6-3 それらはあまりにも無力で、どうしようもなく無意味な事実だった。
夏休みには、四人で遊園地へ行った。
俺が優弥に、美緑がフェアリーランドのゆるキャラを好きだということを伝えると、彼は夏休みにフェアリーランドに誘うと息巻いていた。
最初は優弥が美緑を誘って二人きりで行く予定だったのだが、直前で怖気づいて俺に助けを求めてきたのだ。
正直、あまり気は進まなかった。しかしいざ現地に着いてみると、そんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
大人でも楽しめると言われる、世界でも最大級のテーマパークなだけある。全体的にクオリティが高い。久しぶりに高校生に戻ったみたいで楽しかった。
優弥が観覧車で、俺と彩楓を二人にした。彩楓が優弥に頼んでそうしてもらったらしいが、優弥の方も、俺を彩楓とくっつけようとする考えがあったと思っている。
おそらく優弥は、まだ俺が美緑を好きであるという考えを完全に捨てていない。ある意味でそれは正しいが、別の意味では間違っている。
俺は確かに、今でも美緑のことを愛している。けれども、美緑とこれ以上近づく気はなかったし、美緑の方から近づいてきても距離をとることに決めていた。
告白を断った相手と二人きりで狭い空間。息苦しさを感じる。
それと同時に、優弥は美緑と二人きりになっているはずだった。そちらも心配で、胃が痛くなってくる。
観覧車のゴンドラの中で、彩楓は二度目の告白をしてきた。今回も断ろうとしたが、彩楓は俺に好きな人がいてもいいと言う。年齢的には十一歳も離れている女子高生の潤んだ瞳に見つめられ、不覚にもドキッとしてしまった。それでも、彩楓は大切な友達だ。それは、二度目のこの世界でも変わらない。
しかし、彩楓と付き合うことで、俺にもメリットがあるのも確かだ。彼女がいるという立場を築くことで、美緑から向けられる好意を回避できるのではないかと思った。
もちろん、美緑が俺のことを好きになるとは限らないし、俺が距離を取っている以上その可能性は薄いだろう。しかし前の世界で、俺と美緑は結婚までしたのだ。自意識過剰だとその可能性を最初から否定するよりは、念には念を入れるべきだと考えた。
そういった理由で彩楓と付き合うことは最低だとわかっていた。しかし彼女も、俺に好きな人がいることを知った上でそう言っているのだ。
迷いに迷ったが、これが正解だと自信を持って言える答えは見つからなかった。時を巻き戻すなどという、人智を超えた力を使ってしまった瞬間から、俺はすでに間違っていたのかもしれない。そう考えると、少しだけ気が楽になる。
結局、俺は彩楓と付き合うことになった。
彼女の一途な想いに甘えることにしたのだ。
もちろん、彼女に恋人らしいことをするつもりはなかった。手をつなぐくらいはするかもしれないが、それ以上は彼女がその気になっても、俺は拒否する。それが、俺の最低限の誠意だった。
恋愛感情のない相手と恋人になることは心苦しかった。
時期が来たら別れを切り出そう。とにかく、これ以上罪を塗り重ねるわけにはいかなかった。
「疑って悪かったな」
彩楓と付き合うことになったことを報告したとき、優弥は俺にそう言った。
「何をだよ」
「中学のとき、お前が柳葉のことを好きって言ったろ。すぐに嘘だって言ってたけど、まだ少しだけ、どこかで本当かもしれないって思ってた」
胸が締め付けられる思いだった。
違うんだ。聞いてくれ。俺が好きなのは紛れもなく美緑だ。
彩楓と付き合ってるのは彩楓のことが好きなのではなくて、美緑が俺のことを好きにならないようにするためなんだ。
勢いに任せて、全部ぶちまけてしまいたかった。しかし、それをしてしまったら、俺が今までしてきたことの意味が無くなってしまうかもしれない。
それに、そんなことをしても誰も幸せにはなれない。
この世界では俺だけが、すべてを背負わなくてはいけないのだ。
夏休みが終わる少し前。美緑と付き合うことになったと、優弥から報告があった。
望み通りの展開のはずなのに、どうしようもなく心は痛んだ。
「優弥と付き合うことになったんだってね」
二学期の始業式の朝に、美緑に話しかける。
「ああ、うん。そういうことになった」
美緑は嬉しそうに、はにかんで言った。
「優弥はいいやつだから、柳葉さんのこと、きっと幸せにしてくれると思う」
それは推測でありながら、心の底からの願いだった。
「そんな。大げさだよ。あ、優弥がいいやつってのは私も知ってるけど。幸せとか、そういうのは……まだ付き合い始めたばっかりだし」
「ああ、ごめん。あいつ、たまに何も考えないで突っ走るときがあるけど、上手く制御してあげてほしい」
「制御って……ふふっ」
「なんで笑うの?」
「いや、平賀くん、保護者みたいだなと思って」
「あはは。その通りかもしれない」
年齢的にもね。
「平賀くんは、彩楓とはうまくいってる?」
一瞬、呼吸ができなくなった。薄まりつつあった罪悪感が再び首をもたげる。
「……うん。俺にはもったいないくらい。すごく良い人だよね」
それは本心からの言葉だった。俺にはもったいない。だから早く、俺のことなんてどうでもよくなればいい。
「彩楓のこと泣かせたら許さないからね」
ごめん。きっと、泣かせることになると思う。だけど、今はそんなことを言っても、何の意味もない。
「肝に銘じておきます」
俺はなるべくおどけて見えるような表情で、そう答えた。
優弥と美緑は、案外うまくいっているらしかった。幼馴染だけあって、お互いのことをよくわかっているからだろうか。
本当は、美緑の隣にいるのは俺だったはずだったのに。
それを知らないで、楽しそうにしている優弥のことを純粋に祝福することができなかった。そんな自分のことが、心底嫌になった。
優弥と美緑が笑顔で会話をしているのを見るだけで、胸の奥がキュッと音を立てて軋む。
前の世界では、俺がそこにいたんだ。
本当なら、美緑は俺のことを好きになるはずなんだ。
それらはあまりにも無力で、どうしようもなく無意味な事実だった。
それでも、美緑の幸せを壊さないように、溢れそうになる気持ちを押し込める。グッとこらえて、なるべく二人を視界に入れないように努めた。
人の気持ちは、どこでどう動くかなんて予測不可能だ。何かの間違いで、この世界で美緑が俺に好意を抱いてしまうこともあり得る。
というのはもしかすると、微かな期待だったのかもしれない。
だから俺は、できる限り美緑に接触しないようにした。
それでも彼女が幸せかどうかを確認していたくて、話す機会もそれなりにあった。
嫌なヤツと思われるのが一番簡単だとも思ったけれど、彼女に嫌われるのはやっぱり怖くて、無表情でよくわからない人を演じた。
本当は、彼女から向けられる笑顔に、俺も笑顔で応えたかった。
俺が好きになったのは、前の世界の美緑で、今の美緑じゃない。そう言い聞かせてみても、やっぱり心は苦しくて――。
高校の勉強はさすがに難しい。上々な成績を保つには、ある程度勉強が必要だった。特に歴史や古典など、試験前日に一夜漬けでどうにかしていたものなんかは、順位が半分より下になってしまうこともあった。
部活には入らなかった。走ることは嫌いではないが、今さら青春を謳歌する気にはなれなかった。
十一年の時を巻き戻した俺の寿命は、五十五年削られている。巻き戻した時点で二十六歳だったので、合計で八十一歳。脳や体の機能なんかは高校生の状態だったが、いつ死んでもおかしくはないのだ。
放課後や休日は、基本的に一人だった。力を使う前の世界での記憶を頼りに、美緑が気に入っていた映画を観てみたり、美緑が読んでいた本を読んでみたりして過ごした。俺を愛してくれていた彼女の軌跡をなぞるように。
彩楓と出かけることもあったが、それも月に一回か二回程度だった。つまらなそうにしている俺といても、彩楓は笑顔だった。
俺の二回目の高校生活は、一回目に比べて暗く淀んだ色をしていた。
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