シベリア その③エネツ人、ハンティ人他
今回は、まずエネツ人について述べていきます。エネツ人は主にタイミル半島のエニセイ川付近の小さな村で生活しています。彼らはその他の地域で生活している者も含めても人口二百人ほど、エネツ語を母語としているのは現代では数十人ほどという、消えゆく民族でもあります。
彼らの生活は主にトナカイ(遊牧や狩猟)によって成り立っていますが、漁業や毛皮の養殖を営んでいる人もいるようです。宗教はシャーマニズムと正教を信仰しています。肝心の民族衣装についてですが、エネツ人もまたトナカイの毛皮から衣服を仕立てます。そうして、トナカイの毛や革のアップリケなどで飾るそうです。が、エネツ人は既に民族衣装を着用しなくなっているそうです。
同じくエニセイ川流域に住まう民族としてはセリクプ人、ケット人が挙げられます。が、セリクプ人は17世紀にオビ川中流から移住してきた民族で、ケット人はオビ川水系のケット川付近でも暮らしています。こちらも名称から察するに、オビ川付近の方が本拠地なのかもしれませんね。セリクプ人とケット人、あとハンティ人という民族はかつて合わせて「大河の民」を意味する「オスチャーク」と称されていました。文化的にも近いようです。この三集団のうちハンティ人が最も人口が多く、参考文献での記述も多かったので、ハンティ人の民族衣装の紹介はセリクプ人とケット人の民族衣装のものも兼ねるということにさせてください。
ハンティ人の大半はハンティ・マンシ自治管区・ユグラで暮らしています。ユグラとはハンティ人が暮らす地の元々の名称です。主な生業は狩猟、漁業、トナカイの飼育です。宗教はシャーマニズムと正教を信仰しています。
ハンティ人の民族衣装の材料は、植物繊維(イラクサ、麻、綿)、毛皮、鳥(あび、白鳥など)や大きな魚(ナマズ、カワメンタイなど)の皮など様々です。毛皮についても、色々な種類の動物のものを用います。というのも、帝政ロシア時代に毛皮税が課せられるようになってからは、高価な=質が良い毛皮は徴収されるようになってしまったので、やむを得ずウサギやリス、鳥などの皮を利用するようになったのです。こういった小動物の毛皮は、色彩を考えながら服に仕立てられました。
魚の皮は、スープの残りや動物の肝臓などを使って加工し、表面を削り落としてよく揉んでから利用したそうです。
ハンティ人の衣服において最も伝統が残っているのは冬服なのだそうです。冬服のトナカイの毛皮から作る上着は、男性のものなら前開型と前閉型の二つのタイプに分かれ、前閉型はマーリツァと呼ばれます。マーリツァはネネツ人のマリツァ同様、毛皮が内側になっています。マーリツァの上には明るい色の更紗やゆったりとした上着を重ねます。
スキーや橇で出かける時は、ガナサン人の毛皮の外衣ソクイと同じ名称で、形も似ています。が、ガナサン人のソクイと全く同じ形状であるかどうかは分かりません。
どのタイプの上着を着用するかに関わらず、男性は必ず帯を締め、鞘に収まったナイフを吊るします。狩猟を行う場合は皮の袋や弾薬箱も吊るすそうです。
脚衣は、なめし皮や魚の皮から仕立てられたものを着用します。
履物や靴下は季節によって材質が異なります。春から秋はスエード(なめした皮の内側を、道具を使ってけば立たせたもの)の長靴+靴下代わりの干し草で足をくるむというスタイルです。一方冬は、トナカイの脛から作られた長靴(紐を帯に縛り付けて着用)+毛が内側にされた毛皮の長い靴下という組み合わせになっております。
ハンティ人の女性の冬服には、毛皮から仕立てられたシュウバがあります。シュウバは主にトナカイの毛皮から仕立てられますが、トナカイが少ない地域ではウサギやリス、鳥の皮を用いたそうです。また、リスの足やトナカイの耳といった小さな部位や裁ち屑を利用して仕立て、表面を毛織物で覆う、ということもあったのだとか。リスの足のみでシュウバを作るとしたら、一着につき概ね800本、つまり200匹分のリスの足が必要なのだそうです。
シュウバは襟や袖口、裾を、毛織物にビーズを刺繍した飾りや、毛皮のパッチワークをテープ状にしたもので縁取ります。この飾りの模様はトナカイの角にウサギの耳、クロテンの足跡に馬の蹄、小枝などを表しているそうです。
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