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 やがてたいまつを持った村人たちが追いついてくる。


 先頭を切っていたカインの親父さんは、意識を取り戻したカインを見て、しばし棒のように立ち尽くした。冷や水をぶっかけられたという様子だった。ぶっ殺す小娘狩る小娘ぶっ殺すという触れれば血が出そうな形相でいたものが、無事な息子の姿を見て吹っ飛んでしまったのだった。カインに駆け寄り、まず一発そのどたまをぶん殴って、それからはっしと抱きしめて、人目も憚らず大声で泣き出した。カインは、何が起きたかわからず目を白黒させていた。


 村人の多くは、まずはカインの無事を喜び合っていたが、悪魔アーイーがどうなったものか腑に落ちないでいる顔もあった。その中のひとりがプラニチャの親父さんで、「この木の上なんだな」そう言って、熟練の技術でするすると木を登ってきた。


 やば、隠れなきゃ、と一瞬肝を冷やしたけど、アーイーが僕のために身を張ってくれたのだから、今度は僕がアーイーのために一肌脱ぐ番だった。彼女はこの場を魔法でだまくらかすこともできるんだろうけど、そうしちゃいけない、と思った。


 プラニチャの親父さんは僕が枝の上にいるのを見てびっくりしていた。どやされたり諭されたりする前に、信じてもらえるかどうかわからないけど、と前置きして、僕はここで起きたすべてを話した。そして、ここがアーイーとその旦那さんの巣であること、彼女たちがずっとこのなわばりで暮らしていけるように取り計らってほしいと頼んだ。


 プラニチャの親父さんは何度も首をひねって、信じられん話だと渋い顔をしていたけれど、僕の真剣さはどうにか伝わったようだった。岩棚の見える場所まで登って、この騒ぎの中でもこっくりこっくりと舟を漕ぐアーイーの旦那さんの姿を確かめると、場を収め巣を守ることに納得してくれた。木を下りていき、何もありゃしない、とすぐにみんなを村へ引き揚げさせた。


 きゅいいいいいぃぃぁぁあ。


 すべてを見守った月明かりの中を、さぁっと横切る一羽の鷲の影。鳴き声が、夜の冷気を裂いて谷に響き渡る。


 山はやがていつも通りの夜のしじまを取り戻していった。


 そしてその夜を境に、屋根の上で鷲の歌を歌う美少女は、村から姿を消した。




 アーイーの行方は、そのままようとして知れなくなった。鷲の姿であってさえ、どこにも姿を見せなかった。巣に行ってみると、さびしげに一羽たたずんでいた旦那さんに、総毛立てて威嚇されてしまった。


 一方で、もともと彼女なしに五年間を過ごしてきた教室は、すぐに彼女が来る前の様子に戻った。ひとつだけぽつんと空いている教室一番後ろの席に誰が座っていたのか、僕以外はもう誰も覚えていない。


 しばらくはおとなしくしていたカインも、鼻の頭の傷跡が薄れていくにつれ、また傍若無人なボスとして振る舞うようになった。むろんロクシオ先生はナサケナイまんまで、サイネヤ先生はつるぺたのまんまだ。僕だけが、ときたまぼぅっと外を見やって、窓からあの白いスカートが飛び込んでこないか待っている。


 ただ、山狩りに出た誰もが、あの甲高いアーイーの鳴き声を聞いていた。夜に狩りをする鷲なんて誰も知らなくて、それでしばらくは鷲が悪魔だったという説と、鷲が悪魔を追い払ったという説が並び立ち、大人たちの間で議論の種になっていた。後者がやや優勢のままに村に平穏な毎日が戻り、やがてほとぼりが冷めて誰も彼もこの一件のことを忘れてしまったようだった。


 たったひとり、ようやく起き上がれるようになったブフじーさんが、悪魔を追い払った夜の鷲の物語をもっと小さな子供たちに聞かせている。事件を人づてにしか知らないじーさんの話はずいぶんと脚色されていて、困ったことに勇敢な鷲はオスということになっている。




 事件から二ヶ月くらい経った、緑濃くなったある夏の日のことだ。


 きゅぃぃぃぃぃ。


 学校から帰る途中の下り坂、道沿いのけやきの木の上から、聞き覚えのある鳴き声がした。見上げると、枝に一羽の鷲が留まっていた。その真の姿を、太陽の下で見るのは初めてだったけれど、僕にはひと目でわかった。アーイーだ。


 「ガソくん、ひさしぶり!」


 白いスカート茶色の長い髪の人間の姿にぱっと変身し、横に長く伸びた枝にすとんと腰掛けて、高みから僕を見下ろす。孤高というか不敵というか、つんと勝ち気にすました様子は、学校にいた頃と何も変わっていなかった。


 「アーイー! ……今まで、どうしてたのさ?」


 「ちょっとね、鷲の魔法学会に」なんだそりゃ。いなくなった理由って、もしかしてそれだけ?「記録更新を申し立ててきたのよ。ちゃんと受理されたから、これで鷲の変身チャンピオンはあたし。ま、でもたかだか二ヶ月チョイじゃ、いずれ誰かに追い抜かれちゃうから、早いとこ自己記録更新しないとね」


 そういうものなのか、と思いつつ、僕は枝の上のアーイーに尋ねた。「まさか、また転校してくる気じゃないよね?」


 アーイーは首を横に振った。


 「学会で集まるときだけは、よそのなわばりを自由に通行する許可が出るのよ。いい機会だったから、『町の中学』っていうのちょっと見てきた。今度はあそこでやってみてもいいかな、って思ってる」


 ずいぶん簡単に言う。なわばりって、絶対的なもののはずじゃなかったのか。「……そんなにほいほいできるものなの? 町の辺りをなわばりにしてる別のヤツがいるってことなんだろ?」


 すると、返事はこうだった。


 「そりゃあ、まずヤツらをぶち殺してなわばりをぶんどるのよ。こっちからケンカ売るんだから、命懸けで抵抗されるのは覚悟しなくちゃね。旦那をもう少し鍛え上げないと厳しいかもしんない」


 彼女の鷲の本能は未だ健在だ。そらまぁ、本能だもんな。どうしようもないよな。


 ていうか、アーイーの旦那さんて、留守は守らされるわなわばり争いには先陣切らされるわ、いいようにこき使われているだけなんじゃないだろうか。もしかして、先生たちみたいに魔法でだまくらかされてるんじゃないだろうか。僕は、憐憫の思いを禁じえなかった。


 そんな心理状態だったところへ、「それでね、今日はちょっとガソくんにお願いがあってぇ」───アーイーの口調が、なんだかちょっと甘ったれたものに急に変わったのを聞いて、悪い予感がぞぞぞと背筋を駆け上ったのは、人間がまだ捨てていない野生の本能の一部分だったろうか。


 いいとも悪いとも答えないうちに、アーイーはさっさとそのお願い事を話し出した。


 「狼の魔法学会でも似たような話が持ち上がってるらしいんだけど、ガソくん、彼が暮らせそうなところ、探してあげてくれないかなぁ?」


 狼? 彼?


 するとけやきの太い幹の影から、毛皮の服を着て毛皮の帽子を目深にかぶった、精悍な顔立ちの色黒の青年がひとり、のそりと姿を見せた。しばらく口を開け、舌を出したまま、はっ、はっ、はっ、と荒い息をしていたが、ゆっくりと、その口を注意深く閉じた。それから毛皮の帽子を取ると、僕の方に向き直り、顔に似合わぬつぶらな瞳で僕を見据えて言った。「拙者ワーホゥと申す。以後お世話になり申す」


 僕は、動物の動物たる短絡な思考パターンに頭がくらくらしてきた。冗談だろ?


 「……帰っていい?」愛想笑いを顔に貼り付けて、アーイーに尋ねてみた。


 「無事に帰れたらねっ」アーイーは枝の上で足をぶらぶらさせながら答えた。


 あぁ。


 彼らに、複雑な人間社会のご都合というものを教えてさし上げるのは、僕の思ったよりずっとずっと困難なことのようだ。


 僕はまだまだ、勉強が足りない。


 「もしも世話してくれぬと申されるなら」狼の魔法使いワーホゥは、しごくまじめな顔で、実直きわまる口調で、こう言った。「首根っこ噛みちぎってくれるぞっ」


                                 <終>

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