38話【捕】
NOAHのとある階、雅達はまだ知らない場所。無機質を装った堅牢な扉の並ぶ廊下を、二人は歩いている。
蛍光灯に照らされてはまた影を落とされる二人の横顔は、雅達に見せるそれとは別人の様だった。
「ここかい、因幡くん」
「局長。はい、今は大人しくしているようです」
「お疲れ様です、局長、因幡さん」
奥から二つ目の部屋の前に立つと、警備を任されている局員が二重三重にも施されているセキュリティを解除していく。
果たして扉は開き、その先で一人、少女がこちらを睨みつけていた。
「…てめぇがNOAHのボスか」
「うん、僕が現在のNOAH局長、加賀聖だ。うちの者が世話になったね」
努めて穏やかな表情を浮かべ、聖は答える。しかしそれが気に入らないのか、少女―山崎紫乃は一層険しい表情をこちらに向けた。
「…やめろ」
「うん?」
「その森山雅みてぇな目ェやめろッつってんだよ」
「おや、妹の事も知っていたのかい」
山崎と交戦した事は勿論聖の耳にも入っている。ただこの時、
「妹……?てめぇあいつの兄貴なのか」
「局長」
山崎がそれを聞き逃さなかった事に気付き、因幡は聖を咎めた。
「構わないさ。どの道ここから逃がす気なんて無いしね」
そう言って聖は山崎との距離を一歩狭めた。気圧された山崎が一瞬、怯えた表情を見せる。
「無駄だとは思うけど、念の為聞いておくことにするよ。NOAHに入る気はあるかい?」
聖からの問いに、山崎は再び挑戦的な瞳を取り戻した。
「ハッ…誰が」
「安心したよ―」
その先に続く言葉を、聖は紡がなかった。
*
芥川のお陰で無事回復した雅達はいつもの8階へ戻ってきた。会議室の匂いが何となく懐かしく思えた。
どうやら先に戻っていたのは千尋だけらしい。退屈そうに問題集を攻略している。
「あれ、千尋くんだけ?」
「…お。お前らもう平気……なのか?」
「まあな」
あれだけの傷を負っていたというのに、傷跡一つ無いだけでなくものの数分で戻ってきた事に違和感を感じた千尋だったが、やがて察しがついた様子で黒宮を見た。
「あの芥川とかいう男も字持ちだったんだな」
「おー、察しが良いな。便利な字だよなーほんと」
灯がそこに口を挟み、雅もまた続く。
「負荷はものすごく高そうだけどね」
「そうだね、気軽に使えるものではなさそう」
「そういう系に比べたらアタシ達の字は使いやすいのかもね」
灯が千尋の隣に座りながら雅にパスを投げる。スカートの裾を気にしながら雅も並んで席に着く。黒宮は三人の向かいを選んだ。
「千尋くん最近あんまり虎にならないけどやっぱりあれ疲れるの?」
雅が訊ねると千尋は珍しく饒舌に語った。
「虎になるまでと元に戻るまでがしんどい。獣化する字持ちは他にどんな奴がいんのか知らねぇけど、俺の場合骨格も変わるからその時結構くるな」
「なんか想像したら関節痛くなってきた……」
「アタシも……」
雅と灯がそれぞれ肩や肘を抱いて震える。
二人が直接自分の体を使って戦う事は無いが、それでも体の歪む感覚が良いものでは無いという事は想像に難くない。
「だから普段は手とか、足とか部分的に虎化したり、見えねぇ部分―まあ筋繊維とかな。そういう風に使い分けてる」
「へえ、考えてんだな」
「いっそお前くらい単純な字なら良かったけどな」
「俺だって調節が難しいんだぞー?」
続けて反論しようと身を乗り出した黒宮が、はっとして千尋の首元に目をやった。
「なあ、千尋それ―」
「おい、触んな」
手を伸ばすと、千尋は不愉快そうにそれを躱した。その様子を見て諦めたのか、黒宮は背もたれに身を預けた。とりあえずは引き下がるといった意味を込めて言う。
「……悪い、ゴミかと思ったけど見間違いだったわ」
「それにしても―はぁ…大丈夫かなぁ……」
剣呑な雰囲気の二人を他所に、雅は深くため息をついた。灯は「どうしたの?」と、何を気掛かりに思っているかまるで検討もつかない様子で訊ねた。
当の雅は一層深刻な表情に変わる。
「……ビル。まさか壊れるとは思ってなくて」
「アレ壊す気じゃなかったのかよ」
黒宮の追い討ちに雅は涙目になりながらそれを否定する。
「事故なんですー……」
「いや事件だよ」
「馬鹿な事言ってねぇでこれ見てみろよ」
千尋が携帯端末をこちらに向ける。ディスプレイにはSNSのタイムラインが表示されていた。その投稿の一つを黒宮が読み上げる。
「……“新白区でビルが突然倒壊したらしい。廃ビルだったから死傷者は居ないっぽいけど、砂嵐に続いて今度はコレ。その内何かくるんじゃないの日本”」
雅の顔色が蒼白から悪化しない様、灯は慌ててフォローを入れた。同時にテーブルの下で千尋のつま先を踏んづける。千尋が気まずそうに頭をかいた辺り、「余計な事をするな」という意思は伝わったらしい。
「アタシ達の姿は誰にも見られてないから大丈夫そうだね!」
「少なくとも砂嵐はもう起きねぇしな」
詫びの代わりに千尋も加勢したが、すぐに「どうすんだろな、後処理」と呟き、なけなしの優しさは誤爆に終わった。灯が今度は脛を蹴飛ばしてやろうかと思っていると、ロック解除のシステム音が鳴った。
入ってきたのは因幡だった。
「皆、ご苦労だった。今後についてだが、
その場に一拍ほどの沈黙が流れた。NOAHや社会を脅かさんとする組織の一員を捕え、これから本格的な対策を取るのだろうと皆一様に考えていたのだ。
ようやく発言したのは雅だった。
「え……それじゃあ山崎さんの件とかは……?」
「それは私達と他の局員で対応するよ」
「そ、そんな訳には……」
食い下がる雅に、因幡は眉尻を下げた。
「森山。これは
「……分かりました。後の事は宜しくお願いします」
そう言われてしまえば諦めざるを得ない。今や上司である兄には逆らえないのだ。家族ではなく、部下として。NOAHでは分別のある言動を心がけなくては。
因幡は力強く頷くと、四人―特に雅と黒宮を見ながら言った。
「ああ、任せて。それよりも、怪我はもう平気か?」
「芥川先生が治してくれました。……先生も字持ちだったなんて驚きです」
冷静に考えて見ればNOAHの主要人物が字持ちである事について、特に意外性など無いのだが、何となく彼からは字持ちの持つ独特の雰囲気を感じられなかったのだ。
「あいつなりのポリシーがあるみたいでね、基本的には本人の自然治癒力に任せたいらしい」
その信念の意味するところは、千尋や雅に説いた言葉が全てだろう。
恐らくその気になれば彼には死者さえも救う事が可能なのだと雅は推測する。だがそれを公言してしまえば自分や千尋と同様、捨て身になる同胞が増える事は明白だ。
自分にとって、そして周りにとって命の重みが揺らぐ事のない様、彼は時として傷に目を瞑るのだ。
あの白い部屋の主に思いを馳せていると、ふと鴇色の柔らかな髪が脳裏に過ぎった。
「いけない、平塚さんに返信するの忘れてた!」
「雅ちゃんいつの間に平塚さんの連絡先までゲットしてたの?」
灯が千尋の相方になった旨をメッセージに起こしながら、雅は視界をちらつく前髪を鬱陶しそうに睨んだ。それから視線を灯に向け、少々ばつが悪そうに言った。
「コンテストに出るのが決まった時にね」
「そんなさらっと……?アタシと交換する時は半年掛かったのに!?」
「社交性の塊な武藤でも半年掛かるって、森山お前どんだけコミュ障だよ」
愕然とする灯を挟んで、千尋は頬杖をつきながら雅を揶揄った。どうも今日は雅に対して意地が悪い。
「む、昔はちょっと人見知りだったから……」
「ほーん、昔ねえ……」
これ以上絡まれては身が持たないと、雅は無理矢理話題を切り上げた。
「こ、この話はもういいでしょ。それより因幡さん、新しいコートってどれ位で届きますか?」
「あ、ああ、後で確認しておくよ」
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