2-4 君の秘密の願い事。


「うっし。じゃあ、とりあえずおみくじ引いときますか」

 神社を一周し、正月の雰囲気を存分に味わったところで、優弥が言った。


「え。凶とか出たら笑えないんだけど」

 そう言いながらも、美緑は優弥に促されるまま巫女さんの前の列に並ぶ。


「大丈夫だって。もし悪かったらあの縄みたいなやつに結んどきゃいいんだろ。そもそも、今は大吉引く自信しかねえ」

「なんなの、その根拠のない自信は」


 やがて二人の番がきて、一回ずつおみくじを引いた。乱暴な手つきでおみくじを広げる優弥を横目に見ながら、美緑はおそるおそる紙を開く。


 お互いの結果を見比べること数秒。

「……マジかよ。負けた」

 美緑は大吉で優弥は末吉だった。


「いやいや、おみくじって別に勝負じゃないから……。でも良かったじゃん。二人とも凶じゃなくて」

「まあな。お、学業のところは『安心して励め』だ」


「私は『自己を信じて努力せよ』だって。これじゃ良いのか悪いのかはっきりしないね」

「とりあえず頑張れ、ってことだろ」

「うん。とりあえず頑張る」


 他の項目にも、同じような無難な言葉が並んでいた。

 一通り読み終えると、美緑はその場から数歩移動する。


 地面に立てた二本の木の間に張られた縄に、たくさんのおみくじが無秩序に括り付けられていた。まるで白い花が咲き乱れているようだった。

 美緑はおみくじをたたんで、胸当たりの高さの縄に結ぼうとする。


「あれ、柳葉、なんで大吉なのに結んでんの? 実際はどうかわかんないけど、おみくじって悪かったら結ぶみたいなイメージない?」

 後ろから歩み寄って来た優弥が問いかける。


「いや、私の大吉が、ここにおみくじを結んだ人たちに広がればいいなーって」

「へぇ。ホントにお人好しだよな」


「悪い?」

「いや。そういうの、柳葉の良いところだと思う」

 茶化されるかと思いきや、ストレートにそう言われて、美緑はむず痒さを感じた。


「うん……ありがと」

 結びつけるのに集中するフリをしながら、素っ気ない返事をする。


「じゃ、俺も結んどくわ」

 優弥がおみくじを細く折り始めた。


「末吉なんだから無理しない方がいいんじゃない?」

「未来は自分の力で切り拓くもんだろ」


「うん。そうだね」

「今の笑うところだぞ」

 優弥は縄の一番上、身長よりも高いところに手を伸ばした。


「なんでわざわざ背伸びしてまで結ぼうとしてんの」

「上に結んだ方がなんとなくいいだろ」


「そうなの?」

「そうだよ」

 優弥はつま先立ちで、結ぶのに苦戦していた。


 手持無沙汰になった二人は、行く当てもなくフラフラと歩く。

「あれ、やるか?」

 立ち止まった優弥が指さしたさきにあったのは、絵馬だった。


「いいね」

 二人は五百円ずつを払って絵馬を買う。


 美緑はマジックペンで『高校に合格できますように』という文章と名前を書き入れた。改めて眺めてみると、ずいぶん無個性な印象を受けた。きっと、同じ文面の絵馬がこの神社だけでも十個はあるだろう。


 そんな何の変哲もない絵馬になってしまったので、空いたスペースにゆるキャラの絵をかいておいた。


「できた」

「おー。上手いな、このクマ」

 先に書き終えていた優弥が、美緑の絵馬を覗き込んで言った。


「いや、それウサギだから」

「……」


「優弥は書けた?」

「一応」

 優弥は、書き終えたと思われる絵馬を裏にして胸の辺りに抱えている。


「見せてよ」

「やだよ」

「なんで」


「絵馬って、吊るす前に人に見せたら書いたことが叶わないんだって」

「えっ、私見せちゃったじゃん。どうしてくれるの」


「嘘だよバーカ」

「あー、バカって言った方がバカだから!」


 優弥とのそんな不毛な応酬は、昔に戻ったみたいで楽しかった。が、結局、優弥は何を書いたのか教えてくれなかった。


「名前も書いてないから、探しても無駄だぞ」

 そう言って、美緑から離れた場所で絵馬を吊るしていた。


 もしかして、好きな人の名前でも書いてあるのかな。そんな想像をしたときに、心がキュっと音を立てて軋んだ。


 賽銭箱の前には、当然のように行列ができていた。二人は列の最後尾につく。

 少しずつ前進。美緑と優弥との間に、会話はあったりなかったり。話題が一通り尽きてしまったようだ。しかし、沈黙も別段苦痛には感じなかった。


 十分ほどかけて、賽銭箱の前にたどり着く。

 作法はよくわからなかったので、前の人のものを真似した。


 一礼。鈴を鳴らし、五円を賽銭箱に投げて二礼二拍手。

 家族全員健康でいられますように。いいことがありますように。春宮高校に受かりますように。それと――優弥も合格しますように。……ちょっと欲張りすぎたかもしれない。


 最後に一礼。

 五円だけじゃ少ないかもしれないけど、大事なのは気持ちだ。


 優弥も参拝を終え、二人は賽銭箱から離れる。

 立ち去るときに、美緑は振り返った。視界の隅に動く何かがいたような気がしたからだ。


 黒っぽい何かは素早く建物の陰に消えたため、すぐに見失ってしまった。きっと野良猫か何かだろう。


「マジで落ちたらどうしよう」

 神社からの帰り道、優弥が呟いた。


 午後四時を少し回ったところで、日はかなり傾いている。

「珍しいね。優弥がそんな不安になるなんて」


「いや、だってほら。俺の実力と春宮の偏差値見たら、ちょっと高望みしてるのはわかるし。けどさ、明らかに無理なわけじゃないから諦めるのも違うような気がして。あと、せっかくだから一緒の高校いきたいじゃん」


 誰とだろう。普通に考えれば、今隣を歩いている自分のことであるはずだけど、美緑は確信が持てなかった。


 一緒って、誰と? そう聞き返したかったけれど、他人の名前が出てきたときに何だか恥ずかしい。だからそんなことはできなくて。でもやっぱり気になる。

 だから代わりに美緑は、冗談めかしてこう言ったのだ。


「私もできれば優弥と一緒の高校がいいな」

「できればかよ」


 会話が食い違っていないことから、さっきの美緑の考えが正しかったことがわかる。


 嬉しかった。嬉しさとは別の何かもこみあげてきて、顔が熱くなっているのがわかる。優弥はそのことに気づいているだろうか。


「でもさ、おみくじも良かったし、絵馬も書いたし、お祈りだってしたし。これで落ちたら、神様あんた何様だよって感じじゃん?」

 焦って変なことを言ってしまう。


「神様は神様だろ」

「そっか」

「そうだよ」


 結果的に優弥が笑ってくれたので結果オーライだ。美緑も笑顔になる。

 少しずつ暗くなっていく道を二人並んで歩くと、二十分弱で家の前に到着した。


「今日は誘ってくれてありがとね。いい息抜きになった。受験勉強、頑張ろうね」

 優弥にお礼と激励を伝える。


「おう。死なない程度に頑張る。……あ、そうだ。これ」

 優弥が思い出したように、ポケットから取り出した何かを手渡してきた。美緑はそれを受け取る。


 手のひらから少しはみ出すくらいの大きさの白い袋。おそらく、神社で買ったものだろう。


 折ってあった部分を開き、袋の上から中身を見る。お守りだった。取り出して目の前に掲げる。


 赤い五角形に、綺麗な楷書で『学業御守』と書かれていた。

「くれるの?」


「ん。俺も同じの買ったし」

 そういえば今日、優弥は途中で何か買っていた。


「あ……ありがと」

 申し訳ないような気もしたけれど、それ以上に嬉しいし、せっかくもらったものを遠慮する方が申し訳ないことに気づいて、ありがたく受け取らせてもらうことにした。


「おう。それじゃ、また」

 優弥はそう言うと、踵を返して自分の家の方へ歩いて行った。


『良い人が現れる』

 おみくじの恋愛の欄に書かれていた一文が、なぜか頭に浮かんだ――。




 残りの冬休みもあっという間に過ぎ去り、すぐに三学期が始まった。


 授業に自習が多くなったり、騒がしかった休み時間にシャーペンの音が聞こえたり、放課後の図書室に人が増えたりした。それらの小さな変化が、受験が目の前に迫っていることを実感させた。


 美緑自身には特に大きな変化はなく、受験に向けて勉学に励む日々が続いた。優弥から貰ったお守りは、常に筆箱の中に入れていた。

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