4-2 私は君と、どうなりたいのだろう。


 八月の下旬に差し掛かったある日。スマホにメッセージが届いた。差出人が優弥だとわかったとき、少しだけドキッとした。


 いつの間にか美緑の中で優弥は、ただの仲の良い幼馴染の男子から、ちょっと気になる男子になっていた。そんな気持ちの変化を、美緑は認めつつあった。


 彩楓と大地が付き合い始めたことも、優弥を意識してしまう一つの要因になっていた。


 しかし、優弥のことが気になるからといって、自分がとるべき行動が明確にわかっているわけではない。余計なことをして今の関係を壊したくないし、何もしないというのも違う気がする。せいぜい悩むことくらいしか、美緑にできることはなかった。


 優弥からのメッセージは『来週の日曜、花火大会。予定空けといて』という、絵文字も顔文字もない単刀直入なものだった。相変わらず雑な文章に、思わず微笑みが漏れる。おそらく、彩楓と大地にも同じような文面を送っているのだろう。


 花火大会は一週間後だ。美緑は浴衣を着ようと思った。初詣のときは勇気が出なくて着物を着れなかったし、ただ単に美緑が着たいというのもある。しかしそれ以上に、優弥に見てもらいたかったのだ。それを自覚したとき、顔が熱くなった。


 美緑はすぐに彩楓に連絡し、一緒に浴衣を買いに行く約束をした。これで退路を断つことができた。ときに、勢いというものは大事だ。明日になったら、浴衣を着るのを躊躇ってしまうかもしれない。


 彩楓の住んでいる市の、大きなショッピングモール。たくさんの人が買い物を楽しんでいた。夏休みだからか、特に学生らしき若者の姿が多い。


 ちょうど和服のシーズンということもあって、浴衣を売っている店舗は何件かあった。高校生のお財布事情でも手の届きそうな店をいくつか回る。


「あ、これいいな。どう、彩楓?」

 美緑は白と青の花柄のものを選び、鏡の前で合わせてみる。


「えー、どれどれ?」彩楓が後ろから鏡越しに覗き込む。目を細めて美緑の全身を観察し、不満そうな表情を浮かべる。「うーん。少し地味かな」


「そう?」

「そうだよ。もっと華やかな方が美緑の儚げな可愛さが際立つって」


「そんな、私は可愛くなんて――」

「ちょっと待ってて」

 美緑の否定の言葉を無視して、彩楓は店内を移動する。


「美緑はこっちの方がいいと思う。あとは、これとか」

 彼女は自分の浴衣をさっさと決めてしまうと、難しそうな顔をしながら、美緑に似合いそうな浴衣を何点かチョイスして持って来た。自分のものよりも、美緑の浴衣選びの方が熱心なくらいだ。


 美緑は、その浴衣を着ている自分とそれを見た優弥の反応を想像しながら、時間をかけて浴衣を選んだ。


 最終的に美緑が購入を決めたのは、ひまわりの柄の浴衣だった。紺色の生地に、黄色い花がよく映えている。彩楓からも「すごく似合ってる!」と太鼓判を押してもらった。


「報告、楽しみにしてる」

 帰り際に彩楓が言った。


「え?」

 報告、というのは何のことだろう。美緑には、まったく心当たりがなかった。


「あっ、何でもない。忘れて」

 彩楓は何かに気づいたように両手で口を塞ぎ、ごまかすように笑った。


 その台詞と意味深な笑みの意味が、まだこのときはわからなかった。そもそも花火大会には、フェアリーランドに行ったときのように、彩楓と大地も一緒に行くものだと美緑は勝手に思っていたのだった。




 夏祭り当日。あれだけ似合っていると思って買った浴衣だったが、いざ家で着てみると何だか変な気がしてくる。それに、気合いが入りすぎてると思われるのも嫌だった。


 でも、せっかくそれなりのお金を出して買ったわけだし……。着て行かないのは浴衣にも、一緒に選んでくれた彩楓にも申し訳ない。髪も浴衣に合わせてアップにしてしまった。そういう風に着るための理由を並べながら、美緑は覚悟を決める。


「お待たせ」

 家を出ると、すでに待っていた優弥の背中に声をかける。白いシンプルなシャツに、七分丈の青のパンツ。


 振り返った優弥は、美緑の浴衣姿を見ると目を見開いて、そのまま数秒無言を貫いた。


「ちょっと。なんか言ってよ」

 ただ見られるだけというのは恥ずかしい。


「いや、似合ってる……な」

 鼻で笑われるかと思っていた美緑は、優弥のその言葉に驚いた。続いて、嬉しさが全身に染みわたる。


 勇気を出して正解だった。

「……う、うん。ありがと」


 よっぽど気の抜けた顔をしていたのだろう。優弥が怪訝そうに眉をひそめる。

「何だよ、その緩んだ顔は」


「今の、もっかい言って」

 調子に乗ってねだるが、優弥は「うるせえ。行くぞ」と言って歩き出してしまった。そんな素っ気ない態度も気にならないくらい、美緑は嬉しかった。


 電車に乗り、花火大会の行われる会場の最寄り駅に到着する。

「彩楓と平賀くんはどこで合流するの?」

 美緑は優弥に聞いた。


「来ねえよ」

「えっ?」


 この前のみたいに大地と彩楓も一緒だと思っていたので、美緑は驚いた。買い物に出かけたとき、彩楓も浴衣を買っていたが、今日のためではなかったのか……。よく考えれば、彩楓や大地が来るとは一言も聞いていない。


 それはつまり――優弥と二人きりということを意味する。

 中学三年生の冬、初詣に誘われたことを思い出した。あのときだって二人きりだった。けれど、優弥との距離は前よりも確実に近くなっている。


「どうして今回は二人を誘わなかったの?」

 その質問は、どうして私だけを誘ったの? と同じ意味だ。けれど、そんなことをストレートに尋ねる勇気を、美緑は持ち合わせていない。


「ほら……あいつらのデートの邪魔しちゃ悪いだろ」

 優弥はそう答えたが、歯切れが悪い。それに、どこか不機嫌そうだ。


「そうだよね。あの二人、付き合ってるん――」

「あーもう! そうじゃねーって! ちげえよバカ!」

 優弥が美緑の言葉を遮って、少し怒ったように自身の言葉を否定した。


「え?」

 二人は目を合わせたまま沈黙する。その間、数秒。優弥が苛立ち気味なのがわかる。


「俺が、柳葉と二人で行きたかったんだよ!」

 そんな台詞を、美緑の顔をじっと見つめて言う。


 今日の優弥は、どこか変だと思った。それに美緑自身もおかしい。心臓の鼓動が速い気がする。

 夏の暑さは、人を浮かれさせると聞いたことがあった。


「それって……どういうこと?」

「そのまんまだよ。ほら、行くぞ」


 優弥は、ふいっと後ろを向いて歩きだした。まだ少し怒った口調ではあったが、歩幅は美緑に合わせてくれている。何か別の感情を隠すために、無理やり苛立っているように思えた。


 正直に言ってしまえば、嬉しかった。好意を持っていない異性と、二人きりで花火大会には行こうとしないだろう。その好意が恋愛的なものかどうかはわからないけれど、それだけ美緑のことを特別に思ってくれているということだ。


 同時に、不安要素もある。知り合いに見つかったりしたらどうしよう。自分と優弥が付き合ってるなんて噂が流れたら……。美緑は嫌ではなかった。だけど、優弥は嫌がるかもしれない。そんなことを勝手に考えて、勝手に沈む。けれど、誘ってきたのは向こうだ。マイナス思考はやめよう。


 果たして私は、優弥とどうなりたいのだろう……。

 美緑は自分自身に問いかける。


 何でも言い合える幼馴染?

 気の置けない友人?


 それとも――。

 美緑の中で、答えはまだ見つからない。



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