殺人と距離 その②近距離

 今回は主に近距離での殺人についてです。

 まず、この場合の近距離とは飛び道具を使った殺人を行える距離を意味します。近距離での殺人は、前回述べた距離での場合と違って、殺人者の責任を否定しようがありません。

 ベトナム戦争では、特定の個人を殺しなおかつ殺したことが自分で確実に分かる場合は「対人殺」と呼ばれていたそうです。「対人殺」の圧倒的多数はこの近距離での殺人で、「対人殺」によるトラウマもまた近距離で発生したのだとか。


 近距離での殺人の場合、特に質問しないかぎり滅多に口に出されることはないけれど、ほんのつかの間の多幸感、高揚感が訪れるそうです。しかしこの感情は殆ど間をおかず、罪悪感に取って代わられてしまいます。この罪悪感は非常に激しく、嘔吐を引き起こすことも珍しくないそうです。犠牲者を憎悪し嫌悪する十分な理由(例えば殺人者はアメリカ兵で、犠牲者はベトコンだとか、旧日本軍兵士だとか)がある時。またはその場から直ちに立ち去るべき理由がある時でさえ、殺人者はその場に釘づけになり、自分がやったことの重大さに凍りつくことも多いのだとか。


 近距離で、視線を交わし合い、表情を観察できる――つまり、一人の人間であることを決して否定できない敵を殺す抵抗感はとてつもなく大きいです。相手の恐怖を感じ取ってしまうと、もはやその相手は敵軍の制服によって一般化された敵ではなく、特定の個人になってしまうから。そして、ごく普通の精神の持ち主にとっては、特定の個人を殺すというのはとてもできないことなのです。

 そのため、近距離にいる敵を殺さずに済ませる、ということも起ります。こういった殺人拒否は前回述べた中距離の戦闘でもさほど珍しくはないのですが、近距離の場合はもっと多くなるのだそうです。


 飛び道具以外の武器、例えば銃剣や槍などを使う場合の殺人は、物理的関係に加えて二つの重要な要因が関わってきます。一つ目は、同じ刃物を使うにしても、より離れて使用できる武器を使う殺人の方が、心理的に容易なこと。武器の歴史は、殺すべき相手といかにして距離を取るかの試行錯誤の歴史と言い換えても過言ではないのです。

 二つ目は、刃物は払ったり振り下ろしたりするのは簡単でも、突き刺すのは難しいということ。なんと古代ローマでも、兵士が剣で相手を突き刺すのではなく、切りつけようとする傾向があることは問題視されていたそうです。人体の重要な部分は骨や武具に守られているのだから、剣を振り下ろしていては、どんなに力を入れても中々殺せない。けれども突きを入れさえすれば、少ししか刺さらなくとも致命傷を与えられるのに、と。

 突き刺すというのは相手を刺し貫いて殺すための行為であり、また身に帯びた刃物は自然にその兵士の身体の延長になります。身体の付属物で相手の身体を刺し貫くというのは、性行為に極めて似た行為です。刃物ってアレの象徴だったりしますしね。そして、そんな方法で人を殺すことを、大抵の人間は強烈に嫌悪するのです。

 殺される側にとっても、冷たい刃を自分の肉に食い込まされて殺されるというのはおぞましいことのようです。セポイの乱の時のインドの反乱兵は剣でではなく銃で殺してくれと頼みこみ、ルワンダ内戦の際、ツチ族の犠牲者はフツ族から銃弾を買っていた――切り殺されるのは嫌だから、自分を処刑するための銃弾を買っていたそうです。 

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