5-3 もう一度人生をやり直したとしても……。


「あ、ありがとう」

 美緑はひとまず、助けてもらったお礼を言う。


「どういたしまして」

 大地は口元だけで微かに笑った。


「えっと、久しぶり?」

 優弥からたまに話は聞いていたけど、直接会うのは高校の卒業式以来だった。


「うん、久しぶり」

「どうしてここに?」


「近くで用事があってね。帰ろうと思ったら、偶然絡まれてる知り合いを見つけて。柳葉やなぎばさんも帰るところ?」

「うん」


 美緑と大地は電車に揺られながら、近況を報告し合った。高校でも優秀な成績を保っていた大地は、難関とされる国立大学に進学していた。優弥と同じく、大学院に進学することが決まっているらしい。


 同じ駅で降りる。大地もまだ実家に住んでいるようだ。

「それじゃ、俺はこれで」

 改札を抜けると、美緑の家とは逆方向に歩いて行こうとする。


「ねえ、ちょっと待って」

 とっさに呼び止めた。先ほどのことで心細かったからというのも少しはある。しかし一番の目的は、優弥について聞くことだった。


「このあとって、時間ある?」

 不思議そうな顔をする大地に、美緑は言った。


 美緑と大地は駅の近くのカフェに入った。ゆったりした音楽と余裕のある広々としたスペースが、穏やかな空間を形成している。


 大地はコーヒーに砂糖をたくさん入れていて、なんとなくイメージと違うなぁ……なんて失礼なことを考えてしまった。


「で、どうしたの」

 甘いことが容易に想像できるコーヒーを一口飲んで、大地が聞いた。


「実はさ、最近優弥がなんか変なの」

「優弥が?」

「うん」


「変ってのはどんな風に?」

「表情が暗いっていうか、ボーっと何か考え事してることが最近多くて」

「へぇ。アイツがねぇ……」

 大地は、怪訝な表情で言った。上手く想像できないといった様子だ。


「平賀くん、優弥から何か聞いてない?」

「うーん……。いや、この前もアイツと飲んだけど、いつも通りバカだったよ」

「そんな、バカって。いや、バカだけどさ」

 あけすけな物言いに思わず笑ってしまう。


「柳葉さんは、優弥のこと好きなんでしょ?」

「う、うん」

 大地のストレートな質問に、照れながらも肯定する。


「じゃあ大丈夫。優弥はいいやつだから。絶対、柳葉さんを裏切るようなことはしないよ。そのうち普段通りになると思う」


 そう言い切った大地の表情は自信に満ちていて、美緑はそんな関係が羨ましいと思った。大地に対して、少し嫉妬もした。


「そうだよね。ありがとう」

「これからも、優弥のことよろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる大地が、なんだかおかしかった。


 それから数分も経たないうちに店を出た。コーヒー代は、遠慮する大地を無理やり説得して美緑が全て払った。絡まれていたのを助けてもらった上に、話を聞いてもらったのだから当然だ。


 彩楓とは、どうして別れたの? 好きな人って誰? そんなことも聞きたかったけれど、あまり踏み込みすぎるのはよくない。それに、聞いたところでどうにもならないとも思った。


 大地の言った通り、優弥は徐々に暗い表情を見せることやボーっとすることはなくなって、冬になる頃には元通りの優弥になっていた。きっと、一時的に何かがあったのだろう。本人から言ってこないようなら、それでいいと思った。




 美緑が生きてきた中で、最も幸せな日がやってきたのは、無事に大学を卒業し、社会人になって一年目の夏。仕事にも慣れてきた頃だった。


 優弥と付き合い始めてから、ちょうど八年目になる記念日。仕事が終わり、帰宅してすぐに優弥の運転する車に乗り込んだ。この日に出かけることは、一ヶ月前から約束していた。


「そろそろどこ行くか教えてよ」

 シートベルトを装着しながら尋ねる。


 実は、美緑は行き先を知らない。どこに行くのかと何回か聞いたけど、優弥は教えてくれなかった。


「まだだめ」

「えー?」

「着いてからのお楽しみ」

 どうやら意地でも最後まで教えないらしい。


「わかった。その代わり期待しちゃうからね」

 美緑は諦めて、助手席の背もたれに寄りかかった。


「おう。存分に期待しとけ」

 お気に入りの音楽を聴き、窓の外に映る見知らぬ風景を眺めながら車に揺られる。


 一時間ほどかけてたどり着いたのは、海沿いにある公園だった。夕日に照らされて綺麗に輝く海が見える。


「うわ。すごい……」

 美緑は言葉を失った。


 後ろから歩いて来た優弥が、隣に並ぶ。


「美緑、結婚しよう」


「……え?」

 波の音で聞き間違えたのだろうか。


 お昼はパスタにしよう。このあとやる映画、一緒に見よう。日常の中で交わされるような、そういった台詞と同じ調子で、彼は言った。

 それはあまりにも自然すぎて。一瞬、夢の中にいるのかと思ったほどだ。


「手、出して」

 優弥が美緑の左手を取って、薬指に指輪をはめた。そこでようやく、先ほどのプロポーズが美緑の聞き間違いではないのだと確信できた。


「これ、本当?」

「本当だよ」


「ドッキリとかじゃなくて?」

「あ? その指輪、いくらしたと思ってんだバカ」


「バカって言った方がバカだし」

「じゃあ返せバカ」


「やだ。私のだもん!」

 美緑は、左手の薬指にはめられたばかりの指輪を握り締める。


「じゃあ……その、いいんだな?」

「……はい。よろしくお願いします」


「よかった」

 安心したように息を吐いて、優弥はその場にしゃがみ込んでしまう。かなり緊張していたらしい。


 もしかして、大学四年生の頃に優弥の様子がおかしかったのは、結婚のことを考えていたからなのだろうか。美緑はそう結論付けて、勝手に納得した。


「絶対、幸せにする」

 立ち上がって、美緑の目を見た優弥がそんなことを言う。気持ちが抑えきれなくなって、優弥に抱き着いた。愛する人の腕に抱かれながら、幸福に包まれるのを感じる。


「好きだよ、優弥」

 美緑はこの日のことを、一生忘れることはないだろう。


「もう一度人生をやり直したとしても、私は優弥を好きになると思うよ」

 美緑を抱きしめる優弥の腕の力が、少しだけ強くなった。

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