第3章 玲瓏の茜空
3-1 春は、すぐそこまで近づいていた。
入試本番でそこそこできた手ごたえはあったが、いざ合格発表となると緊張した。もしも落ちていたら……。どうしても、思考は悪い方に傾いていく。
しかし、発表の会場となる高校でばったり会った優弥が珍しくそわそわしていて、美緑は逆に落ち着いてきた。
自分の番号を見つけたらしい優弥が、安心しきって気の抜けた表情をしていたのが面白かった。
進学先が決まったその一週間後、中学校の卒業式が行われた。
振り返ると、それなりに充実した三年間だったと思う。楽しいこともあったし、悲しいこともあった。
入学するときにはぶかぶかだった制服も、今では窮屈なくらいだ。これを着るのも最後かと思うと、寂しさがこみあげてくる。
卒業証書の入った筒と花束を持った卒業生たちは、まだ中学生でいたいと言わんばかりに、なかなか帰ろうとせず、昇降口の前に溜まっていた。
校門の周辺は、泣いている女子や大声で騒ぐ男子であふれていた。ちらほらと在校生の姿も見える。
美緑も、大多数の生徒がそうするように、仲の良かった友達と別れを惜しんだ。高校生になっても、たまに遊ぼうね。そんな、果たされるかどうかもわからない約束を、大真面目な顔で交わす。
ひと際大きな黄色い声が聞こえた。十人以上の生徒たちが、異様な盛り上がりを見せている。
どうやら、二年生の女の子が、卒業する男子生徒に制服の第二ボタンを貰っていたらしい。
……優弥は、誰かにあげるのだろうか。一瞬そんなことを考えたけど、自分には関係のないことだ。浮かんできた疑問をすぐに振り払い、再び友人との会話に没入する。
中学生として最後の友人たちとのおしゃべりを堪能し、三十分以上が経ってから、美緑はようやく帰路についた。
「ただいまー」
「あら、おかえり。卒業おめでとう」
母親がソファでくつろぎながら美緑を迎えた。
「ん。ありがと」
それだけ言って、美緑は自分の部屋に入る。
これからクラス会があるため、また出かけなければならない。三年間を共に過ごした制服に別れを告げて、私服に着替える。
家を出たタイミングで、優弥と鉢合わせた。ちょうど帰って来たところらしい。
「あ、卒業おめでとう、優弥」
「おう。
優弥の制服には第二ボタンがついたままで、美緑は安堵を覚えた。
「クラス会」
「ふーん」
だからといって、自分が貰うつもりもなかった。
「優弥のクラスはないの?」
「あるよ。ってか時間ヤバいんだ。じゃーな」
少しだけ、ほんの少しだけ欲しいという気持ちはある。なんとなく、青春っぽくていいな。そう感じただけで、恋愛感情とかそういった理由ではない……と思う。
「うん。バイバイ」
けれど、もし誰かからもらうとしたら、優弥以外は考えられない。
自分で自分がわからなくなるような、モヤモヤした気持ちになる。美緑はそれ以上考えるのを止めた。
美緑は、クラス会が行われるという駅前のファミレスに向かって歩き出した。
陽射しが暖かい。セーター、要らなかったかな。
春は、すぐそこまで近づいていた。
春休みは瞬く間に過ぎ去り、美緑の高校生活は始まった。
真新しい制服に袖を通すと、高揚感を感じた。まるで背中に翼が生えたみたいだ。
美緑は、高校生活に対して漠然とした期待と不安を抱いていた。
ドラマや漫画の中で描かれている高校の青春は、どれもキラキラしていて憧れる。現実はそういった作り物の世界とは違っていることも、もう理解していたけれど。
それと同時に不安もあった。高校という未知の世界について、美緑は何もわからなかった。
制服はどう着ればいい? メイクは? バッグは? ティーンズ向けの女性雑誌で勉強しておくべきだろうか。流行りのSNSにも登録しておいた方がいいのだろうか。人付き合いが得意とは言えない自分が、新しい環境で上手くやっていけるだろうか。そんな風に、心配ごとを数えればキリがない。
優弥と一緒の高校に行けてよかったと思った。高校生という新しい場所へ踏み出すときに、自然体で接することのできる人間が近くにいるということは心強い。
美緑が意外な人間を発見したのは、入学式のときだった。
中学よりも綺麗で大きな体育館。新入生とその保護者たち、高校の職員が規則正しく詰め込まれている。
校長の話やPTA会長の話などが長々と披露される中、生徒たちは揃いも揃って眠たげな表情をしていた。
教員の紹介が終わり、次は新入生の誓いの言葉。
「新入生代表。
名前を呼ばれたのは、美緑と同じ中学にいた男子だった。
「はい」
歯切れの良い返事をして立ち上がった男子が、背筋を伸ばして壇上に上がる。
スポーツ刈りがよく似合う後頭部をこちら側に向け、まったく焦りや緊張を感じさせないはっきりとした発音で、誓いの言葉と称されたテンプレートな目標と抱負を述べる。
美緑は同じクラスになったことはなかったが、彼の存在は知っていた。
「今日の生徒代表の人って、うちの学校にいた平賀くん?」
教室に戻る途中、優弥に尋ねた。
「ああ、大地だよ」
優弥の口から出た『大地』という音には、親し気な響きが込められていた。
「たしか、平賀くんも陸上部だったよね」
大地は優弥と仲が良かった。人気者で友達の多い優弥に対して、大地はどちらかというと地味で、大人びた男子。タイプ的には違う二人だけど、よく話していた。
「そ。俺は短距離で大地は長距離だから、練習とかは別々だったけどフツーに仲良い」
「あー、わかる」
「わかるって、何が」
「優弥が短距離で平賀くんが長距離ってとこ」
「なんでだよ」
「だって、優弥は後先考えず全力で突っ走っちゃいそうだけど、平賀くんは計画的に確実に任務を遂行しそうな感じがする」
「後先考えずって……。そんな人を単細胞みたいに。まあ、当たってなくはない」
優弥が口をとがらせて、わかりやすくいじける。
「別にいいじゃん。全力疾走。むしろ私はそっちの方が好きかな」
好きという言葉を使ってしまったことに、美緑は発言してから気づき、首から上の温度が少しだけ上がったような気がした。
「そりゃどーも」
幸い、優弥はふくれっ面で気にしていないようだ。
そうだよ。好きっていうのは別に優弥自身のこととかじゃないし。美緑は心の中で言い訳をしながら、優弥の隣を歩いた。
美緑はふと疑問を抱いた。でも、どうしてこの高校なんだろう。距離的な要因もあって、美緑たちの中学から春宮高校に進学する生徒は多く、今年も十数名いるから不自然ではないけれど……。平賀大地は、定期テストでは毎回、学年全体で一桁に入るような生徒だったはずだ。
「でもさ、平賀くんならもっと頭のいい高校行けたんじゃない?」
生徒代表のあいさつをしていたということは、春宮高校の新入生の中で一番入試の点数が高かったことになるのではないだろうか。ということはやっぱり、彼は勉強ができるということになる。
「まあ、そうだな。あいつは『電車で通うのが面倒だった』って言ってたけど」
「へぇ。そうなんだ。私と同じ理由」
「ふーん」
「ふーんって何?」
「別に。何でもないけど」
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