東アジア その④中国服

 今回から中国編に入ります。中国の民族衣装といえば真っ先に中国服をイメージしますが、少数民族の衣服もそれぞれ魅力と個性があります。という訳で、今回で中国服のことについて、次回で少数民族の衣服についてまとめます。


 中国の大多数を占めるのは漢民族ですが、中国服は満州族の影響も濃厚に受けています。何故かというと、清朝の政策のためです。清朝は髪形だけでなく、服装も自分たちのものに改めるよう強制していました。が、漢民族も抵抗したりして、最終的に男に対する規制は厳しいけど、女に対しては緩やか、ということになったのです。

 清代の服飾制度は満州族の服装様式+漢民族の伝統的服制という形になりました。そのうち清朝の終焉から近代化、及び両民族の融和の流れの中で、民族服としての中国服が確立したのです。では以下でまず男性の場合について……。


 男性の衣服は北方諸民族に共通の、乗馬に適したものです。開口部は紐ボタンで留められ、袖口には馬蹄形の袖端(袖幅を広くするため、袖口に付け加えた布)を付けることも。

 清代の男性の一般的な服装は、長袍もしくは長衫(単で丈が長い服)の上に、馬褂(短い上着。礼装としても用いる)もしくは坎肩カンツェン(袖なしの上着・チョッキ)に、帽子だったそうです。下衣は一般にズボンでした(北方では女性もズボンを穿いていました)。


具体例

馬褂:上に書いたように短い上着で、丈は腰まで。両脇と後ろにスリットがあります。袖は長袖と半袖と色々ありますが、袖口はまっすぐ。襟の形も対襟、大襟、琵琶襟など様々です。材質は緞子やビロード、夏は紗、冬には毛皮も用いられました。

坎肩:背心とも言います。ぴったりとした短いチョッキで、襟は一字襟、琵琶襟、対襟、大襟の他、立領(スタンドカラー)のものもあります。綿入れ、紗など色々あり、奴僕用は丈夫な鹿皮製だったそうです。

長袍:清代に広く用いられた外衣で、丈や袖は流行に左右されました。


 お次は女性の場合です。上記のように、清朝において漢民族女性への服装の規制は緩やかでした。加えて、満州族の女性が漢民族の女性の服装に似せることは禁止されてもいたのですが、それでも長い年月の間に互いに影響し合い、清代の女性の服装が生まれました。なお、元々の満州族女性の服装は脇にスリットが入る旗袍チーパオに、馬褂や坎肩を重ね着し、高底鞋を履いていました。漢族の女性の衣服は、おう(ゆったりとした上衣)に裙、もしくは(両足を別々に通す下衣)の、二部式でした。

 清代の女性の衣服には上記の馬褂や坎肩の他、比甲(袖なしの上衣。褂襴ともいう)、馬甲(袖なしの上衣。チョッキ・ベスト)、氅衣チャンイ(上着の一種)、袍、衫、裙などがありました。馬褂や馬甲はデザインそのものは男性用と大差なかったけれど、全面に紋様が施されていたそうです。

 十七世紀後半から、女性の長袍は袖や袖口に紋様がついた縁取りが施されるようになり、前後の中央と両脇に入っていたスリットは両脇だけとなり、女性用の袍の型式が完成しました。そうしてやがて、旗袍は女性の長袍を指すようになりました。また、旗袍は身幅が広いゆったりとしたものですが、1900年頃から細身のものが好まれるようになり、それから紆余曲折あって女性の曲線美を生かすチャイナドレスが誕生しました。袖や襟のデザインも多様になったそうです。


 

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