6-4 そこには確かに、俺の願いがあった。
いい加減にけじめをつけなくてはならない。
俺は大学進学を機に、彩楓と別れることにした。
最後まで恋愛感情は持てなかったけれど、彩楓には幸せになってほしい。
そんな風に別れを切り出したときの、彼女の悲しそうな表情が脳裏に張り付いて、しばらく消えないでいた。
砂生彩楓は、俺から見ても十分に魅力的な人だった。どうか、ちゃんと幸せになってほしい。できればその姿を見届けたいと、身勝手な考えかもしれないけれど、俺は思った。
大学では勉強に励んだ。前の世界の俺が通っていた大学よりも、数ランク高いところに合格した。理工学部で、通信技術の研究に熱中した。もしかすると、元々研究者向きだったのかもしれない。
大学四年生の夏。俺は一つの大きな選択をした。
俺が十一年間の時を巻き戻してここにいることを、ついに優弥に打ち明けたのだ。
駅前のカフェで、俺と優弥は向かい合って座っていた。猫の姿をした神様を助けて時を巻き戻す力を手に入れたことや、美緑が死んでしまったこと、十一年の時を遡って過去を改変したことを、俺はゆっくり話した。
優弥は、最初は「お前にしては面白い冗談だな」なんて笑っていたけれど、俺が真剣な顔を崩さないせいで、徐々に表情はこわばっていった。
最終的には、疑うことなく信じてくれた。中学のとき、特に時を戻してすぐの頃。そのときの俺の様子がおかしかったことも、俺の話を信じる材料になったようだ。
時を巻き戻す力の副作用について、つまり、俺の寿命がもう残り少ないことも包み隠さずに話した。
「何だよそれ! ふざけんなよ!」
優弥の大声に、周りの客が何事かとこちらを見る。
「落ち着けって」
両手を開いて、立ち上がっている優弥を座るよう促す
「落ち着けるわけねえだろ! 何でそんなこと……」
静かなトーンではあるが、しっかりと声に怒りが滲んでいた。
どの部分に怒っているのかわからなかった。
俺が寿命を削ってまで美緑を救おうとしたこと。
俺が美緑と結婚までしていたこと。
それらのことを、今優弥に話したこと。
きっと彼は、その全部に怒っているのだろう。
さんざん悩んで打ち明けたはずなのに、話したあとも、結局これでよかったのかわからなくなった。それどころか、どうして彼に言ってしまったのだろうと、後悔することも一度や二度ではなかった。きっと、正解なんてないのだけれど。
優弥がこの先、美緑を傷つけるようなことはないと思うが、俺の想いを背負っているということも知っておいてほしかったのだ。
結局は、ただの自己満足でしかない。激しい自己嫌悪に陥る。
その年の秋に、美緑が変な男に声をかけられている場面に遭遇し、助けたことがあった。
そのとき、優弥の様子が変だということを相談された。おそらく、俺があんなことを話したせいだ。
美緑の悲しそうな顔を見ているのがつらくて、全部打ち明けて、抱きしめそうになってしまう。
けれど、今ここにいる美緑は、前の世界で俺と結婚した美緑ではないのだ。
今の美緑は、黒滝優弥のことが好きで、平賀大地のことなど、なんとも思っていないのだ。
仮に、彼女が俺を選んでくれたとして。
俺は力の副作用で、もう長くは生きられない。五十五年分の寿命が失われているのだ。力を使う前の年齢と、力を使った後の年月、全てを合わせて八十八年。
すでに、いつ天からの迎えが来てもおかしくない年齢だ。いや、俺が連れて行かれるのは、おそらく地獄なのだろうけれど。
美緑がこの世を去ったときの暗く深い絶望は、今でも心に刻まれている。そんな思いを彼女にはさせたくない。今までもその一心で、俺は死に向かって生きてきた。
好きな人を失う絶望を知っているからこその選択だった。
優弥になら、美緑を任せられる。
優弥となら、美緑は幸せになれる。
あれから連絡をとっていなかった優弥から、結婚式の招待状が届いた。
急ぎ過ぎているような気がしたけれど、すぐに俺のせいだと理解する。
優弥はもう、全て知っている。俺が美緑の幸せを願っていることも、俺がもうすぐ死んでしまうことも。きっと、俺を安心させようと思ったのだろう。優弥はそういうやつだった。
迷ったが、式には出席することにした。
「ありがとな。来てくれて」
結婚式の当日、白いスーツに身を包んだ優弥が言った。
「いや、礼を言うのはこっちだ。本当にありがとう」
その言葉に込められた意味を、優弥は正確に読み取ったようだ。
「ああ。任せとけ。絶対に幸せにする」
「当たり前だ。ああ、それと――」
「心配すんな。美緑には言わないから」
俺の言いたいことを先読みして、優弥は答えた。
彩楓も結婚式には出席していた。別れを告げたときの涙が嘘のように、気さくに話しかけてきて、彼女の強さを改めて認識する。
美緑のウェディングドレス姿を見るのは二度目だった。前と今とでは、俺が立っている位置は、決定的に違っていたけれど。
幸せな二人の姿を、目に焼き付ける。
そこには確かに、俺の願いがあった。
こぼれそうになる涙をこらえる。
生まれてきてくれて、ありがとう。
俺に生きる意味をくれて、ありがとう。
どうか、何も知らないまま、永遠に幸せでありますように。
たとえ、人生を何度やり直したとしても——俺は君のことを好きになる。
愛する人がこの上ない笑顔でいてくれるだけで、他にはもう何も要らなかった。
披露宴で、たくさんの人に愛されている優弥と美緑の姿を眺めて——。
そこで、俺の意識は途切れた。
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