5-2 思えばこのときから、悲劇へのカウントダウンは始まっていたように思う。
彩楓と会った次の週、美緑と優弥はカフェでレポートをしていた。
「彩楓と平賀くん、別れたらしいね」
「そうみたいだな」
素っ気ない言い方だ。優弥は何も悪くないのだが、少しムッとしてしまう。
「平賀くんから何か聞いてないの?」
大地の、手が届かない好きな人の正体を、優弥なら知っているのではないか。そう思い、美緑は尋ねてみたのだが。
「まあ、あいつにも色々あるみたいだし……」
答えは肯定でも否定でもなく、曖昧なものだった。
「それよりさ、なんかデザート食べない?」
優弥はわざとらしく話題を変えた。
「じゃあ私このパフェがいい」
テーブルに置いてある三角柱のメニュー表を指さして、美緑は言った。
「決めんの早……。ってか、やっぱ美緑も食べたかったのか」
「ち、違うし!」
結局、大地の件に関してはうやむやにされてしまった。もし優弥が詳しく知っていたとしても、美緑に教えることはないだろう。案外、義理堅いところがあるのだ。
大学生活は慣れてしまえばとても楽しいものだった。
自由度と行動範囲が飛躍的に増え、今までできなかったことができるようになり、知らなかったことをたくさん知ることができた。
サークルには入らなかったが、大学の近くの書店でアルバイトを始めた。
一人で大学の周辺のカフェ巡りをしたり、授業のない日に一日漫画喫茶ですごしたりした。好きなアーティストのコンサートに彩楓と行ったりもした。
もちろん、優弥とは色んな場所に行った。優弥が運転免許を取ってからは、車で出かけることもあった。
二十歳になってからはお酒を飲んだりもしたし、一泊二日で優弥と旅行にも行った。
人並みに充実した大学生活を送れたのではないかと思う。
大学四年生になって、就職活動が始まった。エントリーシートや面接は思ったよりも精神的に大変だった。
優弥に異変があったのは、四年生の夏頃だった。
思えばこのときから、悲劇へのカウントダウンは始まっていたように思う。
異変といっても、そこまで大きなものではない。ただ、呼びかけてもボーっとしていて反応が無かったり、ふとした瞬間に暗い表情を見せるようになったのだ。
一つひとつは小さなことだったが、それが短期間に数回重なるとどうしても心配になってくる。
「優弥、どうしたの。最近変じゃない?」
美緑は思い切って聞いてみた。
「別に、変じゃねーよ」
そう答える声も、何かを隠そうとするような響きがあって、美緑は余計不安になった。
違う女の子を好きになってしまったのだろうか。そんな最悪な憶測もしたけれど、優弥に抱いた違和感はそういった種類のものでもなかった。それに、優弥は絶対に裏切るようなことはしないと信じていた。
しかし、優弥が何かを隠していることはたぶん間違っていない。美緑の不安は募る一方だった。
なんだか今よりずっと先を見ているようで、どうすることもできない何かを受け入れようとしているような感じ。
まるで、自分がもうすぐ死ぬことを前もって知っているかのようだ。
気にならないと言えば嘘だけど、いくら恋人でも言いたくないことくらいあるだろうし、美緑も無理やり聞き出そうとはしなかった。
時の流れの速さを実感する、大学四年生の秋。あと半年もしないうちに社会人になるということが信じられない。美緑はすでに、幼稚園に就職することが決まっていた。
優弥は大学院に進学するらしく、卒業研究の他にも、企業との共同研究などで忙しいらしい。そんな日々の隙間を縫って、美緑との時間をつくってくれる優弥には感謝していた。
夏ごろから様子が変だった優弥は、普段通りに戻りつつあった。しかし、まだ時折、何か考え事をするように黙ってしまうことがある。
卒業するために必要なことはもうほとんどない。残りは卒業論文の提出くらいだ。週に一度のゼミ以外に講義はないし、サークルにも所属していなかった。
その日も午前中に図書館で調べものをして、昼過ぎに大学を出た。
赤や黄色に色づいている木々を眺めながら、駅までの道を歩く。平日の昼間だけあって、
数分で大学の最寄り駅に到着する。雲一つない青空から、柔らかな陽射しが降り注いでいた。天気がいい。家に帰っても特に用事はないので、外で本を読もうと思った。駅前のベンチに腰かけて、読みかけの文庫本を開く。
心地よい気温と程よい雑音のおかげで集中することができ、すぐに一時間が過ぎた。
キリのいいところまで読んで、栞を挟む。そろそろ帰ろう。道を行き交う人々を眺めながら、立ち上がろうとしたそのとき。
「お姉さん、一人?」
男が声をかけてきた。いかにも軽そうな大学生風の青年だ。髪が不自然に長く、然るべき人間が身に付ければお洒落になるであろう眼鏡をかけていた。
「いえ、あの……」
美緑は戸惑い、目を逸らして拒絶を示した。こういったことは高校時代にも何度かあったが、一緒にいた彩楓が全てきっぱりと断ってくれていた。
しかし、今は隣に彼女はいない。
「よかったらご飯でもどう? 奢るよ?」
「いえ。大丈夫です」
あれはたしか、高校二年生のとき。絶妙に似合っていないファッションの男二人組を撃退したあと、彩楓が言っていたことを思い出す。
――ああいう男は、こっちが押しに弱いことを見抜くと、とことんしつこいから。早めにぶった切らないと。
それがわかっていても、いざとなると声が出ない。
「いいじゃんいいじゃん。ほら、俺、パンケーキが美味しいとこ知ってるから」
男の手が美緑の肩に触れる。鳥肌が立った。気持ち悪い……。
「いや、あの……。ごめんなさい、ちょっと……そういうのは」
消えそうでか細い声しか出てこない。これではだめだ。美緑は下を向いて固まる。頭が真っ白になって、何を言えばいいのかわからなくなってしまったそのとき。
「すみません」聞き覚えのある声。「嫌がってるんで、離してもらっていいですか?」
単調で冷たい感じなのに、どこか優しさも内包しているような不思議な魅力がある。張り詰めていた神経が、ふっと緩んだ。
「んだよ。誰だお前」
肩に置かれた手の感触が消える。視線を上げると、かつての同級生が立っていた。
「平賀くん?」
「もう一度言います。彼女は嫌がっています。これ以上しつこくするようでしたら、警察を呼びます」
大地は美緑の声には答えず、男を見て言った。有無を言わせぬ説明口調。先ほどよりも声が大きく、周りの人たちの注目を集めている。
男もさすがに気まずくなったようで、大地にわざと肩をぶつけると、舌打ちをしながら早歩きで去って行った。
美緑をかばうように立っていた大地は、安心したように息を吐いた。
「大丈夫?」
振り返った大地は、高校の頃の理知的な面影を残したままだった。
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