7.大人には騙されない
「……ああいうの、よく来るの?」
職員室の雑然とした中村先生の席で、わたしはうなだれていた。先生は授業のときとは打って変わって柔らかい表情で、心配を目に浮かべていた。
「……はい」
言うチャンスだ、と思った。でも、言ってはいけない、と誰かが命じた。事態がややこしくなる。わたしたちの世界に大人を介入させたりしたら、軽蔑される。誰に? と考え、それは怜佳だと気づく。怜佳に弱い奴だと見下されるのが屈辱的なのだ。だから、言えない。
「見当はついてるの?」
「いいえ」
先生は困った顔になった。
「言っていいのよ」
「わからないんです。嫌がらせだとは思うんですけど」
わたしは頑固に言い張った。先生はため息をつく。そして、わたしにこう言った。
「わたしはあなたの味方です。いつでもいいから言ってちょうだいね」
また、涙がにじんだ。先生の真っ直ぐな目や、柔らかで芯の通った口調のせいだ。騙されてはいけない、と思う。騙されたら、怜佳に馬鹿にされる。
わたしは先生に丁寧にお礼を言った。先生は、念を押すように「言ってね」と指を立てた。わたしはうなずき、また涙が出そうになるのを感じた。
一体何なんだろう。嬉しくてたまらない。ただ心配をしてくれているだけなのに。それから先生とほとんど目を合わせないまま、そこから去った。
*
一人でご飯を食べていた。中村先生と話していたために、クラスメイトのほとんどは食事を終え、雑談に入っていたのだ。無論篠原も本を読んでいたので、邪魔をしないでおこうと思ったのだった。今日もわたしのお弁当はカラフルだ。小さな子供のお弁当みたいに、チェック模様のピンクのカップに入った茹でアスパラガスやクリーム色の剣が刺さったから揚げなどが詰まっている。
「あのさ、大丈夫だった?」
声にびっくりして顔を上げると、篠原だった。篠原からこちらに来るのは初めてだ。わたしはきょとんと彼の顔を見る。彼はどっかりとわたしの隣の席に座り、背もたれに腕をかけてこちらを向いた。
「大丈夫って、何が?」
「怒られたんだろ? スマホのこと」
ああ、と声を出したら篠原は呆れていた。よほど心配してくれていたらしい。
「あんまり怒られなかったよ。中村先生は優しいもん」
彼は驚いた顔をした。どうやら彼も、中村先生のよさに気づけない側にいるらしい。
「おれ、厳しい顔で何か言われた記憶しかないよ」
「ドラマであったじゃん。生徒の問題を解決していく、男の先生の。中村先生はああいう厳しくも優しい先生だと思うなあ」
篠原は首をかしげた。そういうドラマに思い当たらないらしい。もしかして、と思って質問を投げかけた。
「篠原さあ、ドラマ見る?」
「見ない」
「テレビは?」
「テレビもあんまり……」
「漫画は? 小説は?」
「漫画も読んだことほとんどない。小説はまあ読むかな」
「久生十蘭って知ってる?」
わたしは思わず背伸びして、読んだことのない本を挙げた。篠原の表情がぱっと明るくなった。
「面白いよな。何冊か読んだよ」
「ごめん、実は読んでない。知ったかぶりした」
すぐに謝ったら、篠原が声を上げて笑った。篠原が笑ってる、と嬉しくなって、わたしもにこにこ笑った。教室中がわたしたちに注目していた。篠原は滅多に大笑いなんかしない。昔の友達と話すときはとても楽しそうだけれど、わたしたち高校のクラスメイトにはあまり心を開かない。それが、笑っているのだ。珍しくて仕方がないらしかった。
がたん、と椅子の音がした。誰か女子が教室を出ていったようだった。悠里、と誰かが呼んだ。怜佳の取り巻きの一人の名前だ。女子が何人か追いかけていって、教室は静まり返った。
怜佳が女子の輪の中心でわたしのほうを横目に見ていた。苛立っているようだった。身がすくむ。何かしてしまったようだった。でも、何を? 篠原も戸惑ったように教室を眺めている。
拓人のほうを見た。彼はわたしのほうを見ていた。心配そうな目をしていた。でも、わたしと目が合うと唇を結んで逸らした。
怜佳がゆっくりと教室を出ていく。他の女子も一緒に。教室がいつもの雰囲気になったと思っていたら、しばらくして携帯電話にメッセージが届いた。
「放課後、話があるから」
差出人は怜佳だった。
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