4-3


 甲斐救難航空団かいきゅうなんこうくうだん


 大地震や台風など大規模災害の発生時に、被災地からの要請を受けて玉幡飛行場で臨時に組織されるボランティア飛行隊である。


 玉幡飛行場を根城とする航空業者たちは、その大小を問わず全てこの救難航空団に加盟している。

 派遣要請が出されると、彼らは組合の総合司令部を頂点とする指揮系統の中へ自動的に組み込まれ、逃げ遅れた被災者の救助や広域火災に対する空中消火、支援物資や救助工作機械の輸送など、その強力な機動力をもって被災地への一次支援を行うのだ。


 その活動範囲は日本国内にとどまらず、必要があれば海を渡って環太平洋諸国にも派遣される。その設立以来、甲斐救難航空団は国内外で発生した多くの災害に出動し、危難に瀕している無数の人々を大空から救い続けてきたのである。


我ら死への道程の半ばにありMedia vita in morte sumus.我らをば渡し給うな、無慈悲なる死の手にAmarae morti ne tradas nos.


 甲斐救難航空団として出動する飛行士たち、そのフライトジャケットの肩に縫い付けられたスコードロン・パッチには、翼の生えた武田菱のマークと共にそんな聖句が刻まれている。

 一体いつから、誰が、この聖句を刻み始めたのかは判らない。

 だが、在りし日は首都圏を救うために飛び、その後も各地で多くの人々を救ってきた彼ら甲斐賊たちは、この聖句こそ内に秘めた誇りとして今日まで日本の空を飛び続けてきたのだった。




「───状況は!?」


 ターミナルビルの中の一室、玉幡飛行場防災指揮所。


 扉を蹴破るように中に飛び込んだ冬次郎と陸生を、県防災航空隊の山岸隊長が迎えた。この飛行場で数少ない公務員の一人である。

 いつもは勤務中に赤ペンを耳に挟んで競馬中継を見ているような不良中年だが、今はその福々しい顔に緊張の色がにじんでいる。


「天羽さん、あんたのとこの飛行機が落ちた訳じゃないよ」

「んなこと判ってらあ。ワシが完璧に整備してる機体が落ちるわきゃねえだろ。何が起こった?」

「二〇号で車両火災だ。事故を起こした車が道路の上で燃えてる」

「車両火災? それで何でウチに出動要請が来るんだ?」


 冬次郎の問いに、山岸は小さく首を振る。


「規模が違うんだ。何十台も巻き込んだ多重衝突で、その中の数台が燃えて現在も延焼中らしい。国道はどちらの方向も大渋滞で、近くの消防団の他はまだ消防隊が現場に近付けていない」

「日曜の昼だからな。観光に行く連中と仕事の連中とで、どこも人手が多いだろ」

「場所はどこですか?」


 遅れて指揮所に入ってきた美春が、落ち着いた声音で尋ねる。

 山岸は会議卓の上に広げられた地図の上をなぞった。国道二〇号線を東へ進み、笛吹市と甲府市の境界の辺りで指が止まる。


「───ここだ。上下線の両方で事故が起こってる。裏道を回して消防隊を現場に向かわせようにも、国道から流れてきた車でそちらもひどいことになっているらしい」

「上空から誘導してやることは出来ねえのか?」

「出来るさ。ただし、防災航空隊ウチの機体は今し方発進準備を整えたとこなんだ。今から飛んでいっても、着いた頃には延焼が進んでる。それに───」

「それに?」


 山岸はがりがりと頭を掻いた。


「まだ本庁から正式に出動命令が出てないんだよ。仕方ないから、とりあえず機体を引っ張り出しておいて、命令があり次第飛んでいけるようにしておいたんだ」

「チッ、これだからボンボン役人どもは───待て、じゃあ救難航空団への出動準備要請ってな、どっから出たモンなんだ?」

「俺だよ」


 何でもないような山岸の言葉に、冬次郎は息を呑む。


「俺が独断で出したんだ。このまま延焼が進めば、附近の家屋にも燃え移ってしまうかもしれん。そうなればこの乾燥した気候だ、防災航空隊の二機のヘリじゃ手に負えなくなるくらい燃え広がる可能性もある。その時は航空団の空中消火で一気に火消ししてもらうのが、結果的に被害を抑える唯一の道になるだろうな」

「てめえ……」


 玉幡の甲斐賊は、その性格的に公の立場との相性が非常に悪い。

 現場の一指揮官が、本庁の指示も仰がずに独断で救難航空団への出動準備要請を出したと知れれば大きな責任問題に発展するだろう。その際に受ける罰則は、おそらく懲戒程度では留まるまい。

 その覚悟を寸分も匂わせない横顔を見ながら、冬次郎はニヤリと笑う。


「団塊世代のくせに、いい根性してるじゃねえか。てめえならラングーンの鉄火場でも平気な顔で生き残れたかもしれねえな」

「よく分からんが、誉め言葉に受け取っておくよ」


 ゴホン、と山岸はわざとらしく咳をする。


「───そして、ここからが本題なんだが……ひとつ頼みがある」

「頼み?」


 山岸は美春に向き直った。


「……え、私ですか?」

「美春ちゃん。あんたのとこの機体が一機、今ちょうど現場上空を飛んでるな? そいつを借りたい」

「どういうこった? ウチの機体は農薬バラまく仕事中で、空中消火装備なんか積んでねえぞ」


 冬次郎の言葉に、山岸はぱたぱたと手を振る。


「あー、いやいや。そんな大層なことをしてもらうんじゃない。防災航空隊おれたちが現場に出発するまでの間だけ、上空で目になってもらいたいんだ」

「……目?」

「今回のような大きな現場の場合、火災の煙や障害物が視界を遮ってしまうから、地上からでは全てを見通すことはできん。だから俺たちのヘリが現場に飛んで上空から観察し、現場の状況を逐一地上に伝えたり、道に迷った奴を上空から誘導したりするんだ」

「つまり、それをウチの機体で一時的に代行できないかって事ですね」


 美春は苦笑して首を傾げる。


「……十分に『大層なこと』のように思えるんですけど」

「いや本当に、それほど大変な事じゃないんだよ。すでに消防団の放水活動は始まってるようだし、おっつけ応援の奴等も到着するはずだ。救難航空団に準備要請を出したのだって、最悪の事態を想定して念のために出したんだ。そんなに忙しいことにはならないはずさ」

「うーん………」


 ほっそりとした指で顎をつまんで、何も無い天井を見上げている。考え事をするときの美春の癖だった。


「ウチのなっちゃん……夏海はまだ商業パイロットとしては未熟で、あんまり他のことをやってる余裕がないんですが……陸生くん、どう思う?」

「え、ぼ、僕ですか!?」


 美春からの突然の問いかけに、不意を突かれた陸生は慌てて答える。


「そ、そうですね……隊長さんがそんなに大変なことじゃないっていうんなら、大丈夫かなって。ま、まあ、単に上空から見張って欲しいっていうだけなら夏海にもできそうな気はします、けど……」

「頼む! 本庁からすぐに出動命令を取り付けるから、その間だけ!!」


 机に手をついて平身低頭する山岸に、美春はくすり、と笑った。


「……まあ、どうしてもと言うなら……夏海に相談してみて、彼女がやるって言うなら、お引き受けします」

「ありがたい! じゃあ早速……」

「ただし!」


 満面に喜色を浮かべる山岸を遮って、美春は念押しする。


「我が社が業務として受ける以上、報酬はきっちりと頂きますので」

「───むっ、無償じゃないのか!? 救難航空団への出動準備要請を……」

「出動準備要請は、あくまで緊急の際の空中消火のために出した、と先程おっしゃいました。それとは全く別の任務で、すでに飛行中の我が社の機体を使いたいと言われるなら、救難航空団への出動準備要請とは別のご依頼だと解釈させて頂きます」


 にっこりと笑う美春。

 見る人間を一瞬で蕩けさせるその笑顔の中に、獲物を絶対に逃がさぬ猛禽類の輝きを、山岸は確かに見た。


「ご請求書をどちらに発行すればいいか、後で是非お聞かせ下さい。ご安心を、今回は初回サービスということで、諸経費を除いた部分については通常の三〇パーセント引きで計上させて頂きますわ」

「ぬぬぬぬ……!」


 額に脂汗を浮かべて考え込む山岸を見て、冬次郎は思った。


 ───我が孫ながらこえェ女だな……。


「まだ会社立ち上げて半年も経ってねえのに、今からこれだと末恐ろしいぜ……」

「お爺ちゃん、何か言った?」

「うんにゃ、何にも。内線、借りるぞ」


 冬次郎は山岸の肩を叩くと、会議卓の上に置かれていた電話を取った。

 組合の事務所に繋がる内線ボタンを押し、受話器を耳に当てる。


「……もしもし? ああそうだ、ワシだ。今、防災指揮所にいる。そこに的場まとばのガキはいるか?

 ───おう、ワシだ。今、玉幡にいる機体の中ですぐに上げられる奴がいれば、そいつらには最優先で空中消火装備を積み込んでおけ。必要になるかもしれん。ワシも後から手伝いに行く。頼んだぜ」


 玉幡飛行業組合の現組合長をガキ呼ばわりしつつ、冬次郎は受話器を置いた。


 壁の時計を見る。針はまもなく午後三時四十五分を指そうとしていた。

 これから各機に消火装備を積み込み、一機目を空に上げられるのは最速で一時間というところだろう。それまでに、現場の火災が収まってくれたらいいが。


 ───なげぇ一時間になるな。


 呆れるほど進むのが遅い時計を見上げながら、冬次郎は思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る