中米 その③メキシコ
今回はメキシコの民族衣装についてです。皆さんご存じでしょうが、メキシコの文化は滅ぼされたアステカ帝国と、滅ぼしたスペインの要素が複雑に絡み合っています。そしてそれは、民族衣装においても同じなのです。もっとも文様はアステカ由来のもの(幾何学模様や動物や昆虫、植物など)とスペイン由来のものやそのどちらともつかない/どちらでもあるものの他、東洋由来のものやパターンブックに由来するものと、かなり多種多様なのですが。ここらへんは、移民なども関係しているのかもしているのかもしれませんね。
アステカ帝国時代、男性の衣服らしい衣服は腰布あるいは褌とマントだけでした。もっとも、アステカの男性のマントってものによってはかなり豪華だったのですが。ちなみに、男女ともに平民と貴族では衣服の素材が違っていて、平民は硬いマゲイ(リュウゼツラン科の多年草のこと)、貴族は柔らかい綿の衣服を着ていたそうです。これまたちなみに、平民が綿の衣服を着るだけでも死刑にされていました(「古代マヤ・アステカ不可思議大全」より)。
なにはともあれ、アステカの男性の露出度が高い恰好を、頼まれてもいないのに勝手にやってきたスペイン人たちは不謹慎だと見なしました。そしてズボンとシャツをアステカの男性たちに身に付けさせたのです。これが現代にまで受け継がれた、メキシコの衣服文化の始まりでした。現在でもメキシコの伝統的な衣服にはズボンとブラウス(カミサ)が含まれています。
ズボンはゆったりしているものもあれば、裾を結ぶものもあります。また、丈も様々です。なお、グアテマラの場合は
これらに、ソンブレロとサンダルを加えれば典型的なメキシコの男性の装いとなります。ソンブレロは麦藁製の他、黒いフェルト製のものもあります。
女性の場合、アステカ帝国時代は上は貫頭衣(ポンチョに似ているが肩から胸までの丈しかないケスケミトルや、袖なしのウィピルなど)、下はクウェーイトルという装飾的な巻きスカートを着用していました。が、これもスペイン人というかカトリックの基準では露出度が高かったのです。よってスペインの侵攻以降、女性たちは伝統的な服装にスカートやベルトを組み合わせるようになりました。また、カミサ(ブラウス)も着用されるようになったようです。
現代のメキシコの女性の民族衣装は、男性よりもアステカ帝国の名残を残しています。上記のウィピル、ケスケミトル、カミサ、スカート、帯が基本的な要素となっています。ただ、アステカ時代のウィピルは袖なしだったものの、現代には祭りの日用の袖が付いたウィピルもありますし、レースの飾りが付いたものもあります。
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