困惑したようにまばたきをして目を逸らした。わたしはそのまま見つめ続け、

「篠原って美形だねえ」

 とつぶやく。彼は突然赤くなり、顔を隠して逸らす。

「そういうお世辞はいいってば」

 お世辞じゃないよ、となおも凝視する。篠原は何もかもがきれいだ。入学して彼がクラス委員長に選ばれた日は、そんなことを思いもしなかったし、つき合いが深まった初秋の時期にも思わなかった。彼は少しばかり容姿の整った男子の一人にしか過ぎなかった。なのに、最近よく思うのだ。彼の容姿は素敵だと。彼に女子が群がっていないという事実が、全く納得いかない。

「からかってるのかよ」

 篠原がため息をつきながらわたしをちらりと見る。今日、岸君は用事があってお弁当の席を欠席している。つまり、二人きりでお弁当を食べている。

「ううん」

 あまり見つめすぎたら不愉快かな、と突然思い、わたしはお弁当に視線を移した。サニーレタスを箸でつまみ、しゃきしゃき噛み砕く。

「自由だよな、町田は」

 篠原は再びため息をつき、自分のパンをかじる。そんな彼を、再びこっそり見る。

 彼の秘密が知りたい。知りたくてたまらない。でも、彼を傷つけた過去を掘り返してしまうかもしれない。なら、知らないほうがいいのかもしれない。

 ぐるぐる思考が回る。彼もわたしの視線に気づいてしまった。じっとこちらを見て、不意に腕をこちらに伸ばす。わたしはぎょっとして体が固まるのに気づいた。

「何か肩についてるよ」

 腕が視界の後ろ側まで伸びて、わたしの左肩に触れる。彼に抱きしめられたような錯覚を起こし、わたしは混乱する。視界は突然開けた。腕がわたしから離れたのだ。彼は指先でつまんだ何かをふっと吹き飛ばして、何食わぬ顔で再びパンを食べ始めた。

「な、何だった?」

「何かのゴミ」

 心臓が大きく鳴っている。体の距離がこんなに近いだけで、こんなにドキドキするものなのだろうか。お弁当に戻る。味が全くしなかった。

 明日は終業式だ。彼とはしばらく会えないだろう。そう考えると、寂しい。

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