殺人の反応の補足

 今回からは『戦争における「人殺し」の心理学』の続編である、『「戦争」の心理学』の内容に本格的に入っていきます。『「戦争」の心理学』は『戦争における「人殺し」の心理学』の内容に補足を加えつつ、戦闘における心構えなど「どう訓練したら人を殺せるようになるか」を述べた本です。もっとも、既にお伝えした内容も多々あったので、全体の四分の三ぐらいを飛ばすことにします。『戦争における「人殺し」の心理学』も、ベトナム帰還兵の章の大部分と、アメリカの子供たちを取り巻く環境についてを飛ばしました。なので気になる人は、本を買って読んでみてくださいね☆


 でもその前に、『「戦争」の心理学』の省略することにした部分で述べられていたことで、一つ重要なことについて述べさせてください。


※戦闘中、人を殺した後の反応について(詳しくは前回参照)

 前回私は、戦闘中の殺人における基本的な反応は、


 ①殺人に対する不安→②実際の殺人→③高揚感→④自責→⑤合理化と受容

 ※合理化に失敗すると、PTSDになる。


 とまとめたのですが、このパターンに当てはまらない、「何も感じなかった」ということもあるそうです。著者グロスマン氏は『戦争における「人殺し」の心理学』の発売後にこのような意見を寄せられたのだとか。この「何も感じなかった」というのは、兵士や警察官などの戦うべき者として経験を積んだ者に多く、要するに心構えの違いによるものなのだとか。グロスマン氏が『戦争における「人殺し」の心理学』を執筆するにあたって調査の対象とした者の多くが、まだ若く未熟な頃に戦争に投入された兵士だったため、このような結果の偏りが生じたそうです。


 要するに、社会的に正当だと見做されている場合に人を殺したとして、罪悪感を感じるのも普通なら、感じないのも普通のことなのです。正当でない殺人に罪悪感を感じないのは問題ですが。つまり、戦闘前に前もってこれは必要なことなのだと自分で納得し、覚悟をきめておけば、戦闘後もしかしたら生涯癒えないかもしれない心の傷を負わずに済むかもしれないのですね。


 ついでに、これは『戦争における「人殺し」の心理学』で述べられていたことなのですが、トラウマの程度と社会的な支援の程度は、掛け算のようなものなのだそうです。


 例えば第二次世界大戦で戦ったアメリカ人男性がいるとします。彼は多くの戦闘に参加し、敵兵を殺したこともあれば戦友を看取ったこともあると、トラウマの成りやすさでは最高の部類に位置します。が、彼は勝利して帰国した後、家族や友人、社会に温かく、誇りと称賛を持って迎えられ、沢山の支援を受けることもできました。


 もう一人、元兵士がいるとします。彼はベトナム帰還兵で、トラック運転手として働いていたため、敵の銃撃を浴びせられたことはあっても、敵を殺すことはありませんでした。兵士として仕事内容だけで判断すれば、彼がトラウマを負う可能性は低いでしょう。しかし彼は帰国後、他のベトナム帰還兵と同様に赤子殺しと罵られ、唾を吐きかけられ続けられました。そうして彼は、親しい人にすら過去を打ち明けるのを躊躇うようになり、戦没者記念のパレードにも元兵士が集まる会にも参加せず、心を閉ざすようになりました。


 架空の元兵士のうち、一見前者の方が後者よりも深い心の傷を負っているように思われるでしょう。ですが、心の傷を癒す機会に恵まれた前者と違い、一人も殺していないとはいえ傷を放置されるどころか、塩を擦りこまれ続けた後者のトラウマの強さは、前者を上回る可能性があるのです。戦争に限らず、事件や事故に巻き込まれた人々への理解や支援がどれだけ大切なのか、考えさせられますよね。

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