39話【飾】
午後の授業も終わり、雅はぼんやりと外を眺めていた。
近頃ぽつりぽつりと雅に声を掛ける生徒が現れてきたが、口下手な雅は軽快なコミュニケーションが取れないでいた。おかげで雅とクラスメイトとの距離は、以前とそう変わらない。
雅にとっては今までになく快適―とは言ったものの、この日の教室はどうにも暑く、6月という時期もあり校内の空調はまだ冷房に切り替わっていない。
じわりと滲む汗が不快で、雅は菖蒲色の長い髪を高い位置で束ねた。窓から入り込む風が少し体を冷やしてくれる。
ここの所気温が高くなってきたこともあり、雅は自身の長い髪を少々疎ましく思っていた。
今後、字持ち達との交戦で不利になる可能性もある。いっそ短く切ってしまおうかと考えていると、クラス委員が教卓の前へ出て来た。ホームルームの時間のようだ。
「それじゃあ、3-Bの出し物を決めたいと思います。まず、部門はステージと模擬店、校内展示のどれにするか、意見をお願いします」
クラス委員は黒板に向き直り、チョークを滑らせた。書き慣れない字で「ステージ」、「模擬店」、「校内展示」と書いていく。
「高校生活最後だし、俺はみんなでステージ立ちたい」
「バンドとかやる?」
「クラス写真展示とかの方が楽じゃない?」
銘々に案を出していき、クラス委員は慌ただしくそれを文字に起こしていく。そんな様子を遠巻きに見ていた。
やがて一通り意見が出揃ったのか、教室がしんと静まった。と、同時に雅は自分に視線が集まっていることに気付いた。それまでのやり取りを他人事の様に聞いていた雅は狼狽えた。
「え、ええっと……?」
「森山さんはどんな出し物がしたいですか?」
クラス委員の試すような声色に視線が泳ぐ。まさか自分に提案する権利があるとは思いもしなかったのだ。まるで案など考えていなかった雅は適当な意見すら出てこず、諦めて正直に告げた。
「……ごめんなさい。今までそんなこと聞かれた事が無かったから、何も浮かばないの」
その言葉に教室の空気が張り詰めた。ほんの少し後悔したが、言うしか無かった。
「森山さん……」
「ごめんなさい。私は、みんなの意見に賛成だから」
きっと自分の意見など無くても滞りなくホームルームは終わるだろう。皆の顔を見ることが出来ず、俯いたまま着席しようとした。その時、
「お願い、もう一回だけ考えてみてくれない?」
「え―」
更に思いもよらない言葉だった。
「私、森山さんの意見が聞いてみたいの」
「そうだよ。時間あるし」
クラス委員の真剣な表情に触発され、周りのクラスメイト達も雅の背中を押した。雅はそこまで言葉を重ねられて響かないような人間ではなかった。
怖々と、けれど期待を持って、小さな憧れを口にしてみることにした。
「じゃあ、あの―わ、私はみんなで、劇をやってみたいな……!」
「劇?お芝居ってこと?」
一瞬の沈黙の後、皆がお互いの顔を見合わた。余程意外だったようだ。周囲の反応に雅は気付けば赤面していた。
堪らず否定的な言葉を自ら生み出す。
「う、うん。でも、もう二週間ちょっとしかないし、覚えるのは厳しいよね」
「いいじゃん。俺は賛成」
一人がそう言うと、つられるように他のクラスメイトも同意する。
「短い話ならいけるんじゃない?」
「劇かぁー、中学の演劇部でやったきりだわ」
「へえ、担当は?」
「こうみえて脚本」
「出番じゃん!」
「いいんじゃね?劇」
疑り深い雅は忖度されているのでは無いかと訝ったが、どうやら本当に前向きに検討されているようだ。身内以外を信用しきれない自分を少し恥じた。クラス委員が黒板に演劇と書いた後、大きな丸でぐるぐると囲った。それを満足気に見つめ、そしてクラスメイト達に向かって大きな声で宣言した。
「じゃあ賛成多数で、3-Bの出し物は劇に決定!期間ギリギリだし、なんの劇やるか決めるよ!」
再び意見が交わされる教室の中、雅は立ち尽くしていた。
自分の声が届いたことに感動しているのだ。嬉しさのあまり、どうして、と呟いていた。それを聞いていた一人の生徒が言う。
「どうして、って……みんな良いと思ったからでしょ?」
さも当然のようにそう答えた者を筆頭に、雅の周りにはクラスメイト達が集まって来て、あっという間に囲まれてしまった。
「あのさ、ウチら字持ちってだけでちょっと誤解してた。別にウチらと変わんないじゃんね。今まで腫れ物みたいに扱ってごめんね」
「この間桐生とやり合ってるの見た時はビビったけどな」
「前の森山さんってなんか怖いイメージあって話しかけづらかったけど、桐生くんや武藤さんと居る時、楽しそうだったからさ。今は字持ちだから怖い、なんて思ってないよ」
「そうそう、NOAHのイメージも何か変わったよね」
「それより森山が暗すぎ。もっと素直でいいと思うぞ」
次々と掛けられる温かい言葉に、自然と表情も笑顔に変わる。
字持ちはその存在を肯定される事はない。だからこそ周り以上に自分を律する必要があると、字持ちであることで、負い目や義務感を感じていた。
「今度、千尋くんや灯ちゃんの事も紹介するね。二人もみんなみたいに思ってくれる人が居るって聞いたら喜ぶと思う」
そこで雅は気付いた。
自分を肯定される事より、
その欲求にも近い感情の中、脳裏に描かれたのはNOAHや顔見知りの字持ちだけではなかった。
遠藤律、山崎紫乃、そして浅井紅麗。敵対している筈の字持ちですら、愛されて欲しいと願っていた。
彼らを心の底から憎むことがどうしても出来ない自分に気付いたのだ。
「森山さん、どうしたの?ぼーっとして」
「え?ううん、何でもないよ。演目、決めないとね」
自分の在り方を問われているような気がして、どうしようもなく胸がざわついた。
*
ホームルームは無事に終わり、明日以降本格的に大道具等の準備に入る事となった。
最終的に、雅達が行う劇は王道の『シンデレラ』に決まった。但し、脚本は先程のホームルームで推薦された、
自分でも分かる程に浮かれていた雅はいつもの昇降口で、鼻歌交じりに灯達を待っていた。階段を降りてくる足音に気付き、そちらへ顔を向けると、降りてきたのは千尋だった。
「森山」
「あ、千尋くん。待ってたよ」
「おう。……なんか機嫌良さそうだな」
「あれ、私ってそんなに分かりやすかったかな」
「まあな。それで、何があったんだよ」
自分の話を聞こうとしてくれる千尋の気遣いがまた嬉しく思えた。
「あのね、」
先程クラスメイトから掛けて貰った言葉を伝えようとして、『嵐』に肩入れしている字持ち達の事が頭を過った。この事を含めて千尋に言うべきか、雅は迷った。すると、千尋はその迷いを見抜いたかのように言った。
「なんかよく分かんねぇけど、思ってること有るんなら全部言えよ」
「え?」
驚いた。千尋は勘が鋭いとは以前から思っていたが、それ以上に、表情や仕草から感情を読み取る事に非常に長けていた。
「今お前、何か誤魔化して話そうとしただろ」
千尋には敵わないとばかりに、雅は苦笑混じりに言った。
「―なんで、千尋くんには分かっちゃうのかな」
「俺は……」
その時、一段飛ばしに階段を駆け下りてくる灯の姿が見えた。千尋は気まずそうに目をそらすと、間に合わせの言葉で締め括った。
「まあ、話すのは武藤でもいいし……とにかく、抱え込む事はねぇよ」
「……うん。ありがとう」
「二人共いつもごめんね、遅くなって!」
「今日は私もご一緒してもいいですか?」
灯の背後から淑やかな足音で現れたのは、束だった。
NOAH 八ツ尾 @utakata_komachi
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