心理
まず、大抵の宦官は幼少期に――要するに貧しさゆえ親に売られ、性器を切断されました。たまーに自分自身で性器を切断するか、もしくは完全なる自分の意志で政府公認の専門の者(「刀子匠」という。「執刀人」の意味)に性器切断を依頼する者もいましたが。自分の意志で宦官になると決めた場合も、大抵の場合動機は「どうせこのまま生きていたって結婚などできるわけがない。ブツを使うこともない。だったら切断してワンチャンに賭けてみよう」というようなものだったのですが。
まだ親の愛を必要としている時期に、無麻酔で性器を切断される。将来愛する人ができ、子を欲したとしても、もはや実子を得られる術はなし。そののち、宮中に送り込まれれば「全うな」身の官僚たちから蔑まれつつ、皇帝や后妃たちにひたすら傅き、顔色を窺い、媚びへつらう。
トップオブトップならばいざしらず、宦官は皇帝にとって奴隷もしくは虫けらに等しい存在でした。そんな彼らが、特に下位の者が普段どのように扱われていたかはお察し……というものでしょう。だから彼らは全力で媚びるのです。もっともトップとて、這い上がるまでには泥水を啜ってきたのですが。
そのため、一たび出世を果たした宦官は、地位と財産を求めて野心を燃やし続けました。権力のためならば謀殺などなんのその。必要とあらば父母ですら売り飛ばす(もっとも、大抵の場合先に売り飛ばしたのは……)。宦官にとっては、自分たちを養ってくれるものこそ親だったのです。そして、宦官にとっての親――後ろ盾とは、皇帝に他なりません。そのため、宦官は皇族には忠実に使えました。皇帝の権力が保全されている間は、ですが。
寄る辺ない自分たちを守るため、宦官同士では一蓮托生の連帯感を共有していました。もっともこの一体感には、去勢された子供が宮中に入れられると、他の宦官たちと文字通り一心同体になるよう訓練された、ということとも多分に関係しているでしょうが。
なお、幼少期に性器を切断した場合、生命の回復力により「生えてくる」こともあったそうで、そういった場合はまた切除しなければなりませんでした。「生えて」いないか、数年おきにチェックが行われた時代もあったといいます。もっともこれは、逆を言えば宦官となっても性行為をできる可能性があるということです。年若い美形でなおかつ性機能が回復した宦官は、宮女に人気だったそうです。また、性器を復活させるという薬や食べ物を好んだ宦官もいました。
ただでさえ苦しい暮らしに、再切除の恐怖と苦痛さえのしかかってくるのです。これで性格が歪まない方がおかしいでしょう。自分を取り巻く世界の全てを憎んだとしても、誰も責められないのではないでしょうか。そのため大抵の宦官は、酷く冷ややかで偏執的な性格をしていたそうです。そのうえ、学識はなく、怠惰で向上心に欠け、排他的でもあったといいます。学識については、もともとが大抵貧しい家の子供ですから、さもありなんという感じですよね。清代の宦官は酒と博打とあとアヘンを好んでいたそうですが、大抵の宦官にとってはそれしか「欠けた」――奪われてしまったものの代わりが手に入らなかったのではないでしょうか。
成功した宦官の場合は、時に国家の財政を傾けるほど富や財産を求めました。また、妻を娶り妾を囲い、養子をとることも。三国志の曹操の祖父も宦官です。もっとも高級宦官は、後漢では全体の約10%、清末では全体の約20%だったそうですが。
性器を切断されたとしても、宦官には性欲が残っていました。そのため宮女と夫婦となる者もいて、明代中期以降は妻がいない宦官の方が少なかったそうです。また、宮女や妃、民間の女性に関係を迫った者もいました。もちろん妓楼にも通いました。宦官は舌や張型を使って性行為を行い、また前述の通り後宮の女性の相手をすることもありましたし、同性愛に走ることもありました。
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