4-5
ここに、一人の男がいる。
趣味は競馬とパチンコ、好みのタイプは彼のギャンブル癖に愛想を尽かして逃げていった前妻。出来ればよりを戻したいと思っているが、そのためにはまとまった金を前妻にドンと見せつけてやりたいと考えていて、一層ギャンブルにのめり込む日々を送っている。
要するに、どうしようもない男である。
今、彼は流れが完全に止まった国道二〇号線上で中型タンクローリーの運転席に収まり、いつ復旧の目処が立つとも知れない状況にしびれを切らしていた。
「誰だよ、こんなとこで事故る大間抜けは……!」
はるか前方に立ち上る煙を見ながら、荒西は舌打ちを繰り返している。
今回、彼は八王子にある会社の石油基地にて灯油四〇〇〇リットルを積み込み、甲府の西にあるガソリンスタンドまで輸送する任を負っていた。
春先まで続いた寒波で灯油の在庫が払底したために、緊急で輸送する必要に迫られたのだった。
いつもなら中央自動車道を甲府昭和インターチェンジまで乗るところだが、今回は大月から下道に降り、国道二〇号線で笹子峠を越えて甲府盆地に入っている。
会社から指定された搬入時間は夕方の四時で、午前中に積み込みを終えて八王子を発った荒西には十分に時間の余裕があった。
高速道路の通行料金は会社の経費で落ちるが、会社の運行管理者は経路のチェックが大甘で、特に領収書を見ることなく自己申告で通ってしまう。
由緒正しい小市民ドライバーである荒西は、それを利用して通行料金の差額を自分のポケットに入れてしまおうと考えていたのだ。
それなのに、甲府盆地に入ってしばらく走った途端にこれである。厄年を迎えた自分の運の悪さを呪いたくなってくる。
タンクローリーの前後はみっしりと車で埋まっていて、進むのも戻るのも不可能になっていた。
───こんな事なら、大月なんかで下道に降りずに、甲府昭和まで高速に乗っておけば良かったな。
運行管理者は経路のチェックはザルなくせに時間には厳しく、搬入時刻に遅れるとそれに応じた罰金が給料から差っ引かれてしまう。途中でどんな事情があったにせよ「そのぶん早めに動けば良かっただろう?」の一言で済まされてしまうのだ。
年末の有馬記念で大負けしている荒西にとっては、ただでさえ少ない給料がこれ以上目減りしてしまうことは死活問題といえた。いよいよ重賞レースシーズンが始まろうというこの時期、賭けるタネが無くなればそのぶん前妻を呼び戻す途が遠のいてしまう。
「…………あん?」
ふと、視界の隅に動くものを感じて、荒西はサイドミラーを見た。
タンクローリーの真後ろにいたライトバンが、車列の中で何とか方向転換しようと頑張っていた。
何度も前進とバックを繰り返して、ようやく車列から抜け出すことが出来たライトバンは、そのままタンクローリーの横の歩道に乗り上げる。
「おいおい、何やってんだこいつ?」
どうやらタンクローリーの前方左手にある脇道に乗り込もうとしているらしい。
首を伸ばして脇道の奥を覗き込むと、その向こうを数台の車が行き交っているのが見えた。
「あっちなら先に進めるのか……」
軽くクラクションを鳴らして歩行者を追いやりつつ、歩道の上をゆっくりと走っていったライトバンは、やがて脇道の奥へと消えた。
その様子を眺めていた荒西は、自分もそれについて行った方がいいか、と考える。
確か、この辺りのバイパス沿いは古い家と畑が複雑に入り組んでいて、その間を縫うように細い道路が四方へ延びているはずだ。道はちゃんと舗装されていて、農家のコンバインが通れる程度には広い。
幸いにも、あのライトバンのように歩道上を走るような無理をすることなく、脇道へ入れそうだ。その奥の道も、この中型タンクローリーなら歩行者と対向車にさえ気をつければ何とか走ることが出来るだろう。
「……よし、そうするか」
荒西はステアリングを左に一杯まで据え切りした。
パフッ、とクラクションを鳴らして、前に止まった車にスペースを空けるよう促す。
何度も据え切りを繰り返して車列から首を出すと、後は特に苦労することなく脇道へと乗り入れることができた。
これまでとは打って変わってガラガラな裏道に、荒西はほくそ笑む。
「これなら何とか四時に間に合うかもな……!」
前方の見える範囲では、彼のタンクローリーの進行を阻むものは何も無い。家の軒とサイドミラーが触れてしまいそうなほど細い裏道で、荒西はアクセルペダルを一気に踏み込んだ。
……荒西は、気付くべきだった。
今日は、日曜日だった。この辺りの道に慣れた地元の人間だけではなく、県外からの観光客の車も多く行き交う日だった。
どこにどんな危険が潜んでいるのか判らないまま、人々は先を急ぐために裏道へと車を乗り入れていた。荒西はそんな場所で、タンクローリーに鞭を入れるべきではなかったのだ。
それは、ちょうどバイパスの火災現場の煙が真横に立ち上る、見通しの悪い交差点だった。
「───ぅあっ!!」
突然、脇から飛び出してきたRV車に荒西は悲鳴を上げる。
躱すことの出来るタイミングでも、ブレーキで停まれるほどのスピードでもなかった。
RV車はタンクローリーの横腹へまともに突っ込んだ。
狭い路上で横滑りしたタンクローリーは車室を支点に左へと回転し、後輪が路上から飛び出して脇の畑へと落ち込んだ。柔らかい畑地の土に足を取られ、それでも勢いは止まらず、タンクローリーは周囲に肥料臭い土を撒き散らしながら横転する。
転げた拍子に火花の一つも散っていたはずで、それで火がつかなかったのはまさに僥倖といえるだろう。彼自身は頭を軽く打った程度で、他に傷一つ無かったのも不幸中の幸いだったといえる。
RV車のドライバーが駆け寄ってきて、罅割れたフロントガラスから中を覗き込んできた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「お……おう……こっちは何とか……!!」
横倒しになったドライバーの顔を見ながら、荒西は頷く。
荒西は気付かなかった。
タンクローリーの側面にある排出弁が壊れ、その時タンクの中身が少しずつ流れ出していることに。
そして車体の陰に隠れて見えなかったが、そこには側溝が口を開いていた。ここ数日間雨らしい雨がなかった影響で、側溝は一滴の水もなく乾ききっている。
少しずつ、少しずつ、灯油は重力に引かれるまま側溝を流れていく。この辺りは微高地となっていて、バイパスの方向へとわずかに斜面が落ち込んでいた。
今なお猛火に包まれるバイパスを目指して、それは危険な香りを辺りに振りまきながら着実に近付いていく。
両者を遮るものは、空虚なまでに何も無かった。
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