殺人と距離 その③銃剣距離
今回は前回の続き。刃物を使った殺人のうち、銃剣の場合について詳細に述べていきます。
前回述べたように、刃物で誰かを殺すというのは、殺す側にとっても殺される側にとってもおぞましいことです。ごく普通の精神の人間は出来る限り避けようとします。ということは、銃剣の場合もそうだということです。事実、ワーテルロー(とソンム川(第一次世界大戦の激戦地)では銃剣攻撃が集団で行われたのですが、銃剣による傷は信じられないぐらい少なかったそうです。
ワーテルローの戦いの場合は数少ない銃剣による負傷も、大抵は兵士が戦闘不能になった後で負わされたものであり、銃剣と銃剣の交戦が行われたという証拠は見られなかったのだとか。そしてソンム川の戦いの場合(つまり第一次世界大戦の頃)には、刃物による戦闘はほぼなくなっていて、刃物による傷は全創傷の1%以下だったのだとか。
軍事史でも本格的な銃剣戦の例はほぼなく、その数少ない一つはクリミア戦争の際、濃霧のなかでロシア軍とフランスの部隊が偶然遭遇したため起きたものだったのだとか。その極めて稀な銃剣戦でも、これまで述べたように銃剣による傷が認められるのは更に稀なのです。それはなぜかというと、
1.銃剣距離まで敵に接近した兵士は、ほとんどの場合敵を串刺しにするのではなく、銃床またはその他の手段で敵に襲い掛かる。
2.銃剣を使用する場合、必然的に相手の人間性を否定できない距離での殺人となるため、深刻なトラウマを負う可能性がある。
3.銃剣で人を殺すことへの抵抗感は、自分がそんな殺され方をすることに対する恐怖と等しい。
という理由によるもので、銃剣突撃の際は、相手と銃剣を交える前にどちらかが必ず逃げ出してしまうそうです。両軍とも銃剣が届く距離まで近づく勇気を出せず、結馬鹿馬鹿しいほどの至近距離で撃ち合いをする、なんてこともあったとか。
また、訓練を受けていても、戦闘となると銃剣を逆さに構えてこん棒代わりに使う兵士は非常に多かったそうです。ある兵士の証言曰く、いつの間にか銃剣が手の中で反対向きになっていた=無意識に逆さに構えてしまっていたとか。
銃剣によって敵を死に至らしめられた事例は少ない。でもなぜ銃剣突撃なんて攻撃法が現代でも行われているのかというと、連隊の列を崩して陣地を奪うにはうってつけだからです。
ごく普通の人間は、これ見よがしの銃剣の刃の煌めきと、それを構える敵兵の目に宿る覚悟の色だけで、衝撃を受けます。加えて、串刺しにされうる距離までこちらに近づく度胸のある敵に直面するとなると、畏怖の念を覚えてしまうのです。ただ、敵に恐怖し、背中を見せて逃げ出した途端、その兵士が殺害される可能性は高まります。そのため兵士は、敵に背中を見せることを恐れるのです。歴史上の戦闘では、犠牲者の圧倒的多数は決着が付いた後、逃走する敗者の方から出ているのだとか。
でもなぜ敵に背中を見せたら殺害される可能性が高まるのかというと、一つは追跡本能のため。多くの動物は、本能的に背中を向けて逃げる敵を追いかけます。人間も動物である以上、戦闘という極限状態に追い込まれ理性を失った時、背中を向けて逃げる敵兵を追わないと、どうして言い切れるでしょうか。
背後からの殺人を可能にするもう一つの理由は、敵の顔が見えないため。殺人における物理的距離と抵抗感の関係は、相手の顔が見えない場合は無効になるのです。犠牲者の顔を見なくてすむことは一種の心理的な距離となり、一人の人間を死に至らしめたという事実を否認し、合理化し受容するという過程を容易にします。
また背後からの殺人は正面からの殺人の場合と比べて、表情も、断末魔の顔の歪みも見ずに済み、結果負うトラウマは比較的小さなものとなります。ある研究によると、誘拐の犠牲者はフードを被せられた場合、殺される危険性がずっと高くなるそうです。
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