12.感傷

 あおぞら児童公園は、家のすぐ近所にある。わたしと拓人は、ここで砂遊びをしたり、小学校の同級生たちと集まったりしていた。

 拓人を待ちながら、遊具が減ったなあ、と思う。わたしたちが危険な遊び方をしていた皆でぶら下がって回す遊具や、ブランコが消えていた。残っているのは砂場と、モニュメントと一体化した小さな滑り台と、またがって揺らすパンダや象の人形だけだ。

 感傷的な気分になっていた。ここからは地域の小学校も近く、この公園では数々の思い出があったからだ。何も考える必要のなかった小学校低学年のころに、拓人を含む数人でお堀のある城を砂場に作ったこと。翌日には誰かに壊されてがっかりしたこと。わたしの髪を乱暴に引っ張るいじめっ子に、拓人が立ち向かったこと。小学校高学年のころにわたしが孤立し始めると、拓人がブランコで並んで話を聞いてくれたこと。仲間外れにされるわたしをずっと守り続けてくれたこと。

 拓人は弱く無防備なわたしを守ってくれていた。それは紛れもない事実だった。彼がいなかったら、今わたしはどうなっていたかわからない。引きこもりにでもなっていたかもしれない。

 パンダの遊具に横向きに座り、公園を見渡した。人気はなかった。小さな公園は、家々の間で寂しそうに、見捨てられたような様子で横たわっていた。

「ブランコ、なくなってるな」

 声がして、入り口を見ると、拓人が車両の進入を防ぐ鉄杭を避けてやってくるところだった。紺色の無地のTシャツが、何だからしくなかった。いつもはもっとお洒落で、こんな風にシンプルな格好をすることがなかったのだ。いつもと違う感じは、わたしを緊張させた。てのひらに、汗がにじむ。

「何だよー。おれ、ブランコに乗って青春っぽく歌子と話をしてみたかったのに」

 拓人はわたしの横の象の人形に腰かけた。人形は、ぎっ、と鳴って沈んだ。大きさも、以前より随分小さく感じた。わたしたちは大きくなったのだ、と思い知らされた。

「結局課題終わった?」

 拓人はいつも通りを装って、わたしに笑顔で訊いた。わたしは首を振った。

「おれ、テキトーに終わらせたから、明日先生に怒られるかも」

「拓人は、怒られないよ」

 わたしがやっと声を出すと、そのかすれ声に拓人が不安げな顔をした。

「何で?」

「先生にも好かれてるし、皆拓人を怒ったりしない」

 彼は不安な顔を隠そうともせず、わたしをじっと見つめた。それからごくりと喉仏を上下させて、「あのさ」と言った。

「おれ、歌子がどんな人生を送ってきたか、知ってる。ずっと一番近くで見てたから。歌子はふわふわ生きてて、人よりちょっとずれてて、悪意を集めるのが上手でさ。おまけにかわいいから、男子に変に人気出て、また女子に嫌われたりしてさ。で、歌子は恋とか愛とかつき合うとか別れるとか、そういうのに人一倍疎くてさ。ませていく同級生の中で、ずっと取り残されてさ。見た目にもそうだけど、心の中も孤立してるのはよくわかってた。おれ、そんな歌子がずっと愛おしかった。おっとりして、そのまま置いて行かれてる歌子を、誰よりも大事にしたかった」

 拓人はわたしの顔を見ず、それでも一言一言噛み締めるように続けた。

「ずっとずっと、好きだったよ。これからも好きだよ。おれは、歌子に好かれたい。歌子にとって、一番大切な人間になりたい。駄目かな」

 彼はわたしの目を見た。瞳が揺らいでいた。拓人は不安なのだ。わたしは、拓人の表情の一つ一つに、小さなころのことを重ね合わせた。彼の表情全てが見たことのあるもので、彼の気持ちがどんなものであるか、いかに今が不安で、期待をして、切なく、辛い気持ちなのかがよくわかった。

 わたしはわっと泣き出した。驚いた拓人が立ち上がり、わたしの肩に触れた。顔を覆って泣くわたしに、拓人は何も言わなかった。

「拓人、拓人、ごめんね。わたしそんなに思ってもらっても、何もあげられない」

 言葉が奔流のように出てきて、止まらない。

「すごくすごく大事にしてくれたのに、拓人のために生きることができない」

 肩に置かれた拓人の手に、力が入った。それから滑り落ちて、拓人は脱力した様子でわたしを見下ろしていた。

「誰か、好きなやついる?」

 拓人はかすれた声で訊いた。わたしは首を振る。

「誰のことも、好きじゃない。わたしは誰のことも、好きになれないから」

 拓人はわたしを見つめ、立ち尽くしていた。悲しそうな顔で。

「ずっと好きでも、駄目か」

「ごめん」

「おれ、……もう駄目だ」

 拓人は、笑いながら泣いた。ぽろぽろと、大粒の涙が落ちる。わたしは申し訳なくて、自分が情けないような気がして、ごめん、と繰り返した。

「帰ろう」

 しばらくして、拓人が言った。涙は収まっていたが、目は赤く腫れていた。彼はわたしの手をぎゅっと握り、ゆっくりと歩き出した。わたしもそれに従い、のろのろとついていく。

 幼稚園生のときみたい、と思った。小さいころ、二人でこうやって歩いた。家族ぐるみでつき合いのあるわたしたちは、どこに行くにも二人で手を繋いでいた。

 家までの道を、二人でうつむいて帰った。わたしの家に着くと、拓人はにっこりと笑って手を振った。わたしはまだ泣いていて、振り返すことができなかった。

 拓人のことが大好きだった。大切だった。でも、一番大切な人にはならなかった。それがとてもショックだった。

 自分の家に入る拓人を、わたしはじっと見つめていた。ドアが閉じる。その一瞬が永遠に感じられた。


     *


 翌日、わたしと拓人はもう昔のままではなくなっていた。気まずく、ほとんど目を合わせられない関係になっていた。ひどく寂しく、ひどく孤独だった。

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