ヨーロッパ その⑱ロシア

 今回はロシア(というかロシアらへん)の民族衣装についてです。と、いっても今回やるのは、彼の地のスラヴ系の民族の民族衣装についてだけですが。あと、ロシアがヨーロッパか否かという問題には様々な意見があると思いますが、とりあえずヨーロッパに入れておくことにしました。また、今回はいつもの参考文献に加え「ロシアの歳時記」という本も参考にしています。


 では、まずは男性の民族衣装について。

 ロシアの男性の民族衣装は地方や年齢による差はあまりなく(もっとも、階級による差はあったでしょう)、基本的に上衣ルバーハ+ウエストに巻く腰紐+脚衣シタヌイ脚絆オヌーチャ+靴で成り立っています。もっとも、こういった服装が日常的に着用されていた時代においては、狩人ならば丈夫な革のベルトを装着し、そのベルトに弾薬を装備して~なんてこともあったようですが。また、外出の際には外衣を羽織ったりもしていました。

 上記のうち、ルバーハは素肌に直接触れる長袖で丈長、襟なしのシャツのことで、実は男女ともに着用します。ちなみに、袖や裾、前開きの縁などは刺繍が施されたり、別の布が付けられたりしていたのですが、これは服を補強するためでもありました。

 ルバーハはルバーシカとも称されます。なんなら後者の方が馴染みがあるぐらいですが、この二つの違いを敢えて挙げるとすると、比較的質が悪い布から仕立てられたものをルバーハ、上等な布から仕立てられた晴れ着用のものをルバーシカと呼ぶそうです。また、ルバーハ/ルバーシカはもともとロシア語で「シャツ」を意味してもいます。

 シタヌイは亜麻、もしくは(晴れ着用の場合は)木綿や毛織物性の、直線裁ちのズボンです。そして脚絆をシタヌイの裾の上に巻き、靴を履きます。他、往時はシャルヴァル(シャルワール)を重ねて穿き、その裾を長靴に入れるという着こなしもあったようです。

 外出の際に羽織る外衣は地域によって様々な名で呼ばれていますが、代表的な名称である「カフタン」と「アルミャーク」を用いて説明させていただきます。

 カフタンは、形状についてはトルコの回などを参照してください(丸投げ)。外出用のカフタンは麻の粗い布か毛織物から仕立てられ、膝~踝までの長さがあります。着用の際は、幅広の布帯クシャクを締めます。そしてこのカフタンの後に登場したのが、厚手の毛織物から仕立てられた丈長の外衣・アルミャークです。材質などの違いのためか、カフタンは暖かい季節に羽織るもの、アルミャークは冬やそれ以外の季節でも天気が悪い時にカフタンの上に羽織るもの、という呼び分け・使い分けがされています。

 なお、私が上で「外出用の」カフタンと書いたのは、ピョートル大帝によって西洋化がなされる前のロシアの上流階級の部屋着が、カフタンだったように思えるからです。例えばイリヤ・レーピンによる有名な絵画「イワン雷帝とその息子」でも、父によって撲殺された皇太子が着ているのは、丈の長さからルバーシカではなくカフタンのように見えます。……気になる方は、「イワン雷帝とその息子」についてググってみてくださいね!

 他の民族衣装の構成要素としては、帽子が挙げられます。例えば夏にはつばが広い麦藁帽子やフェルトの帽子、冬にはラシャや綿ビロード製の縁なし帽が被られました。他に、山高帽パパーハ、耳覆いのある毛皮製の帽子(マラハーイ)などの帽子もあります。


 ロシアの女性の民族衣装はルバーハ/ルバーシカ+スカート+エプロン(主に南部)+靴+被り物で成り立っています。他、ドゥシェグレーヤという上衣を着用することもありました。

 女性用のルバーハ/ルバーシカは男性のものよりも丈がずっと長く、ふくらはぎ~足首まであります。しかし、その下に後述するスカートやエプロンを着用するので、胸から下の部分は隠れてしまいます。そのため、女物のルバーハは一般に「見える上の部分:綺麗な白い布から仕立て、刺繍で飾る」、「隠れる下の部分:質が劣る粗い布から仕立て、露出する裾部分にだけ飾りをつける」というように分かれているのだそうです。

 ロシアの民族衣装のスカートは主に北部~中部で着用されていたジャンパースカートタイプのサラファンと、南部で着用されていた巻きスカートタイプ(普通のスカートタイプもある)のパニョーヴァに分かれます。この二種類のスカートのうち、より有名なのはサラファンでしょう。しかし実は起源がより古いのはパニョーヴァの方なのだとか。

 パニョ―ヴァは青か黒のチェック柄or縞柄の毛織物から仕立てられましたが、サラファン(ちなみに、サラファンはウエストを紐やベルトで締めます)の素材は様々です。かつてのロシアの女性たちは、こういったスカートを何枚も持っていて、祭日の際は上質な布から仕立てられたものを……というように使い分けていました。

 ドゥシェグレーヤは背中にギャザーがたっぷり入れられた上衣で、多くは普段着として着用されました。そのため布地やデザインは労働に適したものが多い(袖なし・ウエストまでの丈が基本)のですが、仲には晴れ着用として金襴や緞子で仕立てられたものもあります。丈が腰まであったり、袖が付けられているものもあるそうです。他には、防寒用として綿入れのように仕立てられたものもあるそうです。

 ロシアの女性の民族衣装といてば最も目を引くのが被り物でしょう。かつてロシアでは豊かな長いおさげ髪は、美しい娘の象徴であるとされていました。一方、既婚の女性が髪を見せるのは恥であり、また凶作や病気などの災いの原因となると信じられていました。そのため、既婚の女性は髪を隠したのですね。

 ロシアの被り物としては特にココーシュニクが有名でしょう。時に真珠や宝石で飾られるココーシュニクは北部の伝統衣装ですが、南部にもソローカという飾りを用いた豪奢な被り物がありました。こういった豪奢な被り物は代々受け継がれる家宝であるため、農民のものであっても高価な飾りが付けられていたそうです。他にも時代や地域によって様々な被り物がありました。

 

 ここまで男女別にロシアの民族衣装について述べてきたのですが、男女で共通する要素もあります。例えば毛の部分を内側にして仕立てられた毛皮外套シューバはもちろん男女ともに着用していました。シューバの上に、更に同じく毛を内側にしたトゥルプという外套を羽織ることもありました。

 毛皮にもピンからキリまであるため、裕福な家庭ならばクロテンやキツネなどの高級な毛皮からシューバを仕立てられます。しかし農民ならば、普通は羊やウサギの毛皮しか用いることができませんでした。要するに、シューバに用いられる毛皮の種類や質は、着用者の家庭の懐具合を表していたのです。そのためかつてはシューバの毛皮が、結婚相手の品定めの際にチェックされる項目の一つだったのだそうです。

 靴もまた男女共用のものが多く(革の短靴は女性の靴とされていましたが)、例えば18世紀~19世紀の農村で最も普及した樹皮靴ラプチは男女ともに日常的に穿いていました。一方、裕福な人は硬くしっかりとした黒い革から作られる、底がしっかりとしたつま先が丸い長靴サポギーを履いていました。この樹皮靴や長靴を履く際は、前述の脚絆を足の先から膝下ぐらいまで巻き付けます。ちなみに貧乏になることを意味する「長靴から樹皮靴に履き替える」という表現もあったりします。

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