4-3 夏が、二人の関係を塗り替えて――。
花火大会の会場は、子ども連れの夫婦や大学生の集団、手をつないでいるカップルなど、様々な人間でごった返していた。
「ねえ、今すれ違ったの、社会の
優弥のクラスの担任だった。美緑のクラスの地理の授業を担当している。
「マジか。意外だな。あのおっさん、家に引きこもって難しい本読んでそうなのに」
「何その偏見。あ、見て。あの子。何だっけ、タイトル忘れちゃったけど、懐かしいお面」
「ホントだ。あのアニメだろ? えーと……あー、俺もタイトル出てこねえな。柳葉が最終回でギャン泣きしてたのは覚えてる」
「ちょっと。それは忘れてよ!」
先ほどの二人の間の気まずい雰囲気は、喧騒に吹き飛ばされてどこかへ消えてしまったかのようだった。
様々な屋台が並ぶ道。威勢のいい呼び込みの声や、焼けた食べ物の香ばしい匂いがあらゆる方向からやってくる。
美緑たちは焼きそばとリンゴ飴を買って、歩きながら食べる。
「あちぃ~。喉渇いた」
無料で配られた広告付きのうちわであおぎながら、優弥が言った。
「私も~」
「よっしゃ。ラムネ買うぞ」
「なんでラムネ?」
「そりゃ、夏祭りだからに決まってんだろ」
美緑たちは、ラムネを売っている屋台を探した。飲み物の屋台はたくさんあったが、ラムネを売っていなかったり売り切れてしまっているものが多く、なかなか見つからなかった。十分くらい歩いて、やっとラムネを売っている屋台を発見し、二人分のラムネを購入する。
「喉を潤すために喉渇いちゃってるじゃん」
歩き疲れた美緑が文句を言う。
「わかってねえなぁ。夏祭りと言えばこれだろ」
「たしかに美味しいけどね」
美緑も購入したラムネを飲む。優弥の言った通り、夏祭りの雰囲気を感じることができた。
二人とも飲み終わったタイミングで、花火が始まるというアナウンスが会場に流れた。
「花火だって。見ようよ」
「ああ。歩き回って足も疲れたしな」
「そうそう。誰かさんがラムネ飲みたいとかわがまま言うからね」
「結局柳葉だって飲んでただろ。……ここら辺でいいか」
「うん」
二人は、高さのちょうどいい花壇に腰かける。
一筋の光の線が重力に逆らい、夜空へと昇っていく。乾いた音が轟き、それが合図となって、小さな光の粒が円状に広がる。その一発を皮切りに、次々と光がはじけて——。
夏の風物詩、花火が始まった。
「……綺麗」
美緑は感動のあまり、それしか言えなかった。
たまに、家の窓から見える花火を眺めることくらいはあった。しかし、人ごみと暑さが苦手な美緑は、花火があるような大規模な夏祭りに行った記憶がない。
近くで見る花火が、こんなに素敵なものだとは思わなかった。今までもったいないことをしていた。その意味でも、誘ってくれた優弥に感謝しなければ。
「炎色反応だな」
優弥が、空を見上げながら呟いた。
炎色反応は、一学期にちょうど科学の授業で習った、金属特有の化学的な反応のことだ。リアカー無きK村……だっけ。
「その言い方やめてよ」
美緑が抗議する。
「なんで」
「情緒がなくなるじゃん」
この前の、観覧車のときもそうだった。
「でもさ、すげーよな」
「花火?」
「炎色反応。ざっくり言っちゃえば自然界の法則で起こるただの現象なのに、人間の知恵とか技術とかを駆使して、こんだけ多くの人の心を動かすものにしてるわけだろ?」
周りの人たちも、次々と色や形を変えながら打ち上げられる花火に見入っている。
「うん。そう言われてみれば、すごいかも」
二人はしばらくの間、黙って花火を見ていた。
色とりどりの大輪の花が、夜空に咲き乱れては消えていく。
一生分の夏を味わったような感じだ。
およそ二十分をかけて、花火は終わった。
美緑の胸に、切ない気持ちがこみあげる。
花火を作るのはものすごく大変というようなことを聞いたことがある。たくさんの時間をかけて準備してきたものが、わずかな時間で役目を終えてしまう。そんな儚さも、人々を感動させるのに一役買っているのではないだろうか。
「よっしゃ、帰るか」
「うん」
優弥の言葉に安堵して、美緑は頷いた。
二人きりだと知ったあたりから、うっすらと怖さを感じていた。
隣の家に住んでいるまあまあ仲の良い同級生という、今までの二人の関係を変えてしまうような何かが、今日は起きるんじゃないか。そんなことを予感していたのだ。
何事もなく終わった帰りの道を、美緑は拍子抜けした気分で歩く。
ふと夜空を見上げると、月と星が見えた。美緑が抱いていた警戒心がすぅーっと暗闇に吸い込まれていく。
……警戒心? いや、違う。どちらかというと、抱いていたのは期待だった。
浴衣を似合ってると言ってくれたとき、嬉しかった。
――俺が、柳葉と二人で行きたかったんだよ。
その言葉を聞いたとき、たしかに幸せを感じた。
だから、家まであと数十メートルくらいの場所で優弥にいきなり、
「好きだ」
そう言われたときには、心臓が止まるかと思った。
聞き間違いだろうか。そう思ったけれど、美緑の目の前には、立ち止まって真剣な表情で美緑を見つめている優弥がいた。
「どうして……今言うの?」
泣きそうになるのをこらえながら、美緑は言った。言葉では言い表すことのできない感情が、心の内側から溢れてくるようだった。
「さっき言おうとしたけど、緊張して……」
「ばか」
優弥のことは好きだし、いい人だと思う。けれども、恋愛的な意味での好きかと言われると、はっきりと答えられない。自分自身の曖昧な感情が理解できなくて、それがとても悔しい。優弥はこんなにストレートに、美緑に好意を伝えてくれているのに。
だけどきっと、これからこの人のことをもっと好きになるのだろう。そんな予感はあった。
「もうちょっと……歩きませんか?」
自分の提案が恥ずかしくて、敬語になってしまう。
「ん」
優弥が短く了承する。
二人はどちらからともなく手をつないで、家とは逆方向に角を曲がった。
優弥に手を握られるのは、中学三年生のとき以来だ。体調不良の美緑を、優弥が保健室まで引っ張っていったことを思い出す。でも、あのとき優弥がつかんでいたのは美緑の手首だった。
だから実質、優弥とちゃんと手をつないだのは今日が初めてだった。小学校低学年のときのはノーカンにさせてもらった。
そのまま二十分くらい、二人は色々と話しながら歩いた。美緑の心臓は、普段の二倍速で鼓動していた。つないだ手から、嬉しさと緊張が優弥に伝わっているような気がして、恥ずかしかった。
「そうだ。まだ言ってなかったよな」
静かな川沿いを歩きながら、優弥が言った。
「え?」
美緑は立ち止まる。
優弥も足を止め、美緑の方を向いて。
「俺と、付き合ってください」
つないだ手に、ギュッと力が入るのを感じた。
「……はい。よろしくお願いします」
その手をしっかり握り返して、美緑は迷いなく答えた。
面と向かって告白された恥ずかしさや、幼馴染といきなり恋人同士になることに対する不安はあった。しかし、それらが些細なことに思えるくらい幸せだった。
こうして、彩楓と大地の後を追うように、美緑と優弥も付き合い出した。
夏が、二人の関係を塗り替えて――。
今の美緑には、幸せな未来しか思い描けなかった。
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