ネイティブアメリカン その①ナバホ族

 今回からはネイティブアメリカン編に入ります。今回はアメリカ最大の保留地と人口を持つナバホ族の民族衣装についてです。

 ナバホ族はほぼトウモロコシ栽培によって暮らしているプエブロ族と接触するまでは、機織りの技術を有さなかったそうです。しかし、スペインの文献によると1705年には羊毛や綿から衣服を仕立てていたのだとか。ちなみに、機織りを習得するまでは鹿やバッファロー、ウサギなどの獣の皮や、杉の樹皮やユッカ(リュウゼツラン科イトラン属の植物の総称。日本では「青年の木」という園芸名で知られる)の繊維を利用していたのだとか。


 今日、ナバホ族の手によるラグは大変高価な工芸品となっています。ナバホ織りには彼らの創世神話に由来する文様が織り込まれています。色は合成染料が使われることがあるものの、プロは草木染(一部地域では原料である羊毛の色をそのまま利用)で染色します。そのため、ナバホ織は一見すると地味に見えるかもしれませんが、深い味わいと心安らがせる魅力があり、見れば見るほど引かれていきます。

 あと、ナバホ族……というかネイティブアメリカンは、銀とトルコ石のアクセサリーでも有名ですよね。その中でもナバホ族は名工として知られているのですが。ネイティブアメリカンにとってトルコ石とは水と空の象徴であり、聖なる石であり、儀式に必要なものでもありました。

 ナバホ族にとってアクセサリーは非常に重要なもので、現在でも非常に沢山のアクセサリー(ネックレス、ブレスレット、指輪、イヤリング、帽子のバンド、ボタンなど)を身に着けているのだそうです。ある裕福な女性は100個以上の銀のボタンを自分のブラウスに付けたそうですから、ナバホ族においてはボタンもまたアクセサリーに含まれるのでしょう。ちなみにナバホ族は19世紀半ばに、メキシコ人から銀細工の技術を習得したのだとか。

 ナバホ族の伝統的な履物は、バッファローの皮やバックスキン(加工保存された鹿の皮のこと。かつては衣服に用いる皮も同じ手法で鞣されていた)製のモカシンです。モカシンは多くのネイティブアメリカン共通の履物でした。


 ナバホ族の故地は現在のカナダの北西部であり、そこから南下して現在の位置に落ち着いたそうです。その過程で、上記のプエブロ族やホピ族といった先住民族から農業を、スペイン人からは牧畜を習得していきました。異文化の影響はもちろん服飾にも及び、ウールや木綿が利用されるようになりました。ナバホ族と同じ南西部で暮らすアパッチ族は、生活スタイルの変化と獣不足により工場製の布を受け入れるようになったそうなので、ナバホ族にも同じことが起きたのかもしれませんね。

 初期のナバホ族男性はブリーチ(褌あるいは腰布)、レギンスやポンチョのようなシャツにモカシン、獣の皮製のローブを着用していました。しかし上記のような理由により、暗い青や黒のウールや、白い木綿製のシャツが着用されるようになりました。

 加えて、スペインの影響により、白い木綿のズボンが着用されるようになりました。このズボンは膝の外側にスリットが入った、ゆったりしたものです。他に、銀のボタンが付けられたなめし皮製のレギンスも、スペイン起源なのだそうです。レギンスは縄編み(縄のような模様が縦向に現れる編み方のこと)の模様が入ったものもあったそうですが、いずれのタイプにもガーターが付いていたそうです。

 これらのレギンスは、明るい色の縁取りが施されていました。レギンスは暗い色合いのウール製のブリーチと、白い木綿製のブリーチは同じく木綿製のズボンと併せて着用されていたそうです。

 が、商品化された布が誕生したことで、明るい色のベルベットやコーデュロイ(縦うねが特徴的な、タオルと同じパイル織物の一つ。保温性に優れている)製の長袖でヒップ丈のシャツが登場しました。これらと暗い色、もしくは白のズボンを組み合わせ、巻貝のベルトを締めるというナバホ族男性の典型的なスタイルはこうして誕生したのです。また19世紀には、ブランケットにズボンを合わせるスタイルも流行しました。


 初期のナバホ族の女性は、なめし皮性の巻きスカートやポンチョ、膝上までの丈のレギンスに、ユッカその他の繊維製の房付きのダブルエプロンを着用していました。ダブルエプロンとは、前が膝丈で、後ろが前よりも長い丈のエプロンのことを指します。他には、ナバホ・ビルともブランケット・ドレスとも称される、二枚の手織りの長方形の布から仕立てられる衣服も着用していました。ナバホ・ビルは一般的に黒もしくは濃い青で、肩と裾の部分に赤い模様が織り込まれていました。脇は、袖ぐりと裾のスリットを残して縫われ、肩は縫われたり、真鍮もしくは銀の留め金かピンで留めていました。更に飾り帯を締め、靴を履きアクセサリーを身に付ければ正装です。

 が、不可抗力によってイギリス女性たちと日常的に接するようになると、ナバホ・ビルは、ビクトリア朝風のドレスの影響を受けました。ドレスをブラウスと襞があり段で切り替えがされたスカートに改造し、着用するようになったのです。

 更に白人商人によって、明るい色の織物が彼らの保留地にもたらされるようになりました。すると、女性たちはビロードの柔らかさや光沢に魅了されていき、盛装はビロードで仕立てるようになりました。普段着用のブラウスは木綿やコーデュロイから仕立てたようですが。現代のナバホ族女性は、バスケットの模様をアップリケの技法を用いて民族衣装に取り入れてもいます。

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