殺人と心の距離 その②倫理的距離その他

 今回は、まずは倫理的距離からです。おさらいとして、倫理的距離とはなにか以下に載せておきましょう。


・倫理的距離

 自らの倫理的優越と復讐・制裁の正当性を固く信ずること。多くの内戦で観察できる。


 要するに、自分は正しいと信じている人間はどんな残酷なこともやるってことですね。多分!


 上で述べた通り、倫理的距離とは自分や自分が属するグループ(国家対国家の争いなら自国)こそが正義だと信じることです。そして自分が無罪(正義)ならば有罪なのは敵の方であり、だからこそ罰を下すか復讐しなければならないという論理が自然に発生します。つまり、敵も人間ではあるけれど殺すのは正義のためであり、踏みにじられた法と秩序その他諸々の回復のためなので、そうして構わないということです。この点が、主に敵の抹殺を目標にする文化的距離と異なるところですね。

 懲罰を名目として暴力を正当化するというのは基本的な心理です。なので、作為的に操作し助長することも十分に可能です。また、我こそが正義だと主張する心理過程は、内戦その他の戦いにおいて暴力を可能にする基本的なメカニズムでもあります。同じ文化を共有する者同士が戦うなど、文化的距離を導入するのが難しいの場合は、倫理的距離を主張すればよいのです。


 お次は、


・社会的距離

 階層化された社会において、特定の階級を人間以下と見なす慣習の影響。


 です。もっとも社会的距離は、敵を殺す際ではなく部下(=味方)に命令を下す際に重要になってきます。

 軍隊には、明白な階級制度が存在します。例えばアメリカ軍だと、基地には将校用、下士官用、兵卒用とそれぞれ別のクラブがある他、住む居住区も別々だそうです。すると自ずから、将校、下士官、兵卒には心理的な距離が生じるでしょう。それが何に繋がるかというと――指揮官というのは部下を愛する一方、その部下を選んで死に繋がる命令を下さねばなりません。可愛い部下=仲間を守るため降伏するという道を選んでもいいかもしれません。が、その道を選んだら一握りの仲間はともかく、その他の守るべき者――銃後の一般市民たちを守れるでしょうか。

 大変残酷なことですが、部下を進んで危機に晒す指揮官の方が、そうでない指揮官よりもより多くの者を守れるのです。そしてその決定を下すためには、指揮官と部下の心の距離は近すぎてはいけないのです。でないと部下を助けたいという誘惑に負けるか、指揮官の心が耐えられなくなるでしょうからね。


 次は、


・機械的距離

 テレビ画面、熱線映像装置、暗視装置などの機械的な緩衝物が介在する、手が汚れない殺人の非現実感のこと。 


 です。言わずもがな、機械を介在した戦闘、例えば暗視装置を使った場合は敵は緑の染み――極めて非人間的な存在にしか見えません。そんな「染み」に向かって発砲したとして、自分は人を殺したとリアルに感じられるでしょうか。そのことで心を病んだりするでしょうか。……そういうことです。


 これだけじゃ物足りない感じがするので、今回は犠牲者側のどのような条件が標的とされうるかについても述べていきます。

 イスラエルのある軍事学者によると、


・相手を殺す手段と機会の適切性と有効性

・犠牲者を殺害したとして得られる利益と、相手側に与えられる損失


 の兼ね合いが重要なのだそうです。

 人間誰しも、敵を狙っている間にまた別の敵から攻撃されるという事態は避けたいでしょう。自分の安全を確保しつつ敵を殺害しようとする、つまり戦術的・技術的な優位を確立しようとするのは普通のことです。そして優位が確立されれば、兵士は勇気を持って敵を攻撃することができます。背中を向けて逃走する敵を攻撃しやすいのは、相手の顔が見えないのももちろんですが、こちらが優位に立っているからなのです。


 上記のように、優位を確立できた場合、兵士は次に敵の誰を狙うべきかを考えます。そしてその標的に選ばれるのは、殺害した場合に味方には多大な利益を、敵には多大な損失を与えうる人間です。例えば指揮官とか将校とか旗手とか。でなければ、厄介そうな武器を所持している者とか。

 強者は狙われやすいとは、女子供など脅威に成りえない相手は標的にされにくいとも言い換えることができます。弱さは時に身を守るのです。事実、脅威に成りえない存在の殺害は軍事行動ではなく「ただの人殺し」と見做され、たとえ自衛のためであっても強い抵抗感を催させるのだとか。例えば、ベトナム戦争で指揮官を務めたある兵士は、直接命令されたにも関わらず、ベトコンの女性をどうしても殺せなかったそうです。


 ちなみに、女子供の存在は彼らに危険が及ばない場合に限り、兵士の攻撃性を抑制する効果があるそうです。ただ、危機が迫った場合、弱者を守るためという大義名分が発生するため、戦闘は容赦のないものになりがちだとか。弱者の存在が戦場の残酷性を高めることもあるのです。

 現在は違いますが、イスラエル軍は長く女性を戦闘に参加させないようにしてきました。それは何故かというと、女性兵士が死傷した場合男性兵士が際限なく残虐行為を行う例がたびたび見られたし(復讐という大義名分が生まれたからでしょうか? それに、相手は女を殺すような奴→だから殺していい、という倫理的距離の論理が成り立ちますものね)、アラブ人は女性に降伏するのを極端に嫌うため、だそうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る