6-2 好きになっちゃいけない人だから。
――上手くいったみたいだな。
その日の帰り道、黒猫の姿をした神様が現れた。
「お前……どうして」
――神には時空の概念などないのだ。
どうやら神様は、時間や空間を超えて存在できるということらしい。無茶苦茶だ。
――それで、これからどうするつもりだ?
「美緑が幸せになるのを見届けるよ」
美緑が誰かと一緒になることで幸せになれるのなら、その相手は誰でもよかった。むしろ、俺ではだめなのだ。
そこで、俺が白羽の矢を立てたのが優弥だった。
俺と優弥は高校時代、と言っても時を巻き戻す前の話だが、それなりに仲良くしてきた。俺は彼の人間性をよく知っている。俺が美緑と付き合っているときには、彼女からも幼馴染である優弥の話をたくさん聞いていた。
優弥が美緑を好きだったことも、俺はすでに知っている。美緑も、優弥のことを特別な存在だと言っていた。前の世界で、俺は優弥に嫉妬したことが何回もあった。
優弥になら、安心して美緑を任せられると判断したのだ。
自分勝手だし、俺の手で美緑を幸せにできないことは苦しいけれど。好きな人のためにできることは、もうこれくらいしかなくて。
しばらくクラス内で、俺がいきなり老けたという噂が流れた。もっとも、その噂は的を射ているのだが……。
中学生らしく振る舞うのは難しくて、それ以上に恥ずかしかった。クラスメイトとの適切な距離感が上手くつかめない。
成績は上の方だった。さすがに、中学生の中に二十六歳の社会人が入ればそうなるだろう。元々それなりに成績は良かったので怪しまれることはなかったが、勉強せずに高得点をとるのは少し申し訳ない気もした。
一ヶ月も経つと、クラスメイトとかなり自然に話すことができるようになっていた。
中学生相応の振る舞いにも慣れてきたが、それでも徹底しきれない部分があるらしく、大人っぽい男子として定着してしまった。
まあ、俺が周りにどう思われようと問題はないのだが……。
優弥は順調に美緑との仲を深めていった。元々幼馴染で、昔はよく一緒に遊んでいたという話も聞いているので、ある程度のアドバンテージはあるのだろう。正月には初詣に一緒に行ったらしい。
それでも決定的な一歩は踏み出せなかったようで、結局友達のまま中学校を卒業した。
美緑も、優弥の態度が急に変わったことに違和感くらいは持っているかもしれない。が、その程度だろう。美緑から積極的にアプローチしてくることはないと思う。彼女が鈍感なのは相変わらずだ。俺と美緑が付き合い始めるときも、告白をしたのは俺の方だった。
俺は入試を難なくクリアし、
高校生活に関しては、中学のときよりは記憶が残っていた。しかし逆に、現在の俺が知らないはずのことまで知ってしまっているため、気をつけなければいけないことも多い。
高校の様子は、俺が時を巻き戻す前とほぼ変わらなかった。何人か知らない人間がいたり、知っている人間がいなかったりしたが、数カ月分の俺の行動の変化が引き起こした
「平賀くん……だよね。私、同じ中学の柳葉だけど……わかる?」
初日で、隣の席になった美緑が話しかけてきた。
巻き戻す前の世界でも、俺は美緑の隣の席になった。当時、美緑に恋していた俺は有頂天になっていた。運命だと思った。
しかし、今回の運命は残酷だった。
俺は美緑から距離をとらなくてはいけないのだから。
「ああ、優弥の幼馴染の」
俺は少し考える素振りをしてから答えた。
「そうそう。同じクラスみたいだから、一年間よろしくね」
俺と結婚するはずだった十五歳の少女は、少し控えめに笑った。
そうだ。俺はこの笑顔を好きになったのだ。
中学生の頃、陸上部だった俺は、よく学校の敷地の周りを走るトレーニングをしていた。そこで見える中庭にはいつも、花壇に水をやっている女子がいた。
澄み切ったピュアな笑顔で、嬉しそうにじょうろを傾ける姿がとても魅力的だった。
気づくと、彼女の笑顔を見ることが楽しみになっていた。いつの間にか、もっとそばで彼女の笑顔を見たいと思うようになっていた。
こうして俺は、美緑のことを好きになったのだった。
しかし、それは前の世界の話であって——。
「よろしく」
俺はなるべく美緑の方を見ないで答えた。
そうだ、これでいい。
この世界では、俺は美緑のことを好きになってはいけないし、美緑も俺のことを好きになってはいけない。
五十五年もの寿命を失った俺には、この手で彼女を幸せにする資格はない。
春宮高校には、
すぐに美緑と彩楓は仲良くなった。これも、時を巻き戻す前と同じだった。
しかし、俺が以前の世界とは異なる行動をしているため、当然違いは生じる。
その一つが、彩楓の恋心だった。
六月のある日、俺は砂生彩楓に告白された。
少し前からなんとなく察してはいたが、改めて直接聞くと驚きはある。
彩楓曰く、同級生とはどこか違う大人っぽい雰囲気に惹かれたそうだ。
精神年齢上はすでに三十歳近いのだから、正真正銘中身は大人なのだ。某推理マンガではないが……。だから、大人っぽいというのは少し語弊がある。
前の世界ではどうだったのだろうか。ふとそんな疑問が生じた。
砂生彩楓から特に好意を向けられているとは感じなかった。
俺が気づいていなかっただけとも考えられるが、彩楓の積極的な性格を考慮するとその線は薄そうだ。
「ごめん。好きな人がいるんだ」
そのときの告白はそう言って断った。
二回目のこの世界では、俺は誰とも付き合う気はなかった。どうせすぐに散る命だ。恋愛なんて意味が無い。
それに、俺が好きなのは結局のところ、美緑だけで。
しかし、俺は彩楓の意志の強さを侮っていた。
思い返してみれば、たしかに砂生彩楓はそういう女性だった。
「平賀くん、好きな人がいるって言ってたじゃん。その人にはもう告白とかしたの?」
「いや、してないけど……」
「なんで?」
「なんで……って言われても」
「もし告白してダメだったら、私と付き合うとか、どう?」
彼女は、ずい、と身を乗り出してくる。近い。俺は数センチ後退した。
「それは無理かな。俺は告白なんてしないから」
「どうしてよ」
彩楓は不満そうに口をとがらせる。
「……好きになっちゃいけない人だから、かな」
俺は苦笑いを浮かべて答えた。
「なにそれ……」
俺の答えに、彩楓は納得していない様子だったが、それ以上は聞かれることはなかった。
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