4-10


 ───それから三時間後のことである。


「……………………な……………………」


 遠くから近付いてくる我が家の光景に、違和感が隠せなかった。

 だが軽トラの助手席から降りた途端、違和感どころではない有様となった我が家を、夏海は呆然と見上げた。


「なんじゃこりゃ…………」


 ようやく任務から解放されて玉幡へと帰還した夏海だったが、事務所には美春が一人待っていただけだった。祖父も妹も陸生も、すでに家へと帰ったという。


 とりあえず美春と二人でステラを押して格納庫へと納め、今日の飛行報告書をまとめようと事務所へと入った夏海だったが、すでに書類はサイン一つで完成という所まで整えられていた。


 やけに手回しがいい。


 訝しむ夏海が問いかける前に、姉は彼女を軽トラへと押し込んで飛行場を後にする。道中で尋ねても、美春は笑うだけで何も答えてはくれなかった。


 ───パチンコ屋?


 夏海がそんな阿呆なことを考えるのも無理はない。

 甲府盆地に初夏の夕暮れが迫る中、茜色の空と大けやきをバックに佇む我が家は、まるでクリスマスと正月が一度にやってきたような有様となっていた。


 二階建ての古い日本家屋である天羽家は今、屋根から軒下まで覆い尽くすように全体を紅白の垂れ幕に包まれていた。その上から電飾が縦横に張り巡らされ、赤い豆電球で描かれた高翼単葉の機体がチカチカと明滅を繰り返している。

 玄関横にはずらりと花輪や胡蝶蘭の鉢が並べられ、いずれも会社名や個人名が書かれた札が添えられていた。ほとんどが玉幡の飛行業者の名前だったが、夏海が聞いたこともないような名前も多く含まれている。


 その中でも一番大きなものが『天羽美春親衛隊』名で、ここまで来ると花輪というより造花で埋め尽くされた空飛ぶ円盤という方が正しい気がした。資源の無駄遣いな事この上ない。


 家の周囲はたくさんの車やバイク、自転車が並び、その間を縫うように仕出し業者がやってきては、山ほどの料理を家の中へと運び込んでいる。一体誰があれほどの料理を食うのか。

 その疑問に答えるように、家の中からは多くの人間が立てる喜声や嬌声が漏れ出していた。


 玄関の三和土たたきはすさまじい数の靴で埋め尽くされていて、開け放たれた引き戸から外にあふれ出ている。上がりかまちまで行きたいが、どこに足を下ろしていけばいいか判らない。

 仕方なく誰かの靴を踏んづけて框に近付き、つま先でスペースを作ってブーツを脱いだ。


 最初に見えたのは、玄関の板の間に片付けられた何枚もの襖だった。

 その向こうの台所に通じる入り口を、料理の乗った大皿やらビール瓶を載せたお盆やらを持った近所のおばさん達が出入りしている。


 その内の一人が夏海の姿を認め、座敷に向かって、


「はーい、主役の登場ですよーっ!」


 どっ、と座敷から赤ら顔の男達が湧き出てきた。驚く間もなく腕を掴まれて引きずり込まれ、男の壁に囲まれてもみくちゃにされる。


「なっ、なん、何これどういうこと!? あだだ痛い痛い痛い! こら誰だ、どさくさに紛れて胸揉むなあ!!」


 やたらに酒臭い男達に四方を囲まれ、押され小突かれ撫でられ揉まれする夏海はさながら狭い箱の中で撥ね回るスーパーボールのようだった。

 あれよと言う間に座敷の上座に座らされてコップを持たされ、目の前に何本ものビール瓶が差し出される。


「いやいやいや、あたし未成年だから!」


 床に置かれていたコーラの瓶を掴み、そのままラッパ飲みした。そういえば昼に農薬散布のため離陸してから水分を一滴も取っていない。

 ぬるいコーラだったが、喉を流れる液体の感覚と炭酸の刺激がやたら気持ちよかった。


 ようやく人心地がついて、夏海は脇に控える冬次郎をねめつけた。


「……で、爺ちゃん。これってどんな状況?」

「どうもこうも、祝いだ祝い。寝ぼけたこと抜かしてると、あいつみてえに吊すぞ馬鹿野郎」


 ───ダメだ、この人も出来上がってる。


 一階にある四間の座敷は、今は全ての襖が取り払われて広間となっている。

 そこに三〇人は下らない人々が詰め込まれ、凄まじいばかりのどんちゃん騒ぎとなっていた。


 やめろよーやめろよーという子犬のような声に見てみると、欄間から簀巻きになった陸生が吊り下げられていて、若い飛行士達にゲラゲラ笑われながら裸に剥かれた上半身をぺちぺち叩かれている。あいつは何をやっているのか。


 男もいれば女もいる。それなりに酒が入った後と見え、全員が見事に酔っ払っている。

 親に連れて来られたらしい子供の姿もあって、縁側で秋穂が玩具を手にあやしていた。三姉妹の一番下だから、お姉さんぶることが嬉しいのかも知れない。


 飴色に輝くローストチキンの乗った大皿を手に、美春が広間へ入ってくる。

 方々から延びてくる箸をかわしつつ、ついでに尻を撫でようと手を伸ばしたオッサンの足の甲を踏み抜いて、悶絶するオッサンを後ろに美春はどでかいチキンの皿を夏海の目の前に置いた。


「はい、なっちゃん。あなたが一番先ね」

「お姉ちゃん、これって何の祝い事? あたし何にも聞いてないんだけど」

「あなたの救難初飛行のお祝いよ。玉幡で仕事をする飛行士は、最初の救難任務を終えた夜はみんなでお祝いするのが昔からの決まり事なの」

「それにしたって、この有様は……」

「おい。おいこら、夏海!」


 不意に、耳元で怒鳴られる。

 赤ら顔の冬次郎の強面が目の前にあった。傷だらけの顔に酔眼でねめつけられると、実の祖父といえど迫力がある。


「は、はいっ!」

「おめえ、今日の飛行はどうだったんでえ。この爺様に語って聞かせろや、ん?」

「どうって……まあまあだったよ」

「まあまあぁあ? まあまあって何だ、このワシが手塩にかけた三式連絡機の出来が気に入らねえってかあ!?」

「ちっ、近い! 爺ちゃん顔が近い、怖いし酒臭い!!」


 祖父の額を押して、山賊のような顔を遠くに押しやる。


「ったくもう……初めて乗ってから今日まで、ステラに問題は何も無いよ。それどころか、あたしにはもったいないくらい良い飛行機だと思ってる。まるで自分の羽で飛んでるみたいに、思った通り動いてくれるしね」

「そうだろうそうだろう、おめえの爺様はそんだけスゲェんだ。ずっと手ェかけてやってるこのワシに心の底から感謝しやがれ」


 それに付き合わされてる俺にもなー、と遠くの簀巻きが合いの手を入れる。


 冬次郎は何も言わずに、胸のポケットからペンを取り出して投げ渡す。

 受け取った飛行士は陸生の額に『肉』と書き込み、ついでに乳首の周囲を真っ黒に塗ってゲラゲラ笑う。油性であった。阿鼻叫喚の地獄であった。


「あ、でも」


 すべてを無視することに決めた夏海は、ふと言葉を継いだ。


「やっぱ機体が軽いからかな、ちょっとだけ風に弱いのは気になるかも」

「そりゃ三式連絡機の宿命みたいなモンだ。あいつは他の機体みてえに『風を切って』飛ぶんじゃなく、『風に乗って』飛ぶ機体なんだよ。風向きをしっかりと計算に入れねえと、あっという間に煽られてどこ飛んでいくか判らねえんだ。その辺り、お前にもきっちり教えといたろうが」

「もちろん覚えてたけどさ。それでも制御するのが大変だよ。今日はそれで危ない場面にも遭ったし」

「───危ない場面って?」


 しまった、と思った。正面に座った美春が静かに見返してくる。

 火災現場で墜落寸前の目にあったことを、夏美はまだ誰にも話していない。どうせいつかはバレることだけど、知られることがないならそのままでいよう、と思っていたのだ。

 普段は和やかな姉だが、それ故に真剣な顔を浮かべると逆に氷のような迫力がある。

 夏海は肩を小さくしながら、ぼそぼそと白状した。


「その……消防車を誘導するときに火災現場の上を飛んだんだけど、上昇気流に捕まって失速しちゃって……何とか立て直すことはできたけど、地面ギリギリで危なかったんだ」

「なんだそりゃ。馬鹿正直に大火事の上を飛ぶから煽られるんだろが」

「でも煙で視界が悪くなってて、北側にいた消防車を確実に反対側のタンクローリーの所まで誘導するには、火災現場の上をゆっくり低空で飛ぶ必要があったんだよ……」

「それを馬鹿正直だっつーんだ。いいか、火災の向う側にどうしても連れてかなきゃならねえってんなら、先に上空からでも目立つ目標物を見つけておいて集合地点にしてから、お前は火災を回り込むように飛んで、地上隊の到着を上空で旋回しながら待つって方法もあったろうが」


 ……言われてみればその通りである。

 冬次郎の言葉に、ますます肩身が狭くなってくる。


「三式連絡機が低速で飛べるっても、あいつはヘリじゃねえんだから、地上の連中にどこまでもくっついて動くなんて芸当が簡単に出来るわけがねえ。やらせたこっちもこっちだが、お前の方も自分で出来る範囲ってのを自分で判断できるようにしろ。それがパイロットってもんだ」


 祖父の言葉がいちいち耳に刺さる。あらためて夏海は、自分が危険な場面を招き寄せたことに背筋を奮わせる。

 あの時、もう数メートルでも高度が低かったら。

 もう数瞬、回復操作に入るのが遅かったら。

 ステラは地上の家屋に叩きつけられ、多くの人達に迷惑をかけていたはずだ。

 もしかしたら、その命までも。


 冬次郎は手ずから一升瓶の酒をコップに注ぎ、喉を鳴らして飲み干した。


「ゲフゥ……ったく、ちったあマシな飛び方するかと思えば、まだまだガキだなガキ。こんなんじゃおちおち酒も飲んでられねえ」

「飲んでるじゃん……」

「ああ? よく聞こえねえよ、もっとハッキリ喋れ。大体てめえは……」


 あ、これは長くなるな。

 酒の入った老人の説教は長い。ここは神妙にしておこうと覚悟を決めた夏海だったが、不意にがしっと冬次郎の頭が掴まれて説教が中断する。


「あがっ!? 誰だこの野郎!」

「まあまあまあまあ……今日は祝いの席だろう。それくらいにしておけ、冬次郎」


 背後からぬっと姿を現したのは、アロハシャツで頭にグラサンを乗せた禿げジジイである。

 陸生の曽祖父の名取蓮空なとりれんくうだった。こう見えて凌雲寺の先代住職で、老齢ながらハーレーを乗り回すファンキーな坊主である。


「てンめえ、清次せいじ! ワシの頭を玉っころみてえに掴むんじゃねえ、喧嘩売ってんのか!!」

「自分や息子が使ってきた機体に孫娘が乗ることになったからって、嬉しがって血の気上がってんじゃない。歳を考えろ歳を、血管切れるぞ」


 蓮空の俗名を叫びながら暴れる冬次郎を、蓮空は慣れた調子でいなしている。

 二人はここ玉幡で生まれ育ち、共に戦地にも行った古馴染みなのだった。たまに二人で甲府へ飲みに出かけたり、ツーリングに出かけたりする悪友でもある。


「ケッ、このワシがその程度の事でくたばるわきゃねえだろ。そこいらのジジイどもとは鍛え方が違うんでえ」

「加齢で薄くなった血管は鍛え方どうこうで何とかなるモンじゃないわな。お前も覚悟決めて、儂と一緒に市民病院の老人健診へ行くか?」

「行ってたまるか、配管の具合を気にするなんぞ発動機エンジンの調子を確かめるときだけで十分なんだよ」

「お前の医者嫌いも昔っから変わらんな……」

「あ、あのっ!」


 びし、と右手を差し上げて、二人のやりとりに割って入る。


「蓮空さん、救難初飛行のお祝いっていつもこんなに賑やかなもんなの? そりゃ多少は祝うこともあるとは思ってたけど、こんなに大事になるとは思ってなかったよ」

「ふむ、そうさな。大っぴらに飲む口実ができて嬉しいのは確かだが、お前さんを甲斐賊の一員として認めておる証でもある」


 そう言いながら蓮空は冬次郎の手から一升瓶をひったくる。

 飛んでくる拳をスウェーしながら、蓮空は自分のコップに酒を注いだ。まるで柳の枝のような老僧だった。


「ここ玉幡で、それぞれ別の看板を掲げちゃいても、根っこは甲斐賊としての同族意識を皆が持っておる。だからお前さんが初の救難任務を終えて、本当の仲間に迎えられたことが嬉しいのさ」

「でも、あたしの今日のフライトって失敗ばっかりで……それで危ない目にもあったし……」

「甲斐賊の一員として認めた証だ、と言ったろう?」


 蓮空はぐいっとコップ酒を煽った。祖父ですらあんなに酔っ払っているのに、この人物にはそのかけらも見えないのが不思議だった。


「お前さん、甲斐賊っちゅーのがどういうもんか、知ってるか?」

「玉幡を拠点にして仕事してる飛行業者のこと……なんじゃないの?」

「なんじゃい、その程度か。おい冬次郎、自分たちの事くらい、ちゃんと孫娘に教えとかんかい」

「ああ~? 教えるって、何を」


 顔面傷だらけの冬次郎が酔眼でいると、普段の迫力の五割増しといった風情になる。蓮空は全く気にすることなく、それをぱたぱたと右手で追い払った。


「こりゃ駄目だ。代わりに儂が教えて進ぜようか……」


 蓮空はコップを置くと、一つ軽く咳払いをする。


「お前さん、玉幡飛行場の歴史についてはどこまで知っておる?」

「えっと……かつては陸軍の飛行場だったのが、戦争の後に東京への食糧輸送基地になってから、なし崩し的に自営飛行業者の拠点になった、てくらい?」

「なんで玉幡が東京への食糧輸送基地になったんだ?」

「それは、東京に入る全ての鉄道が空襲で壊されて、食糧不足になった東京に空から食糧を運び込む必要があったから」


 即答だった。このあたりは小学校の歴史の教科書でも触れることだ。

 蓮空は頷いた。


「つまり玉幡の飛行士───甲斐賊ってのは、この地で産声を上げた初っぱなから、どこかの誰かを助けるために集まった連中だったのさ。戦争の中でひたすら磨いてきた技術を使い、より本当の意味で人々を死の淵から救い出すために、な」


 飢餓状態に陥った首都圏に少しでも多くの食料を空から運び込むため、戦争が終わって荒れ野となった玉幡飛行場に集まったのは、終戦後に無聊ぶりょうかこっていた旧陸海軍航空隊の搭乗員たちだった。


 報酬などは無く、そして狭い空域に多数の航空機が無秩序に集中することで、ともすれば戦争中よりも危険が大きい。


 それでも、ある者は瓦礫の中で張り紙を見て、またある者は口伝いに、食料輸送作戦の事を聞き及んで自主的に玉幡へと集まり、誰に命じられることもなく苦難のフライトへとしていったのだ。


「東京への食糧輸送任務が終了し、全国各地への小口航空輸送業者となった玉幡の搭乗員たちだったが、それからも日本で大きな災害や事故があるたびに仕事を投げ打ち、自主的に救援飛行を続けてきた。福井地震や伊勢湾台風、チリ地震津波の救援物資輸送、日本空輸すい星号墜落事故の捜索飛行……やがてその活動範囲は海を越え、遠くニュージーランドやインドネシアまで広がっておった」


 誰のものか判らないビールが入ったままのコップを取って、蓮空は喉を潤す。


「うるさいお上への建前上、今でこそ甲斐救難航空団なんて仰々しい代物ができちゃおるが、それよりもずっと以前から、冬次郎や芳朗をはじめ玉幡の飛行士たちは自ら進んで人々を救うために空を飛び続けたんだ」

「爺ちゃんや、父さんが……」


 傍らの冬次郎を見る。

 玉幡でも最初期の空輸業者であった祖父は、ついに畳の上に横臥し一升瓶を抱えて眠っている。

 その指の一本一本に、その傷の一つ一つに、これまで歩んできた人生の全てが垣間見える気がする。今でこそ飲んだくれた山賊のような有様なのに、そのギャップが夏海には面白く、そして誇らしく思えた。


「東京を飢餓から救うために玉幡飛行場が生まれ変わってから現在まで、彼らはずっと人々を守るために飛び続けた。それは甲斐賊の二つ名を背負う者にとって、何物にも代え難い大切な誇りでもあるのだよ。

 ……もう判るな? 昨日今日飛び始めたばかりの新米パイロットでは、とてもじゃないがこいつらの信頼は得られん。今日のこの祝いの座は、バイパス火災によって危難に陥った街を救うという甲斐賊たるにふさわしい仕事をやってのけたお前さんを、仲間の一人として認めた証なのさ」


 そうして、アロハシャツの老僧はにっこりと笑顔を浮かべた。


「胸を張りなさい、夏海ちゃん。今日からお前さんは本当の意味で、甲斐賊の一員だ」


 夏海は広間を見渡した。


 広間には先程よりも多くの人々が詰めかけて酒を酌み交わしている。見知った顔も多いが、三分の一程は夏海も知らない人々だった。

 これがぜんぶ飛行場の関係者といえばそんなことはなく、たまに天羽家でも頼むことがある仕出し屋の親父さんが広間の隅の方で潰れていた。どうしておじさんは店にも帰らずここで飲んでいるのか。


 今もなお玄関からは新たな来訪者の声が響き、その度に乾杯の声がかけられている。どうやら中に入りきれなかった客は、家の外で車座になって飲んでいるようだ。

 縁側に並べられた祝いの花はさらに数を増やし、ガラスサッシ越しに見える外の風景を半ばまで覆い尽くしていた。


 大皿の上に山と盛られた料理が、近所のおばさん達の手によって次から次へと運び込まれている。

 おばさん達がそれぞれ持ち寄った料理は、祝いの料理というよりも芋の煮っ転がしや法蓮草のおひたしのような家庭料理が中心だが、むしろこちらの方が心が籠もっている感じがする。


 それらを肴に酒を飲みながら、人々が話しているのはひたすら大空と飛行機の話だった。

 自分の機体の調子、新しく入れた部品の具合、いずこの空域でどんな目にあったのか、どこそこの飛行場のなんとかいうパイロットは腕も無い癖に着陸の順番も守らねえふてえ野郎だ、今度会ったらぶっちめてやる……。


 自分のために。

 自分という新たな甲斐賊の誕生を祝福するために。彼らは今日、ここに集まってくれたのだ。


「あ…………」


 不意に、涙がこぼれそうになる。彼らに仲間として迎えてもらえたことを、父や祖父と同じ場所に立つことが出来たことを、心から喜んでいる自分がいた。


 玉幡でも指折りの飛行士だったという父と較べると、自分はまだまだ経験の足りない素人パイロットでしかない。

 でも、いつかは父の見ていた風景に出会えるかも知れない。ここから一歩ずつ、父が生きていた世界に近付けるかと思うと、夏海は例えようもなく嬉しかった。


 両手の腹でぐしぐしと目をぬぐう。


「よっしゃ──────────────────────────────!!」


 掛け声をかけて立ち上がった。

 驚いて目を丸くしている人々を前に、夏海は腹の底から大声で、心からの決意を込めて言った。


「皆さん、今日はあたしのお祝いに集まってもらって、本当にありがとうございます! まだまだ腕の足りないパイロットですけど、みんなの足を引っ張らないように! それと甲斐賊の一員として恥ずかしくないように! 頑張っていこうと思ってますので、ステラエアサービスと天羽夏海を、これからもどうぞよろしくお願いしますっ!!」


 つかの間の静寂。


 その後に沸き起こった歓声は、遠く玉幡飛行場の管制塔で夜間当直についていた管制官にもかすかに聞こえたという。



 ……その夜、天羽家の酒宴は日をまたいで未明まで続けられた。

 この日の酒宴により、各社の主だった飛行士や整備士たちがことごとく二日酔いの憂き目に遭い、翌日の玉幡飛行場の業務に多大なる影響を与えることになる。


 良くも悪くも天羽夏海の〝甲斐賊〟デビューは、『玉幡飛行場が二日酔いにより一時閉鎖される』という珍事とあわせて、後々まで語り草となる一日となったのだった。

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