中央アジア その②ウズベキスタン・女性編

 今回はウズベキスタンの民族衣装の女性編です。

 ウズベキスタンの女性の民族衣装は基本的に、上衣クイラク+脚衣+スカーフ+履物となっております。外出時は更に外衣ムルサクや被衣を羽織り、被り物をします。また、アクセサリーも身に付けます。


 上衣については前回参照です。ただ、男性用は白い木綿製だったのですが、女性用は繻子織などのアトラス(ウズベキスタンの伝統工芸品である、絣染めの布のこと)から仕立てられるのが違うところです。もっとも後に工場製のプリント生地が多用されるようになったのですが。また、これも男性同様に、ロシア併合後は立体的な仕立てとなり、胸のヨーク(切り替え部分や、そこに当てられた布のこと)にギャザーが入った、スモックのようなものが基本になったようです。

 男性用との違いは、材質の他にもあります。女性用、特に少女や結婚して間もない女性の上衣の襟は、肩線(前身頃と後身頃を縫い合わせている、肩の部分の縫い線)に沿って開いているそうです。初産の後は授乳しやすいよう、前を約30cm開け、ブローチや釦、撚り紐で閉じました。更に、刺繍した組紐・ジャクを付けて、襟の周りから裾の近くまで飾っていたのだとか。


 女性用の脚衣は男性用でも述べたイシトンの他に、ロジムというものがあります。

 ロジムとはアラビア語で「必要なもの」を意味していて、多くは二種類の布から仕立てられる、上端に通した組紐を縛って着用するズボンのことを指します。二種類の布のうち、上衣の裾から見える部分には高価で華麗な布を使うそうです(裾は更に刺繍入りの組紐で飾ります)。ということは、隠れる方はさほど高価ではない布を使うのでしょう。民族衣装のあるあるですね。


 女性用の外衣は、男性のもの同様に前開型の衣服です。開口部に組紐が付けられていたことも同じ。袷だったり綿入れだったりするのも同じ。ただ「肘まで」を意味する呼称の通り、地域によって異なるものの袖が短く、下に着ている衣服が見えるのが、男性用との大きな違いでしょう。それに、女性用の外衣の前は広く開いていて、脇の下にはギャザーが入っています。柄や素材は、豊穣を願う気持ちを表す柘榴などの模様入りの絹が好まれたのだそうです。

 上流階級の女性は、晴れ着や外出用の衣服として、外衣を一度に三枚も重ねたそうです。もっとも、結婚後間もない女性は七枚も重ねたそうですが。どれほど外衣を重ねているか――言い換えれば着用者の社会的な地位は、上で述べた袖口、あるいは襟元の重なりによって確認することができました。単純に衣服を沢山持っている=裕福=上流階級に属する、ということだったのでしょうね。もっとも、やはりロシア併合後、前回述べたカムズールに加え、袖なしのニムチャという外套が現れたのですが。


 女性用の外套は時代と地域によっては葬儀との関わりを持っていました。ある地域では19世紀末から、息を引き取った直後の死者や葬式用の担架の覆いとして用いられていました。タシケントでは20世紀初頭から女性用の外衣+帯が葬式の際の恰好だったそうです。

 ついでに、ウズベキスタンでは男性には決まった喪服はなかったものの、女性は身近な人が死亡した場合は青か黒の上衣を三日間着用していたそうです。四日目にこの衣服から着替えますが、裾と袖口は布を裁断したままにする、という風習があったのだとか。そうして一年後に、この喪服から白い衣服に着替える儀式はオク・キイジと言います。


 被衣にはロシアの10月革命(ソビエト革命とも)後に着用されなくなったパランジャと、現在でも着用されているジェラクやパルタというものがあります。ジェラクは無地や縞模様の木綿の単衣で、実用的なもの。パルタは白い木綿製でこれまた単衣仕立ての、合羽のようなもので、主に年配の女性が着用しているのだそうです。

 既に着用されなくなったパランジャは、都市部や村の裕福な女性の、平面的な仕立ての衣服でした。裕福な女性は八歳から、パランジャを頭から被っていたそうです。成長して年頃になると、顔を馬の尻尾の毛や鬣を網状に織って作った、チャシムバンド(色は黒)で顔を隠しました。そしてその上からパランジャを被るのですね。パランジャの被り方は、頭から被る→装飾用の左右の袖の端を留め背に垂らす、となります。

 裕福な女性の衣服らしく、パランジャは表地はサテンや無地あるいは植物文様入りのビロード、裏地は更紗などという豪華なものでした。更に、開口部にはアラビア文字やS字形に意匠化された蛭(医薬品として重宝されていた)などの刺繍や、別の布を付けて飾ったそうです。


 被り物には被衣同様、現在では用いられなくなったものがあります。例えばターバン・サッラなど。かつて既婚の女性は小さな帽子クルタ・プシャクを被り、その上にスカーフ・ルーモルかサッラを巻いていたそうです。

 クルタ・プシャクにはお下げにした髪を隠すための、細長い覆い布が付いていました。なぜかというと、かつてウズベキスタンでは、女性が髪を人目に晒すことは罪深いと考えられていたのです。被り物の第一の存在意義は防寒や防暑、防塵でしょう。しかしウズベキスタンでは、上記の頭髪に纏わる習慣の他に、邪視から身を守るという目的もあって、被り物が用いられていたのです。


 履物は、男性の回で述べたマフシにイチギ(脚衣の裾の上になるように履く)、カヴァシの他に、丈が短い靴のカフシがありました。

 装身具は、髪飾りに耳飾り、胸飾り、首飾りに腕輪に指輪(中指以外の全ての指に嵌める)など。結婚後間もない女性は、これら全てを身に着けたそうです。

 なお、現在のウズベキスタンの婚礼衣装は西洋風に取って代わられています。けれども伝統的な婚礼衣装には、男女ともに幸福をもたらすという白いアイテムが欠かせませんでした。女性ならばスカーフに、上衣。男性ならばターバンと上衣が白かったそうです。また、地域によっては花嫁は白いベールで全身を覆っていたのだとか。しかし、それ以外の衣服は白ではありませんでした。例えば男性ならば、ターバンと上衣の他の衣服は、裕福であれば絹や金襴など、貧しければ現地製の木綿から仕立てられていたそうです。

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